45回目の曲目

ピンク・フロイド特集です。

バンド名ピンク・フロイドの結成時の名前はスクリーミング・アブダブスでしたが、あまりにもな名なので改名したのでしょう。ピンク・フロイドは、ジョージア州出身の2人のブルース・シンガー、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前からとられているが、シドが飼っていた2匹の猫の名前である。2人ともブルースマンとしては非常にマイナーな存在で、私もオムニバスのブルース・アルバムに数曲あるのみです。このマイナーなブルースマンの名前が使われた理由はおそらくノースカロライナ州生まれの有名ブルースマン、ブラインド・ボーイ・フラーのSPレコードからバックで演奏していた2人の名前を知ったものと思われます。

1.エミリーはプレイガール
2.アーノルド・レーン
3.アストロノミー・ドミネ
4.ルシファー・サム
5.ポイント・ミー・アット・ザ・スカイ
6.リメンバー・ア・ディー(追想
7.吹けよ風、呼べよ嵐
8.ナイルの歌


1.エミリーはプレイガール(シー・エミリー・プレイ)



表題曲はオリジナル・アルバム未収録で、後に『ピンク・フロイドの道』(1971年)等のコンピレーション・アルバムに収録されたが、アメリカや日本では、ファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』の初回盤に収録された。B面「黒と緑のかかし」(原題:Scarecrow)は、『夜明けの口笛吹き』収録のものと同じヴァージョン。日本では本作がピンク・フロイドの第1弾シングルとして発売され、当時は「エミリーはプレイガール」という日本語タイトルが付いていた。



2.アーノルド・レイン

♪アーノルド・レインは奇妙な趣味をお持ち  ♪衣服収集也 ♪月明かりが輪郭を洗うような ♪とってもお似合いで装着
1967年3月のデビュー・シングル『アーノルド・レイン』は下着フェチの曲で、女性の下着を盗むという趣味を持つ変質者(アーノルド・レーン)が警察に捕まり、刑務所に入れられるというもの。倫理的に問題があるため、ラジオ・ロンドン等で放送禁止となったが、BBCでは特に問題とされなかった。メロディー・メイカー誌は「鳥や蜂の美しさに魅せられた青年の不思議な物語で、とにかく素晴らしい。ピンク・フロイドは英国ポップ・シーンに燦然と輝く新しい音楽を作り上げた」と絶賛した。全英20位を記録、続いて2枚目のシングル67年6月の『エミリーはプレイガール』は最高位6位を記録した。

3.アストロノミー・ドミネ








67年8月に発表された、デビュー作の『夜明けの口笛吹き』は数あるピンク・フロイドのアルバムの中で一番好きで思い入れのあるアルバムです。タイトルはケネス・グレアムの児童文学作品『たのしい川べ』の第7章の題名から拝借したものである。レーベルを見るとこのアルバムだけがバンド名に定冠詞THEが付いている。セカンド・アルバムからはTHEがない。
アルバム中3曲を抜かした8曲がシド・バレットの作品で、ピンク・フロイドはこの時点でシドのグループであったと言っても間違いではない。シドのキラキラとしたポップかつサイケなアルバムに仕上がっている。サウンド的にはプログレッシブ・ロックというより、完全にサイケデリック・ロックである。発売時の邦題は「サイケデリックの新鋭」というタイトルであった。

彼らのケンブリッジとの関わりは、初期のリーダー格であったシド・バレットがCambridgeshire College of Arts and Technologyの出身だということである。後に加入する彼の友人デビッド・ギルモアも同じスクールの出身である。
ちなみに、シド・バレットの父は高名な医師でしたが若くして亡くなり、家は下宿屋を始めることになりました。若き小泉純一郎が下宿していたようです。
エコーズのジャケットを含め、ピンク・フロイドのジャケットのほとんどを担当した芸術集団ヒプノシスの写真家ストームこと、ストーム・トーガソンは、メンバーのロジャー・ウォーターズのハイスクール時代の友人で、シドとも一緒に住んだことのある仲であった。ヒプノシスは、芸術集団といっても、このストームともう一人のオーブリー・パウエル二人の工房といってもよく、なんと、このパウエルもケンブリッジの出身である。
アルバムの1曲目に入っている曲で、日本題が、『天の支配』といいます。後に、ライヴでの定番となりました。 「サージェントペパーロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を録音しているお隣のスタジオで、ピンクフロイドは彼らの1st Albumである「夜明けの口笛吹き(The Piper at the Gates of Dawn)」を録音していたのは有名なお話でしょうか。


4.ルシファー・サム
 アルバムの2曲目の曲です。中国の易の影響を受けた曲のようです。

5.ポイント・ミー・アット・ザ・スカイ

ピンク・フロイドが1968年にリリースしたシングル盤「ポイント・ミー・アット・ザ・スカイ」、夢と希望で胸が膨らむ、最高のポップ・ソング。「イット・ウッド・ビー・ソー・ナイス」とか「ジュリア・ドリーム」とか、すごく、すごく、崇高で、幻想的で、きれいな曲です。

6.リメンバー・ア・ディー



2枚目のアルバム「A Sauceful of Secrets」(神秘)から1曲です。シド・バレットが抜けて、デイヴィッド・ギルモアが参加したアルバムで5人のピンク・フロイドのアルバムでもあります。


7.吹けよ風、呼べよ嵐


  英国盤『おせっかい』

  1stレーベル

  レアな黒レーベル

  インリン・オブ・ジョイトイとブッチャー

途中で聞こえる叫び声「One of these days, I'm going to cut you into pieces(いつの日か、お前をバラバラにしてやる)」はドラマーのニック・メイスンの声で、不気味さを出すためにテープのスピードを遅くして収録された。
全日本プロレスにおいて、いわゆる凶悪レスラーの入場テーマ曲として長年愛用されており、一般的には来日回数が最多のアブドーラ・ザ・ブッチャーのそれとして広く知られている。

8.ナイルの歌


  西向き

  東向き

『モア』(原題:Soundtrack from the Film More)は、ピンク・フロイドが1969年に発表したアルバムである。ピンク・フロイドは、バルベ・シュローダー監督の映画『モア』の音楽を担当した。本作はそのサウンド・トラックである。
フロイドは、その後再びシュローダーの映画作品のサントラを担当する。それが『雲の影』(1972年発表)である。また、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」のサウンド・トラックの依頼があったのは有名な話である。しかし、フロイドは「2001年ー」のサウンドトラックを担当することはなかった。交渉の中で両者の折り合いが付かなかったからである。『モア』のサウンドトラックの話が来たのはこのキューブリックとの仕事がなくなった直後と言われている。
アルバムの裏ジェケには、『東向き』と『西向き』の2種類がある。