ERIC CLAPTON & STEVE WINWOOD JAPAN TOUR 2011

日本の各地で、行われた「エリック・クラプトンとステーヴ・ウインウッド」のコンサートは、どの地でも満員の盛況で、内容もよく、素晴らしいひと時をすごす事が出来ました。演奏された曲の紹介をします。

札幌 11/17(木)北海きたえーる
横浜 11/19(土) 横浜アリーナ
大阪 11/21(月) 大阪城ホール
大阪 11/22(火) 大阪城ホール
福岡 11/24(木) マリンメッセ福岡
広島 11/26(土) 広島グリーンアリーナ
金沢 11/28(月) いしかわ総合スポーツセンター
名古屋 11/30(水) 日本ガイシホール
東京 12/2(金) 日本武道館
東京 12/3(土) 日本武道館
東京 12/6(火) 日本武道館
東京 12/7(水) 日本武道館
東京 12/10(土) 日本武道館




Band Lineup
Eric Clapton – guitar, vocals
Steve Winwood – hammond organ, piano, guitar, vocals
Chris Stainton – keyboards
Willie Weeks – bass
Steve Gadd – drums
Michelle John – backing vocals
Sharon White – backing vocals

下は札幌での曲目リストです。2011年5月26・27日、29・30日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたコンサートが基本となっています。29日には、故ゲーリー・ムーアの追悼を込め、13曲目に"Driftin'"に替わり、”Still Got The Blues”を演奏しています。一時、ゲーリー・ムーアはジャック・ブルースとジンジャー・ベーカーと3人でギグを行いクリームの再結成のきっかけを作りました。ゲーリー・ムーアは2011年2月6日、休暇で滞在中だったスペイン、コスタデルソルのホテルで亡くなりました。58歳でした。
  ロイヤル・アルバート・ホールのコンサート用ポスター

日本では、10曲目が、” Midland Maniac”または、”Pearly Queen”15曲目が” Layla”または、” Wonderful Tonight”になり、アンコールが、” Cocaine”と” Dear Mr.Fantasy ”の順番が入れ違っただけです。


Eric Clapton & Steve Winwood Set List - 17 November 2011
Hokkaido Prefectural Sports Center, Sapporo (JP)
01. Had To Cry Today
02. Low Down
03. After Midnight
04. Presence Of The Lord
05. Glad
06. Well Alright
07. Hoochie Coochie Man
08. While You See A Chance
09. Key To The Highway
10. Midland Maniac or Pearly Queen
11. Crossroads
12. Georgia On My Mind
13. Driftin'
14. That's No Way To Get Along
15. Layla or Wonderful Tonight
16. Can't Find My Way Home
17. Gimme Some Lovin'
18. Voodoo Chile
19. Cocaine
20. Dear Mr.Fantasy (encore)





01. Had To Cry Today

Blind Faith

米国盤セカンド・ジャケ

サイン入りジャケ(コピーです。)

英国盤エクスポート・ジャケ

ブラインド・フェイス時代の曲です。コンサートでは、クラプトンとウインウッドのギターバトルで幕をあけました。
ブラインド・フェイスのメンバーはエリック・クラプトン(g、元ヤードバーズ、クリーム)、ジンジャー・ベイカー(ds、元クリーム)、スティーヴ・ウィンウッド(vo、key、g、元スペンサー・デイヴィス・グループ、トラフィック)、リック・グレッチ(b、元ファミリー)。

クリーム解散後の1968年からクラプトンとウィンウッドがセッションを重ね、後にベイカーとグレッチが参加。1969年6月にロンドンのハイドパークで行われたデビュー・ライブでは当時史上最高の10万人を動員したという。これを皮切りに欧米ツアーを開始し、8月にアルバム『Blind Faith』を発表。アルバムは英米でチャート1位となった。しかしツアー終了後の10月には早くも解散。その活動は半年に満たなかった。リック・グレッチは、1990年に肝臓疾患と脳内出血のために43歳でこの世を去った。

『Blind Faith』収録のゴスペル的な楽曲「Presence Of The Lord」は、クラプトンにとって重要なレパートリーの一つとなり、デレク・アンド・ザ・ドミノス時代やソロに転じてからのライブでもしばしば演奏された。「Can't Find My Way Home」は、ウィンウッドのライブで度々演奏された。

