24回目の曲目

2010年6月5日(土)15:00〜16:00
AMERICAN ROCK Vol.1 丸2年目の特集です。

ヒョウ皮のふちなし帽・・・ ボブ・ディラン

見張り塔からずっと・・・ ボブ・ディラン

ミセス・ロビンソン・・・ サイモンとガーファンケル

午前5時・・・ ミレニウム

グッド・ヴァイブレーション・・・ ビーチボーイズ

ロードハウス・ブルース・・・ ドアーズ

ギミー・シェルター・・・ グランド・ファンク・レールロード

・ロックン・ロール・・・ ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

ダウン・ブローニー ・・・ズィー・ズィー・トップ

パーチマン・ファーム・・・ カクタス

エクスペクティング・トゥー・フライ・・・ バッファロー・スプリングフィールド

ウィーリン ・・・ リトル・フイート

1. Leopard-Skin Pill-Box Hat - Bob Dylan

2本のストラトの音はディランとロビー・ロバートソンです。アルバムのタイトル『ブロンド・オン・ブロンド』の頭文字は『B・O・B』で文字通り自身の代表作。1966年2・3月にナッシュヴィルで録音されたディラン初の2枚組アルバム。ここからはディラン曰く「水銀のような」サウンドと、めまぐるしく変るイメージの世界が繰り広げられる。
このアルバムの発売直後にディランはウッドストックの自宅近くでバイク事故(トライアンフ)を起こし大怪我を負った。そしてこの狂気の時代は唐突に終わり長い静養期間に入るのである。


2. All Along The Watchtower - Bob Dylan

バイク事故から1年半の沈黙のあと、突如発売されたアルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』に収録。ちなみにタイトルは何の意味もない友人の名前だそうです。前作と同様ナッシュビルで録音されたが、そのサウンドは全く異なり、基本的には生ギターとドラムとベースで録音されている。当時のロック界はビートルズの「サージェント・ペッパー"Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band"」に代表されるようにサイケデリックの嵐が吹き荒れていたが、ディランはそんなシーンからは遠く離れ、カントリー寄りに向っていた。詩の世界も寓話的な歌詞が大半を占め、サウンドとともに当時のロックシーンに衝撃を与えた。
「見張搭からずっと」はジミ・ヘンドリックスがハードにカバーをしてヒットしたが、ディランもこのジミの編曲が気に入り、現在でも自分のアレンジではなく、ジミのアレンジ風に演奏しています。


3. Mrs.Robinson - Simon & Garfankel

ミセス・ロビンソン」には逸話があり、最初ポールがタイトルを「ミセス・ルーズベルト」としてアイデアを絞っていたのを、監督に一喝され、しぶしぶ映画に合わせ内容を書きかえたというのです。だからタイトルを映画にあわせ「ミセス・ロビンソン」としました。しかもこの歌、全部が映画で使われたわけでなく、部分的に、またはポールのギター演奏だけで使用しています。



4. Millenium - 5 A.M.

ソフト・ロックの最高峰として名高いミレニウム。唯一のオリジナル・アルバムである『Begin』(68年)は、その先進過ぎる内容がゆえに商業的成功を収めることはできなかったが、年を経るごとに評価が鰻登りに上がり、現在ではクラシックと呼ばれる名作である。当時のミックスの常識をやぶる音の組み合わせと音像はこの時代には早すぎた。当時莫大な制作費をかけたことでの有名だったこのアルバムはセールス的は惨敗だった。
なぜこれほどのものが売れなかったのかは知る由もないが、カート・ベッチャーとゲイリー・アッシャーと共に作り上げたプログレッシブな音ととろけるような美しいメロディとコーラスワーク、それらのファクターが、当時最先端であった16トラックの録音機材(<コロムビア>が、サイモン&ガーファンクルの『Bookend』と並び最もお金をかけたことで有名)によって最大限に膨張したこの作品は、60年代後半のシーンでも一際、異彩を放っていただろうことは想像に難くない。今、聴いても何の古さも感じない見事な名作アルバムです。私は、よく車の中で聴いています。オープンカーだとモアベターね。


