41回目の曲目

エリック・クラプトンとスティーヴィー・ウインウッドがやってきます。

やっぱ、CREAM時代が一番かなぁ・・・

1.トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス・・・ ヤードバーズ

2.ハイダウェー・・・ ジョン・メイオールズ・ブルースブレィカーズ・ウイズ・エリック・ク            ラプトン

3.ギミー・サム・ラヴィン・・・ スペンサー・ディヴィス・グループ

4.クロス・ロード・ブルース・・・ ロバート・ジョンスン

5.クロスローズ・・・ パワーハウス

6.クロスローズ・・・ クリーム

7.ペーパー・サン・・・ トラフィック

8.サムシングス・ゴット・ア・ホールド・オヴ・マイ・トゥー・・・ トラフィック
9.ウェル・オール・ライト・・・ バディー・ホリー

10.ノーバディー・ノーズ・ユー・・・ ベッシー・スミス

11.ライムライト・・・ ヴィクター・ヤング・オーケストラ

12.タイム・・・ ブッカーT・アンド・プリシラ・クーリッジ・ジョーンズ

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1.TOO MUCH MONKEY BUSINESS・・・THE YARDBIRDS

FIVE LIVE YARDBIRDSというロンドンのマーキークラブでのライヴ盤が有名ですが、同じ年の64年7月、LIVE BLUESWAILINGというレコードが数年前に発売になりました。この中からFIVE LIVE YARDBIRDSでも演奏している曲ですが、CHUCK BERRYのカバー曲です。
2.HIDEAWAY・・・JOHN MAYALL & THE BLUESBREAKERS WITH ERIC CLAPTON

フレディー・キングのインストのカバーですが、最高のギターを聞かせくれます。レスポールとマーシャルの音です。

3.GIMMIE SOME LOVIN’・・・THE SPENCER DAVIS GROUP

ティーヴィの最初バンド、スペンサー・ディヴィス・グループです。このときスティーヴィは16才です。1967年のヒット曲です。

4.CROSS ROAD BLUES・・・ROBERT JOHNSON

アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった。これが彼について語られる「クロスロード伝説」である。
1936年11月、ジョンソンはテキサス州サンアントニオで初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。1937年6月には二度目のレコーディングのためにダラスに赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この29曲(42テイク)だけである。
翌1938年にジョンソンは27歳で死去したが、彼の死因については諸説あり不明である。「ダンスパーティーで知り合った人妻と不倫をしたため、夫により飲み物にストリキニーネを盛られて毒殺された」、「人妻との情事を夫に目撃されてその場で刺殺された」などの説が知られるが、ジョンソンの妹は病死だったとしている。

5.CROSSROADS・・・THE POWER HOUSE

10代の頃から第一線で活躍していたスティーヴ・ウィンウッドエリック・クラプトンは、お互いに親しい友人同士でギグなどで共演もしていたようだが、公式にレコーディングしたのは、スティーヴがスペンサー・デイヴィス・グループに在籍し、クラプトンがジョン・メイオールとセッションをしていた時期の1966年2月に、エリック・クラプトン&ザ・パワーハウスというユニット名で録音された。
メンバーはベースが後にクリームを結成することになるジャック・ブルース、ドラムズがスペンサー・デイヴィス・グループのピート・ヨーク、ハーモニカがマンフレッド・マンのポール・ジョンズ、ピアノがベン・パーマー。I Want To Know(ポール・ジョンズの妻の名が作曲者クレジットになっている)とロバート・ジョンスン作 Crossroads の2曲で、若き日の研ぎ澄まされたヴォーカルを披露している。メンフィス・スリムの Stepping Out はインストナンバー。クラプトンのインタヴューによると、この時にタイトル不明のスローブルーズが録音されていたらしい。本作はエレクトラ・レコードによるオムニバス盤で、ラヴィン・スプーンフルとポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドを中心に、アル・クーパーやトム・ラッシュなど、の曲が収録されている。