2007年7月、クロスロード・ギター・フェスティバルでクラプトンとウィンウッドが共演して「Presence Of The Lord」「Can't Find My Way Home」「Had To Cry Today」の3曲を演奏し、ブラインド・フェイスの再結成と騒がれた。2008年2月にはマディソン・スクエア・ガーデンで再びクラプトンとウィンウッドが共演して3日間の公演を実現した。さらに、2010年のクロスロード・ギター・フェスティバルにも共演し、今回の日本公演の実現をもたらした。


02. Low Down

J.J. Caleの曲です。1996年の"GUITAR MAN"というアルバムに収録されています。

03.After Midnight


クラプトン初のソロ・アルバム、その名も「Eric Clapton」(1970年 全英13位)に収録されています。これも、J.J. Caleの曲です。


04. Presence Of The Lord

ドイツ盤

コンサート・ポスター(前座は、ロリー・ギャラガーのテイスト)

ブラインド・フェイス時代の曲です。ブラインド・フェイス唯一のアルバムは8月にリリースされ英米ともにチャートの首位を獲得、最初の1週間だけで50万枚以上を売り上げたという。アルバムは6曲中半数を作曲し、全曲でヴォーカルをとっているスティーヴのサウンド指向が強く、クラプトンが「メンバーにスティーヴがいるのなら、リーダーは彼で僕は従うだけ」と発言をしているのにも頷ける内容となっている。
またレコーディングについては、比較的早い時期に完成していた Well All Right と Presence Of The Lord は、1969年2月にロンドンのモーガン・スタジオで、残りの4曲は5〜6月にロンドンのオリンピック・スタジオで行われている。冒頭の Had To Cry Today はスティーヴの作品で、クラプトンとスティーヴのツインギターをフィーチャーしたマイナー調のハードロック・ナンバー。アクースティック・ギターの素朴な音色とファルセット・ヴォイスが魅力の Can't Find My Way Home もスティーヴの単独作で、現在でもなおステージで歌い継がれている名曲。バディ・ホリーのロックンロール Well All Right はアルバム唯一のカヴァーソング。原曲に比べるとかなりパワフルなアレンジが施され、スティーヴの軽やかなピアノプレイが素晴らしい。リック・グレッチ参加前の初期段階の曲でベースもスティーヴが弾いている。スピリチュアルソング風の Presence Of The Lord はクラプトンの作品で、後半でクラプトンのギターソロが炸裂する部分を含めインパクトの強さではアルバム中随一である。クラプトンの自伝によると、この曲の歌い方をスティーヴに色々と指南したところ「俺に歌い方の指示はしないでくれ。それなら自分で歌えばいい!」と言い放ったという興味深いエピソードが語られている。この曲の初期タイトルは Lord Protector だった。グレッチのヴァイオリンを効果的に導入したスティーヴ作 Sea Of Joy は、後期トラフィックサウンドを先取りしたような幻想的な楽想で、スティーヴの研ぎ澄まされたハイトーンヴォーカルを堪能できる。ラストのジンジャー・ベイカー作 Do What You Like は15分を超す長尺ナンバー。前半はヴォーカル入りで主にスティーヴが牽引、後半ジャムセッションに流れ込むとベイカーの白熱したドラムソロを含めて、メンバーのセッション風な演奏が繰り広げられる。ベイカー率いるエアフォースではこの曲のライヴヴァージョンを聴くことができる。
グループの結成が世界中に発信され、期待したアルバムだが、発売当初はコアなファンは、その内容に愕然とした。すでに先は無いと予見したファンもいた・・・

05. Glad

TRAFFICのアルバム"John Barleycorn Must Die"収録のインスト曲。
音楽スタイルは初期トラフィックとかなり異なるが、多種多様な音楽要素の融合を試みるという基本姿勢は相変わらずで、牧歌的でナチュラルな雰囲気と格調高さを保ちながら、フォーク、ジャズ、スワンプのエッセンスを濃厚に振りまいたサウンドを展開している。スティーヴとジムのソングライティングは抜群のコンビネーションを発揮し、クリスの奏でるフルートやサックスも、トラフィックの音世界を形作る重要な役割を果たしている。最小限の人数で最大の成果を生みだしたアルバムであると同時に、トラフィックの作品群のなかでは最も穏やかで英国的な香りのする傑作だ。アルバムジャケットに使われた古めかしいイラストは、英国フォーク&ダンス・ソサエティ所蔵のものとなっている。新生トラフィックは1970年5月、スタッフォードシャーにおける音楽フェスティヴァルで初ライヴを実施、アルバムをリリースした翌8月、ブラインド・フェイスで共演したリック・グレッチをベーシストに迎えアメリカツアーに出発した。