5. Good Vibration - The Beach Boys

ザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表したシングル。バンドにとって最大のヒット曲の1つである。リード・ボーカルは、制作当初はブライアン・ウィルソンが担当したが、最終的にはカール・ウィルソンがリード・ボーカルを担当した形でリリースされた。(もち、オーバーダヴ)アルバム『ペット・サウンズ』(1966年)のためのレコーディング・セッションが行われていた1966年2月18日に、最初のレコーディングが行なわれた。この時のセッションでは、ラリー・ネクテル(オルガン)やハル・ブレイン(ドラムス)、キャロル・ケィ(ベース)等のスタジオ・ミュージシャンが参加している。しかし、ブライアン・ウィルソンの意向により『ペット・サウンズ』には収録されず、複数のスタジオでレコーディングが繰り返され、90時間に及ぶテープを編集して、3分半のマスター・テープが完成された。1966年10月、『ペット・サウンズ』収録のインストゥルメンタル「少しの間」をB面に収録したシングルとしてリリースされると、本国アメリカでは、発売から4日で29万枚以上の売り上げを記録し、全米1位に達し、最終的にはゴールド・ディスクに認定された。イギリスでも、ビーチ・ボーイズとしては初めて全英シングル・チャート1位獲得を果たした。「グッド・ヴァイブレーション」は、『スマイル』に使用予定だった音源の断片を集めたアルバム『スマイリー・スマイル』(1967年)に収録されることとなった。

ブライアン・ウイルソンがスタジオの中で悪戦苦闘を繰り返して、『ペット・サウンズ』のレコーディング中、他のメンバーは来日コンサートを行っていた。あまりの下手な演奏と悪ふざけで、人気は一気に下降線をたどることとなった。ブライアン・ウイルソンも『ペット・サウンズ』の評価の低さに精神的に病み、ビーチボーイズは世間から忘れ去られていく。その後、陽の目を見るのは、1988年、ブライアン以外のメンバーがビーチ・ボーイズ名義で発表した映画『カクテル』の主題歌「ココモ"Kokomo"」が22年ぶりの全米No.1を獲得する大ヒットとなるまで待たなければならなかった。

6. Roadhouse Blues - The Doors

ドアーズの代表作、『ハートに灯をつけて』は盲目の歌手ホセ・フェリシアーノのカバーでも1968年にもヒットしています。
当時、深夜放送のラヂオでどちらの曲もヒットし、よく聴きまたが、オリジナルのドアーズより好きでした。今でもそうです。「ロードハウス・ブルース」が入っているアルバム・ジャケット写真に用いられた「MORRISON HOTEL」は架空の物ではなく、実在する同名のホテルを借りて撮影されました。

7. Gimmie Shelter - Grand Funk Railroad

1971年に激しい雷雨の中で行なわれた後楽園球場での来日公演は、当時のロック伝説のひとつとして語り草になっている。私も見に行っています。マッシュマッカーンが前座でした。むちゃくちゃ、燃えました。ねぇ、HM内田さん。
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8. Rock'n'Roll - Velvet Underground

ルー・リードはアルバム・ヴァージョンを望んだものではないと言っている。後にCDで発売された『Fully Loaded Version』では、ヴァージョン違いが聞けるが、この「ロックン・ロール」はアルバム・ヴァージョンです。テイクに大きな違いはありませんが、レコード音源の方にパワーがあります。

9. Down Brownie - ZZ Top


ZZトップ(ZZ Top)はアメリカ・テキサス出身のロック・バンドで、ZZは"ズィー・ズィー"と読み、"ゼットゼット"とは発音しない。ギターのビリー・ギボンズ (Billy F. Gibbons/Gu./Vo.)、ダスティ・ヒル(Dusty Hill/Ba./Vo.)、フランク・ベアード (Frank Beard/Dr.)の三人からなり、ビリーとダスティの長い髭、サングラスが外見的な特徴。80年代にはMTVのプロモ・ブームを利用してヒット曲を連発、赤いホッド・ロッド(車)とギター&ベース同時回しも同時にトレード・マークとなった。 2009年、オールマン・ブラザース・バンドのニューヨーク・ビーコンシアターのライブにビリー・ギボンズがゲスト出演しています。参加曲は、"Stormy Monday", "Statesboro Blues", "Jesus Just Left Chicago"。ナイスな演奏!

