PINK FLOYD / THE PIPER AT THE GATE OF DAWN



♪アーノルド・レインは奇妙な趣味をお持ち  ♪衣服収集也 ♪月明かりが輪郭を洗うような ♪とってもお似合いで装着
1967年3月のデビュー・シングル『アーノルド・レイン』は女装趣味の男を歌ったポップなサイケ調の曲で全英20位を記録、続いて2枚目のシングル67年6月の『エミリーはプレイガール』は最高位6位を記録した。
そんな勢いを見せる中、67年8月に発表したのがこのデビュー・アルバムである。アルバム中3曲を抜かした8曲がシド・バレットの作品で、ピンク・フロイドはこの時点でシドのグループであったと言っても間違いではない。シドのキラキラとしたポップかつサイケなアルバムに仕上がっている。

彼らのケンブリッジとの関わりは、初期のリーダー格であったシド・バレットがCambridgeshire College of Arts and Technologyの出身だということである。後に加入する彼の友人デビッド・ギルモアも同じスクールの出身である。
ちなみに、シド・バレットの父は高名な医師でしたが若くして亡くなり、家は下宿屋を始めることになりました。若き小泉純一郎が下宿していたようです。


エコーズのジャケットを含め、ピンク・フロイドのジャケットのほとんどを担当した芸術集団ヒプノシスの写真家ストームこと、ストーム・トーガソンは、メンバーのロジャー・ウォーターズのハイスクール時代の友人で、シドとも一緒に住んだことのある仲であった。ヒプノシスは、芸術集団といっても、このストームともう一人のオーブリー・パウエル二人の工房といってもよく、なんと、このパウエルもケンブリッジの出身である。

バンド名ピンク・フロイドの結成時の名前はスクリーミング・アブダブスでしたが、あまりにもな名なので改名したのでしょう。ピンク・フロイドは、ジョージア州出身の2人のブルース・シンガー、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前からとられているが、シドが飼っていた2匹の猫の名前である。2人ともブルースマンとしては非常にマイナーな存在で、私もオムニバスのブルース・アルバムに数曲あるのみです。このマイナーなブルースマンの名前が使われた理由はおそらくノースカロライナ州生まれの有名ブルースマン、ブラインド・ボーイ・フラーのSPレコードからバックで演奏していた2人の名前を知ったものと思われます。

5人時代のPINK FLOYD

デビュー作の『夜明けの口笛吹き』は数あるピンク・フロイドのアルバムの中で一番好きで思い入れのあるアルバムです。
レーベルを見るとこのアルバムだけがバンド名に定冠詞THEが付いている。セカンド・アルバムからはTHEがない。
ファーストプレスのジャケットは裏面の右上は何も書かれていないが、セカンドプレスはFile under POPULAR:Pop Groupsの記載がある。


mono & stereo Blue Columbia Label


one EMI & two EMI Columbia Label


promo cream color label

Fame & remaster mono