6.CROSSROADS・・・CREAM

クリームによる名演です。音源はライヴでフィルモアと言われていますが、正確には分かりません。ギターはおそらくサイケデリックSGだと思います。
このように『クロスロード』に限らず、クラプトンはロバート・ジョンスンを始め多くのブルースマンの曲を取り上げてブルースそのものを世に知らしめる大きな貢献を果たしてきました。私も最初にロバート・ジョンスンを知ったのはクラプトンのレコードからで、多くの人もそうだと思います。クラプトンの業績は偉大です。

7.PAPER SUN・・・TRAFFIC

ティービーはスペンサー・ディヴィス・グループを抜けた後にTRAFFICというバンドを結成します。デイブ・メイスン、クリス・ウッド、ジム・キャパルディの4人です。デビュー曲です。

8.SOMETHINGS GOT A HOLD OF MY TOE ・・・TRAFFIC
英国盤

米国盤

LAST EXITというアルバムの中の曲ですが、インストです。ここでのギターはスティービーです。

9.WELL ALL RIGHT・・・BUDDY HOLLY

クラプトンとスティーヴィーはドラムのジンジャー・ベーカーとベースのリック・グレッチとブラインド・フェイスというバンドを結成して1枚だけアルバムを製作しています。このアルバムが発売されたときは、正直、みんなガッカリしたものです。期待が大きかったせいです。
その中で、バディー・ホリーの曲をカバーしていますので、オリジナルのバディー・ホリーの曲。
10.NOBODY KNOWS YOU WHEN YOU'RE DOWN AND OUT・・・BESSIE SMITH

この曲は1929年5月15日にアメリカのベッシー・スミスという女性の黒人ブルースシンガーが唄って大ヒットした曲だNobody Knows You When You're Down and Out・・・日本語に訳すとしたら「落ち目になったとたん、どいつもこいつも知らんぷり」・・もっと分かりやすく言えば「金の切れ目が縁の切れ目」といった感じである。
11.LIME LIGHT・・・VICTOR YOUNG AND HIS ORCHESTRA
12.TIME・・・BOKER T.JONES AND PRISCILLA JONES


日本版


英国版

愛しのレイラ』という曲はジョージ・ハリスンの当時の妻だったパティー・ボイドに横恋慕した曲で、ついには自分の妻にしてしまうのですが・・・
序盤はギターリフから始まり、激しいスライドギター演奏の前半とピアノを軸にした穏やかな演奏の終盤という対照的な2つのパートで構成されている。オープニングから鳴り渡る7音からなるリフは、アルバート・キングの「As the Years Go Passing By」の歌メロディを取り入れたものであると言われていますが、実は、このリフはチャップリンのライムライトという映画の曲から取られています。
作詞および前半の作曲をクラプトン、後半のピアノ・イントロが印象的なインストゥルメンタル・パートをドラムのジム・ゴードンが作曲したと言われる。ゴードンがスタジオレコーディングの空き時間に、自身のソロアルバムに入れる為に準備していたこの曲をピアノで演奏していると、それをクラプトンが聴きレイラの後半部分に使いたいと申し出たのが始まり。しかし、元メンバーであるボビー・ウィットロックが後半部について「あれはジムが恋人のリタ・クーリッジから盗んだものだ。クレジットにはリタとジムの共作と書かれるべきだった」と語っている。この時に作曲されたピアノの旋律は、リタの姉であるブッカーTプリシラプリシラが歌う「タイム」で聴くことができる。

その後、メンバーはそれぞれソロやセッションミュージシャンとして活動していくが、クラプトンはデュアンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死などから精神を病み、ドラッグに溺れ暫く音楽活動から遠ざかり、レイドルは1980年にアルコールとドラッグ中毒により37歳で死去した。ゴードンは70年代後半からドラッグに溺れた上統合失調症を患い、ミュージシャンとしては引退状態となる。その後、1983年に母親を鈍器と刃物で殺害する事件を起こし、殺人罪で懲役16年の判決を受け精神病院に収監される(刑期を過ぎた現在も入院しているため、事実上の終身刑である)などした。

ティー・ボイドの自叙伝が発売されましたが、買わなくてもよかったかなぁ・・・(全く読むところがありません。)