10. Parchman Farm - Cactus


3枚のアルバム ("Cactus"(カクタス)、 "One Way... Or Another"(ワン・ウェイ... オア・アナザー)、 "Restrictions"(リストリクションズ) をリリースした後、 1971年、Jim McCarty が脱退。その直後、Rusty Day が解雇される。4枚目の "'Ot 'N' Sweaty" (汗と熱気) の制作にあたっては、ギターに Werner Fritzschings、キーボードに Duane Hitchings、ヴォーカル Peter French を迎えた。その後、Bogert と Appice は、Jeff Beck とのプロジェクトに参加するために、Cactus を離れる。BB&Aですね。別のメンバーが加入するも、オリジナル・メンバーが一人もいなくなった Cactus はすぐに解散することとなる。
オリジナル・メンバーの一人であるヴォーカルのラスティー・デイは、音楽活動が低迷してから麻薬の売買にかかわっていたらしく、1982年に麻薬事件に巻き込まれて射殺された。ロッカーらしいフリーキーな生涯ですが、まねをしちゃぁダメよ。


11. Expecting To Fly - Baffallo Springfield

グループ結成のきっかけとなったのは、交通渋滞にまきこまれた路上でスティルスとヤングがばったり再会したこと。のちに「ロック界の伝説」として語られるエピソードのひとつである。(本当ならね。)
ティーヴン・スティルスニール・ヤングが対立しているというのは、本当かも知れないが、仲良しだと思う。お互いにライバル意識を持って、切磋琢磨したのでしょう。この曲は名作だと思う。勿論、CSN&Yも含めての話です。ジャケ写真は、モノラル盤とステレオ盤です。



12. Willin' - Little Feat

彼らの初期の代表曲となる「Willin'」です。この初演ヴァージョンはファースト・アルバムに入っています。バンド・スタイルではなく、ローウェル・ジョージライ・クーダーの二人のギターだけをバックにした弾き語りに近いスタイルとなっています。その後、セカンド・アルバムではバンド・スタイルで再演しています。こちらのヴァージョンもいいです。フリーキーなハード・トラッキン・ドライヴァーの悲哀と心意気を描いた曲です。
ファースト・アルバムはサインだらけのと未開封のMFSL盤です。リトル・フイートは、セカンド・アルバムからネオン・パークの作品を使ったジャケットが特徴となっています。うまへたの部類だと思うけど、ギャートルズ的ユーモアとシュールさが面白い。「マリリン・ダック」のサイン入りポスターを持ってますが、筋力が低下する難病にかかったようで、消えゆるような弱い一筆です。

ここからは、放送でかからなかった曲です。

It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry - Bob Dylan

日本題は「悲しみは果てしなく」といいますが、いいセンスです。レコード・ジャケットが最高です。

Both Side Now - Joni Mitchell

日本題は「青春の光と影」といいます。これもいいセンスです。ジョニ・ミッチェルは1943年生まれで本名はロバータ・ジョーン・アンダースン。1965年のプロ・デビュー前後にフォーク・シンガーのチャック・ミッチェルと結婚して以降ジョニ・ミッチェルを名乗っている。
ジョニ・ミッチェルは、歌手として以上に作曲家として注目され、1968年にはジュディ・コリンズ / Judy Collins が "Both side now" を大ヒットさせた。1969年に開かれたウッドストック・フェスティヴァルのために "Woodstock" を作曲し、翌年クロズビー・スティルス・アンド・ナッシュのヒットとなった。