06. Well Alright


   MSGコンサート・ポスター

アイランド・レコードは1969年6月にブラインド・フェイス名義のプロモーション用シングルを500枚プレスしている。これはロンドンにおける自社の住所変更をメディアに知らせるという目的で制作、レーベルには新住所と連絡先が印刷されていた。収録曲は両面とも無題のインストルメンタルだったため Change of address from June 23rd 1969 と呼ばれた。この音源はデラックス版に Change of Address Jam として収録されている。7月には Presence Of The Lord が Can't Find My Way Home とのカップリングで、アメリカにてシングルリリースされた。また1986年のドイツ盤CDには、ブラインド・フェイス名義の未発表曲 Exchange And Mart と Spending All My Days が追加収録されている。この2曲は米国ツアー終了後の10月に、エリック・クラプトン、リック・グレッチ、ジョージ・ハリスンデニー・レイン、トレヴァー・バートンのメンバーで録音された。作曲者クレジットはメンバー4人の連名だが、グレッチのソロアルバム用に録音されたという説が有力。2001年に発売されたブラインド・フェイスのデラックス版には、オリジナルの6曲に加えアウトテイクとジャムセッションがCD2枚に収められている。ディスク1収録の Can't Find My Way Home エレクトリック・ヴァージョンは決定版よりも早い時期に完成しており、デビューコンサートでも演奏されている。クラプトンのギターをフィーチャーしたパワフルなアレンジも聴き応えがある。コンサートのレパートリーだった Sleeping In The Ground はスローブルーズ編を含めた2ヴァージョンを収録、共にアウトテイクとは思えない完成度を誇る。クラプトンが得意とするブルーズ・ギターとスティーヴのソウルフルなヴォーカルの絡みは、ザ・パワーハウスのセッションを再現しているかのようだ。スティーヴのペンによるポップな曲調の小作品 Time Winds は、歌詞を付ける前の試作インストナンバーとして貴重な記録とえいる。メンバー4人のクレジットによる Acoustic Jam は、スティーヴのピアノがリードする15分超えのフリーセッション。ディスク2はグレッチが加入する以前の1969年3月に録音されたセッションで、スティーヴはオルガンのフットペダルでベースパートを兼任、パーカッショニストのガイ・ワーナーを含む4名でプレイしている。同セッションでは Key To The Highway と、ボブ・ディランの One Of Us Must Know (Sooner Or Later) をベースにしたジャムも行われていた。

07. Hoochie Coochie Man


シカゴ・ブルースマンのマディー・ウォーターズの曲です。"Mannish Boy" "I'm A Man"と同パターンの曲で、精力絶倫男を誇示したブルースの定番曲です。ボ・ディドレーは、"I'm A Man"を唄っている。
生前のマディーとロードしていた、Z Z Topによると、楽屋ではいつも一緒にポーカーをやっていたが、マディーの横には、ピストルが置いてあり、ビビッてゲームに集中出来ず、負けてばかりだったとか・・・
08. While You See A Chance

Arc of a Diver
スティーヴ・ウィンウッドのセカンドアルバム。前作は内容的に素晴らしい傑作ではあったが商業的に成功したとはいえず、スタートしたばかりのソロミュージシャンにとっては非常に厳しい立場にあったようだ。スティーヴは「本当に苦境に立たされていた。だから自分に言い聞かせたんだ。もう一枚だけ渾身の力を込めてアルバムを作り、それで成果を出せなければあきらめよう」と当時を振り返っている。そんな過酷な状況下で制作された本作は、結果的には世界的なビッグヒットを記録し、スティーヴのソロキャリアを代表する傑作となった

オープニングを飾る全米チャート7位のヒットを記録した While You See A Chance は、洗練されたポップセンスを感じさせるメロディアスなナンバー。本作からコラボレーションを組むことになった作詞家のウィル・ジェニングスは、この曲は前作の結果に落ち込んだスティーヴを復活させるためのウェイクアップ・コールだと語る。


