79回目の曲目

新年明けましておめでとうございます。今回は、マーク・ボラン特集です。
マーク・ボランMarc Bolan、1947年9月30日 - 1977年9月16日)は、イギリスのミュージシャン、ギタリスト、作曲家。ロック・バンド、T・レックス のヴォーカリスト・ギタリスト。本名はマーク・フェルド(Mark Feld)。1977年9月16日、ロンドン郊外のバーンズにおいて自動車事故で世を去った。 自動車は愛人のグロリア・ジョーンズ(妻はジューン・チャイルド)が運転しており、ボランは助手席に乗車していた。 事故は車が大破するほど大きかったものの、通常ならば適切な処置を施せば命に別状のない程度の負傷だったが、 病院に運び込まれたボランの身体は負傷そのものよりも長年の薬物による疲弊のため、手術に耐えられる状態でなく 手の施しようがなかったという医者の証言が事故当時を報じたNME誌に掲載されている。 オカルトに凝っていた時期があり、また「僕は30歳まで生きられないだろう」と冗談めかして語っていたと言う話は有名である。結果的に彼が亡くなったのは、30歳の誕生日の2週間前であった。


1.20センチュリー・ボーイ・・・ T・レックス

2.デスデモアナ・・・ ジョンズ・チルドレン

3.デボラ・・・ ティラノザウルス・レックス

4.サラマンダ・パラガンダ・・・ ティラノザウルス・レックス

5.ユニコーン・・・ ティラノザウルス・レックス

6.ワン・インチ・ロック・・・ ティラノザウルス・レックス

7.ライド・ア・ホワイト・スワン・・・ T・レックス

8.サマータイム・ブルース・・・ T・レックス

9.シーガル・ウーマン・・・ T・レックス

10.ホット・ラヴ・・・ T・レックス

11.ゲット・イット・オン・・・ T・レックス

12.ジープスター・・・ T・レックス


1.20センチュリー・ボーイ

『本格科学冒険漫画 20世紀少年』(ほんかくかがくぼうけんまんが 20せいきしょうねん)は、浦沢直樹による日本の漫画。作品名は、T・レックスの楽曲「20センチュリー・ボーイ」に因んだものである。

2.デスデモアナ

サイモンがマネージャーをしていたバンドであるジョンズ・チルドレンにギタリストとコンポーザーとして加入する 。シングル「デスデモーナ」をリリースする 。
BBCが歌詞の内容に問題があるとして放送禁止としたにもかかわらず、人気がありチャート一位となる 。ジョンズ・チルドレンは、ステージの上を走りまわり、時には観衆の中に飛び込むなどの過激なギグを精力的に行う。
ドイツ公演では、観衆が暴動を起こし、警察の装甲車までが出動する騒ぎになった 。マークは6ヶ月もしないうちにジョンズ・チルドレンを脱退 。


3.デボラ



ロックバンドを結成するために、ミュージシャン募集の広告を掲載 。18歳のスティーブ・ターナーというドラマーをメンバーとして迎え、彼にスティーブ・パーグリン・トゥックと名前を改めさせる。
「ペリグリン・トゥック」というのは、トールキンの長編小説「指輪物語」の登場人物からとられた名である 。28歳のベンというベーシストを迎え、ティラノザウルス・レックスを結成 。
結成後すぐに、コベント・ガーデンに行ってライブを行うが、リハーサル不足もあって失敗する 。その後、すぐにバンドは解散する 。
トラック・レコードがジョンズ・チルドレン時代より使っていたエレキギターとアンプを取り上げる 。お金に困り、生活費を得るためにスティーブはドラムセットを売ってしまい、手元には1セットのボンゴしかなかった 。
ティラノザウルス・レックスはアコースティックギターとボンゴだけの2人編成のバンドで再出発した 。マークの良き理解者であるラジオDJのジョン・ピールが、違法ラジオ局でティラノザウルス・レックスの音楽を放送する 。
ティラノザウルス・レックスの新鮮なサウンドアンダーグラウンドで人気を集め、着々とファンを獲得する 。プロデューサーのジョー・ボイドに売り込んでデモ・テープを制作するが、仕上がりに不満があり、エンジニアのトニー・ヴィスコンティをプロデューサーとして迎える 。
リーガル・ソノフォーンと契約をおこなう 。1968年4月 シングル「デボラ」でデビュー 。
「デボラ」がヒットチャートで34位まであがる。


4.サラマンダ・パラガンダ




10月 2ndアルバム「プロフェッツ・シアーズ・アンド・ゼイジズ」をリリース。この頃から年上の女性、ジューン・チャイルドと暮らすようになる 。


5.ユニコーン

1969年1月 ジューンと結婚する 。5月 3rdアルバム「ユニコーン」をリリース。このアルバムよりベースを導入し、エレクトリックサウンドへと移行していく 。6月4thシングル「キング・オブ・ザ・ランブリング・スパイアーズ」をリリース。
初めてアメリカでツアーを行うが失敗 。スティーブがアメリカでドラッグ浸りになり、このツアーを最後に脱退。


6.ワン・インチ・ロック

7月 アルバム「マイ・ピープル・ワー・フェアー・・・・・」をリリース 。8月 2ndシングル「ワン・インチ・ロック」をリリース 。「ワン・インチ・ロック」がヒットチャート28位になる。


7.ライド・ア・ホワイト・スワン

ロンドンに戻った後、画家でタブラ奏者のミッキー・フィンと出会い、ティラノザウルス・レックスの再建を開始する 。エリック・クラプトンの家に滞在し、本格的なギター奏法の伝授を受ける。
1970年1月 5thシングル「バイ・ザ・ライト・オフ・ザ・マジカル・ムーン」をリリース。3月4thアルバム「ベアード・オブ・スターズ」をリリース 。この頃から、エレクトリック・ロック色が濃くなる。
デヴィット・ボウイと出会い、彼のレコーディングに参加 。10月 フライ・レーベルに移籍し、グループ名をT.レックスと改める。10月 シングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」をリリース 。12月 アルバム「T・レックス」をリリース。1971年1月 「ライド・ア・ホワイト・スワン」がチャート2位まで上昇し、シルバー・ディスクに輝く。


8.サマータイム・ブルース

ベースにスティーブ・カーリー、ドラムにビル・リジェンドを迎える。2月 デビュー・ライブを行う。 この時、マークはエレキと金ラメのスーツという姿で登場した。
エレクトリック・バンドへの変革を遂げる。

9.シーガル・ウーマン


10.ホット・ラヴ

2月 シングル「ホット・ラブ」をリリース。「ホット・ラブ」が6週間もの間、チャート1位に輝く。

11.ゲット・イット・オン

7月 シングル「ゲット・イット・オン」をリリース 。「ゲット・イット・オン」も続いてチャート1位に輝く。9月 アルバム「電気の武者」をリリース。
この頃に、ブギーを基調としたギターリフに変則的なコード進行・異様なストリングスアレンジとコーラスワークが組み合わさった、ボラン・ブギーといわれるT.レックスサウンドが完成。「電気の武者」がアルバムチャートで7週連続1位となる。人気がアメリカにも飛び火し、「ゲット・イット・オン」が大ヒットする。


12.ジープスター



11月 シングル「ジープ・スター」をリリース。