THE YOUNG RASCALS

ザ・ラスカルズ (The Rascals) はアメリカ・ニューヨークで1964年に結成されたブルー・アイド・ソウルのバンドである。



当初はザ・ヤング・ラスカルズと名乗り1968年のアルバム「Once Apon A Dream」よりザ・ラスカルズに改めた。1965年から1969年にかけ13曲を全米TOP40へ送り込む大人気を博し"Good Lovin'" (1966), "Groovin'" (1967), "People Got To Be Free(邦題:自由への讃歌)" (1968)などのビルボードNO.1ヒットを持つ。

ヤング・ラスカルズのデビュー・アルバム「ヤング・ラスカルズ」(1966年)は、R&Bのカバー曲がほとんどで、オリジナル曲はわずか一曲だけで、全米ナンバー1ヒットとなった彼らの代表曲「グッド・ラヴィン Good Lovin'」も、ウイルソン・ピケットのカバーでした。


THE YOUNG RASCALS MONO

THE YOUNG RASCALS STEREO

 しかし、セカンド・アルバムの「コレクション Collection」(1967年)では、その比率は半々となり、3枚目のアルバム「グルーヴィン Groovin'」(1967年)ではカバー曲はわずか一曲だけになっていました。彼らは、ビートルズローリング・ストーンズ同様、R&Bのカバー・バンドからオリジナル曲を中心とする本格的ロック・バンドでと変身をとげていったのです。とは言っても、彼らの音楽性の基本がR&Bであることに変わりはありませんでした。
COLLECTIONS MONO

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その証拠に彼らの3枚目のアルバムからのシングル「グルーヴィン Groovin'」は、ポップ・チャートのナンバー1になると同時にR&Bチャートの3位まで上昇するという快挙を成し遂げています。黒人アーティストで両チャートにまたがるヒットを飛ばすことはあっても、白人アーティストがR&Bチャートの上位に進出するというのは非常に珍しいことでした。ところが、この「グルーヴィン」に関しては、多くの黒人たちがこの曲を歌っているのは黒人だと思っていたそうです。けっしてソウルフルにシャウトしているわけではないこの曲が、逆にソウルのフィーリングを強く感じさせたというのは、まさにこのバンドの実力を示すものでしょう。こうして、彼らはその後登場する数多くのブルー・アイド・ソウルのアーティストたちにとって、大きな目標となるのです。

GROOVIN' MONO

GROOVIN' STEREO

フォーシーズンズ、ヤングラスカルズローラ・ニーロらの初期ブルー・アイド・ソウルのアーティストたちに共通するのは何か?
 それは彼らがイタリア系だということです。では、なぜイタリア系が多かったのでしょうか?イタリア人はオペラやカンツォーネなどの歌を歌う文化が盛んであり、それもソウルフルな歌いっぷりが共通しているという説があります。初期のドゥーワップ・グループを見渡しても、確かにイタリア系は多数派でした。その他、イタリア系の音楽家をあげてみると、フランク・シナトラトニー・ベネットディーン・マーチン、テディ・ランダッツォ、ポール・アンカなど、明らかに50〜60年代にはイタリア系が多かったことがわかります。(最近の代表格はやはりマドンナでしょう)


THE GREATEST HITS STERO