09. Key To The Highway




この曲を始めて聴いたのは、すでに40年も前、故中村とうようさんが監修した「RCAブルースの古典」の中の、ジャズ・ジラムのヴァージョンです。録音は1940年9月5日で、ジラムのヴォーカルとハープ、ビッグ・ビル・ブルーンジーのギター、アルフレッド・エルキンスまたは、アル・コリンズのベースである。この曲の作者は、一般的にビッグ・ビル・ブルーンジーとされているが、ジラムは自作を主張している。しかし、吹き込み順からみると、ピアニストのチャールズ・セガーが最も早く、ジラムの3カ月前にヴォキャリオンに録音している。シカゴのブルースマン、リトル・ウォルターのヴァージョンも有名。
クラプトンは、1970年にデレク・アンド・ドミノズの「愛しのレイラ」のアルバムに吹き込んでいる。

10. Midland Maniac

1977年6月に発表されたスティーブの1stソロアルバムの中の曲です。1975年に正式にトラフィックを解散し、一人の歌い手としての第一歩を飾る本作品は、レコーディングにはトラフィックのメンバーだったジム・キャパルディが参加しています。スティーブは、作曲の才能は、ずば抜けた物を持っているのですが、作詞は苦手らしく、そこで、トラフィック時代にスティーブの右腕として作詞を担当していたジム・キャパルディが呼ばれたのだと思います。しかし何故か、「MIDLAND MANIAC」では,スティーブ自身初めて、作詞と作曲の両方を行っています。私の知る限りでは,スティーブが作詞と作曲の両方を手掛けた作品は,この「MIDLAND MANIAC」だけです。

10.Pearly Queen

こちらは、トラフィック時代の素晴らしきナンバーです。アルバム"TRAFFIC"に収録されていたが、シングル・カットもされた。




11. Crossroads



今回のライヴでの演奏は、残念ながら、クリームの名演には遠く及びません。すでに、クリームから、40年以上経過しているので、それを望むのは無理かも。LES PAULかSGか335で弾く、クロスロードを見たかった・・・

12. Georgia On My Mind

アメリカ合衆国ジョージア州歌である。
1930年に、「スター・ダスト」でおなじみのホーギー・カーマイケル作曲、ステュアート・ゴレル作詞で発表される。ホーギー・カーマイケルの姉妹のジョージア・カーマイケルのために、歌詞が書かれ、「ジョージア」が州名か人名かあいまいだとされる。1965年発表のカーマイケルの自伝で、バンドリーダーのフランキー・トラムバウアーからアメリカ南部をイメージした "Gorgia" という曲の注文から作られたことが述べられ、ジョージア州をさすことと広く認められている。
レイ・チャールズが、1961年に吹き込み、ミリオンセラーを記録し、代表曲の一つとなる。


13. Driftin'



チャールズ・ブラウンが、1945年、当時人気を博していたナット・キング・コール対抗する形で結成されたジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズにシンガー、ピアニストとして加入。翌年"Driftin' Blues"がR&Bチャート2位のヒットとなる。48年には、チャールズの"Merry Christmas Baby"が同8位を記録するなど、多くのヒットを生んだ。

1975年のライヴ・アルバム『E.C. Was Here』は、それまでギターのヒーローだったクラプトンが70年代後半にかけて歌へ重点を置くようになっていった境界線を示すこととなった。ブラインド・フェイス時代の古い2曲、「Presence of the Lord」と「Can't Find My Way Home」では、クラプトンの魂のこもった精神的な面が現れはじめている。その一方、「Further On Up the Road」では思いきり楽しませてくれる。チャールズ・ブラウンの「Drifting Blues」は11分半のフル・バージョンの新たなリマスター版で、ギター・プレイが実にみごとだ。

14. That's No Way To Get Along


アルバム"CLAPTON"、シェリル・クロウデレク・トラックス等豪華ゲスト人が参加したアルバム。”枯葉(Autumn Leaves)”などのカヴァーが多数収録 。
メンフィスのブルースマン、ロバート・ウィルキンズの曲。ロバート・ウィルキンズと言えば、ローリング・ストーンズの「プロディガル・サン(放蕩息子)」が、アルバム"BEGGARS BANQUET" にて、ストーンズのオリジナルとされ話題をもたらせました。その原曲は宗教的な寓話も含む25コーラス近い長い歌で、ストーンズのバージョンは、その抜粋です。
                                         

15.Layla


レアなプロモのモノ盤


"aciustic Layla"の初出は、これでした。ピック付き


確認出来た中で、”(acoustic) Layla”は、札幌だけです。(ラッキー♪)実はリハでは、エレクトリックバージョンで演っていたと情報あり。(「さばずし」さんより)

