JETHRO TULL

ラミネート・コートされたファースト・アルバム

ジェスロ・タルの前身はイアン・アンダーソンが美術学校時代にイギリスのブラックプールで結成した7人編成のブルース・バンド“ジョン・エヴァンズ・スマッシュ”であった。この時彼らのマネージャーをしていたのは後にクリサリス・レーベルを設立するクリス・ライトであったという。
やがて活動拠点をロンドンに移し暫くすると、イアンとベースのグレン・コーニックを残して他のメンバーは皆ブラックプールへ戻ってしまった。そこで67年、新たに2人は新メンバーを引き入れバンドを結成することになったのだ。
このバンドは名前をコロコロと変え活動していくのだが、最終的に18世紀の実在の農学者の名をとってジェスロ・タルと名乗るようになっていた。このジェスロ・タルは農機具の『鋤(すき)』を発明したと言われる。ジャジャ馬億万長者というテレビ番組にも『ジェスロ』という息子がいたのはどなたもご存知だろう。
メンバーは
イアン・アンダーソン Ian Anderson/ヴォーカル、フルート、ピアノ
ミック・エイブラハムズ Mick Abrahams/ギター、ヴォーカル
クライヴ・バンカー Clive Bunker/ドラムス
グレン・コーニック Glenn Cornick/ベース・ギター

68年にはシングル「Sunshine Day」でデビューするが、まったくあたらなかった。彼らの名を一躍世に知らしめることとなるのは、同年行われた第8回ナショナル・ジャズ・ブルース・フェスティバルへの出演だ。
トラフィック、ティラノザウルス・レックス(T・レックスの前身)などが出演していた同フェスティバルで、彼らは最も大きな反響を呼び、特にイアンのフルートを吹きながら乱舞する姿は、“狂気のフラミンゴ”“狂犬フェイギン”“スピード狂のトスカーニ”などと形容され絶賛を浴びた。
イギリス中で話題のバンドとなった彼らは、この年の秋、すかさずファースト・アルバム「日曜日の印象」をリリースし、見事全英10位のヒットを記録した。
ファースト・アルバム「日曜日の印象」にてグループ名を『JETHRO TOE』とミスプレスされたものがあり、激レア盤として名高い。(PROMOもある)
デビュー・アルバム『日曜日の印象』リリース直後に、ミック・エイブラハムズが脱退するが、ローリング・ストーンズが製作したTVショー「ロックン・ロール・サーカス」への出演が決まっていたため、ブラック・サバスのギタリスト、トニー・アイオミを引き抜き、「ロックン・ロール・サーカス」の収録を乗り切るものの、この仕事のみでトニー・アイオミは脱退しブラック・サバスに復帰することとなり、最終的にはゲッセマネというバンドのギタリストであったマーティン・バレを加入させ、セカンド・アルバム『スタンド・アップ』をリリースする。ブルース以外にも音楽性を大きく拡大させたこのアルバムは全英第1位となる。中でもインスト曲「ブーレ」は注目を集めた。
モノラル盤とステレオ盤がある。モノ盤は超ワイド・スパイン仕様

モノ盤とステレオ盤のレーベル 共にISLANDレーベルの『レッド・アイ・テクスチャー・ピンクレーベル

セカンド・アルバムの『STAND UP』(STEREO盤のみ)

開くと立ち上がる

Iマーク・ピンクレーベル(テクスチャー)