クラプトンはブラインド・フェイス解散後にアメリカに留まり、デラニー&ボニー&フレンズと活動を共にする。ここで、アメリカ南部のブルースロックやサザンロックに強い影響を受けたクラプトンは、バンドからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを引き抜き、1970年に結成した。同年に、トム・ダウドをプロデューサーに迎え、アルバム『いとしのレイラ』を発表した。

アルバムには、オールマン・ブラザーズ・バンドデュアン・オールマンもゲスト参加、そのスライドギターは、クラプトンと対等の存在感を示した。彼は、デュアンの演奏に大いに触発され、ツアーにも同行させる。同時にバンドへの正式加入を請うが、断られたことでまたメンバー間の不和が表面化する。1971年、2枚目のアルバムのレコーディング中にクラプトンとゴードンが激しい口論となったことで製作は中止され、バンドは解散した。

その後、メンバーはそれぞれソロやセッションミュージシャンとして活動していくが、クラプトンはデュアン・オールマンのバイク事故やジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死などから精神を病み、ドラッグに溺れ暫く音楽活動から遠ざかり、レイドルは1980年にアルコールとドラッグ中毒により37歳で死去した。ゴードンは70年代後半からドラッグに溺れた上統合失調症を患い、ミュージシャンとしては引退状態となる。その後、1983年に母親を鈍器と刃物で殺害する事件を起こし、殺人罪で懲役16年の判決を受け精神病院に収監される(刑期を過ぎた現在も入院しているため、事実上の終身刑である)などした。




15.Wonderful Tonight

1977年発表のアルバム『Slowhand』の1曲です。
SteveからEricへのリクエストでセットリストへ取り入れたとのことです。

WONDERFUL TONIGHT

Written by ERIC CLAPTON


・・・
日も暮れかかってきてるっていうのに、彼女はまだ何を着ていくか迷ってる
彼女は化粧をして、長いブロンドの髪をといている
それから彼女は僕に聞いたよ、「私どう?」って
だから僕はこう言ったんだ、「うん。今夜はいつにも増して綺麗だよ」
僕たちはパーティーへ出かけた、みんなが僕たちを振り返って見るんだ
僕と並んで歩いてる素敵な女性に見とれてね
そしたら彼女は僕にこう尋ねたよ、「今夜はご機嫌かしら?」って
僕はこう答えたよ、「もちろんさ、今夜はとてもステキな気分だよ」
最高の気分だよ
だって君の瞳に愛の光が灯ってるのがわかったんだから
それにしても不思議なのは
僕がこんなに愛してるってことに君が全く気付いてないことなんだ
家へ帰る時間だけど、少しばかり飲みすぎたみたいだ
僕は車の鍵を彼女に手渡した、家に着くと彼女は僕をベッドまで連れてってくれた
僕は灯りを消しながら彼女にこう囁いたよ
「愛しい人、君はとても素敵だったよ」
「愛しい人、今夜の君はとっても素敵だったよ」・・・


16. Can't Find My Way Home
  米国盤ファーストジャケ

 重量盤

  パロジャケ


MSGポスター(前座は、フリー!そして、ディレニー&ボニー、すでにデレク&ドミノズの影が・・・)

アルバムはアメリカでの発売に際し、ヌードの少女が男性器を連想させる飛行機型のオブジェを持つジャケットが猥褻であるとされ、メンバーの写真仕様のジャケットに変更された。ジャケットをデザインしたボブ・サイドマンによると、オブジェは「人類の創造力の功績とテクノロジーによるその表明であり、知識の木になる実」と説明、また女の子については「無垢だが女性へと成長しつつある少女、生命の木になる実」と解説している。オブジェは王立芸術大学の精密機械技師ミック・ミリガンによって作られた。またエリック・クラプトンがバンド名に採用した Blind Faith という名称は、サイドマンがこのジャケット写真に付けたタイトルでもあり、レコード会社がこのジャケットデザインでのリリースに難色を示した際にサイドマンとの間でもめたようで、結局バンド名はジャケットから省かれることになったという。またオブジェについては、性的なシンボルであると同時に、音楽や生命への近代的・未来的な接近を象徴した飛行機の模型であるという。
当時のヌードの少女は、10才位として、今は、50才を越えた少女はいかに・・・

17. Gimme Some Lovin'

ティーヴィの最初バンド、スペンサー・ディヴィス・グループです。このときスティーヴィは16才です。1967年のヒット曲です。


18. Voodoo Chile

英国でバラバラで発売されたVol.1とVol.2


どんどん、変化・・・


イカシタ写真!

ジミ・ヘンドリクスが生前に発売された2枚組の大傑作アルバム"ELECTRIC LADYLAND"の中の1曲、アルバム中の核となっている。レコーディングは、セッション形式で行われ、トラフィックのスティーヴ、クリス・ウッド、デイヴ・メイスンが参加している。ジェファスン・エアプレインのジャック・キャシディーもベースで参加している。同アルバムの"CROSS TOWN TRAFFIC"の中で、デイヴ・メイスンがコーラスで、"TRAFFIC"の部分を歌っている。

ヘンドリックスは右利き用のストラトキャスターを左右逆さまにして、右手で押弦し、左手で弦を弾いた。つまり左利きの奏法であり、一般的には左利きの人物と認識されている。弦は下に細い1弦、上に太い6弦と、左利き用の順番に張り替えてあった。(アルバート・キングは右利き用に弦を張ったギターを逆に持って弾いていた。)左利きでありながら右利き用のギターを逆さまに使用することで、3つのコントロールノブが上側にくるため、演奏中に左手で自在にノブを操作し音質を変化させるという独特の奏法を生み出すことができたという説もある。ヘンドリックスは晩年に左利き用のギブソンフライングVを所有していたが、上手く使えないからとローディーだったエリック・バレットにそのギターをプレゼントしている。右利き用ギターをひっくり返して使用しているうちに、コントロール部が上に位置していないと上手く弾けなくなっていた(バレットの談話)。バレットはそのギターを後に売却。現在はハードロックカフェに展示されている。
もっとも「ヘンドリックスは本来は右利きだったのではないか」という説も根強く囁かれている。その証拠として、食事や書字の際には右手を使っていたことが挙げられる。『エレクトリック・ジプシー』(ハリー・シャピロ&シーザー・グレビーク)や『ジミヘンドリックスの創作ノート』『天才ジミ・ヘンドリックス ギター革命児の真実』(ジョン・マクダーモット、エディ・クレイマー)など複数の伝記にその様子を写した写真が掲載され、「ジミは字を書く時は右利きだった」と記載されている。さらに父アルも伝記映画や雑誌「エクスワイア」1993年4月号など複数の媒体において、一貫して「ジミは左利きにあこがれがあった」「ボールを投げる時は右手だった」などと証言している(同時に息子ジミがギターを始めた時に、右利きなのに左利きの弾き方をするので直そうとしたという逸話も紹介している)。あえて左手で弾くことで、普通とは違った音を出したかったのではないか、という説もある。以上の点から、少なくともギターは左利き、書字は右利きと、変則的な利き手だったのではないかと推測される。
ただしヘンドリックス本人は、1967年の『Beat Instrumental magazine』掲載の取材で「最初に(右利き用の)ギターを弾いた時、自分は左利きだから違和感を覚えた」と語っている。また『天才ジミ・ヘンドリックス ギター革命児の真実』には、ヘンドリックスは右手でも左手でも書字が可能だったという記述もある。逆に『エレクトリック・ジプシー』では右手でもギターを弾けたと記述されている。


19.Cocaine


JJ Caleの1976年発表のアルバム『Troubadour』の中の1曲。決して、ドラッグ推奨の曲ではありません。アンチ・ドラッグ曲です。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムには、「ヘロイン」という曲が入っていますが、この曲は、ちょっと意味が違います。
日本人が一番好きな楽曲!RSで言うとBrown Suger的な楽曲ですね。メンバーは演奏中、ずっと客席を見渡してます。最後のCocaine!の合唱は、ECファンのお約束で演奏をフレーズ前にやめるんですね。
ドラッグは、やっちゃダメよ。一時の快楽が、身を滅ぼします。地獄へマッさかさま!




20. Dear Mr.Fantasy
米国盤

英国盤

ミスター・ファンタジーことスティーヴ・ウインウッドです。
Mr. fantasyはJim Capaldiの詞なんですね。SteveとJimは運命のコンビでやはり彼がSteveに必要なんです。今年出たJimのアンソロジーCDx4枚組のタイトルは、ずばりDaer Mr.Fantasyです。これはSteveがJimを思い出して歌っているんですよ(最近です)。
感動した!(さばずし」さん談)