また、"Woodstock" は、第2期フェアポート・コンヴェンション / Fairport Convention を脱退したイアン・マシューズ / Ian Matthews が1970年にマシューズ・サザーン・コンフォート / Matthews Southern Comfort でヒットさせた。フェアポート・コンヴェンション / Fairport Convention はジョー・ボイド / Joe Boyd の紹介でジョニ・ミッチェルの曲を6曲録音している。
"Chelsea morning" (ジュディ・ダイブル / Judy Dyble の時期)
"Both side now" (ジュディ・ダイブル / Judy Dyble の時期)
"I don't know where I stand" (ジュディ・ダイブル / Judy Dyble とサンディ・デニー / Sandy Denny の両方)
"Marcie" (サンディ・デニー / Sandy Denny のみ)
"Night in the city" (サンディ・デニー / Sandy Denny のみ)
"Eastern rain" (サンディ・デニー / Sandy Denny のみ)


Somebody To Love - Great Society
Somebody To Love - Jefferson Airplane

グレイト・ソサエティの「サムバディ・トゥ・ラヴ」は2ヴァージョンあります。ライヴ・ヴァージョンとスタジオ・ヴァージョンです。
「ホワイト・ラビット」も作品としてライヴ・レコーディングされていて、グレース・スリックの才能は早くに開花したようです。

Born On The Bayou - Cleedence Clearwater Revival

彼らのバンド名の由来ですが、"Creedence"は彼らの友人の名前、そして"Clearwater"は当時流行っていたビールのCMからのパクリで、"Revival"は活動休止状態からの復活宣言だったからつけられたということだったようです。バンド名の由来はどうあれ、彼らはこのバンド名にしたとたん突然時代の波に乗ってしまいます。
デビュー曲となった「スージーQ ”Sugie Q”」(1968年)はディル・ホーキンスの曲で、名ギタリスト、ジェイムス・バートンによるギター・リフを使用したスワンプ・ロックンロールの名曲のカバーでしたが、いきなり全米11位のヒットとなりました。さらに1969年の「プラウド・メアリー ”Proud Mary”」は全米2位のヒットとなり、ビートルズの全米制覇に対抗できる数少ないアメリカン・ロック・バンドとして、人気を高めて行きました。さらに、この曲は彼らにとって最初のスワンプ・ロック・ナンバーでもありました。このケイジャン風で土の香りのするサウンドは、この後、バンドの解散からジョンのソロ活動に至るまで続くことになります。実際は、カリフォルニアのシティー・ボーイだったのですが、かつてはイギリスからやって来たバンドを装っていた彼らは、この後ずっと南部からやって来たバンドを装って行くことになったわけです。
邦題:『驚異のニュー・ロック・サウンド C.C.R登場』日本ではデヴュー・アルバムとなったこのセカンド・アルバムが、実はレコードのA・B面と、ジャケットの表裏までがオリジナルと逆になっていました。

Fun House - The Stooges

ボーカルのイギー・ポップIggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)、ドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)、ベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって1967年に結成。1969年に、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケイルのプロデュースにより、ファースト・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』(The Stooges)を発表。商業的には成功しなかったが、MC5と並んでガレージ・ロック(オリジナル・パンク)の代表的存在となった。
1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウス』(Fun House)を発表。その後、デイヴが解雇され、ジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジェームズ・レッカ(James Recca)に交代したり、サックスのスティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)を加えたり、第2ギターとしてビリー・チータム(Billy Cheatham)が参加し、すぐにジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に代わったりと、目まぐるしくメンバーが入れ替わった。この時期、イギーを筆頭に、ロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、数か月の活動休止を余儀なくされた。

Mississippi Queen - Mountain

マウンテン (Mountain) は、アメリカのハードロックバンド。 1969年、アルバム『Leslie West/Mountain』でデビュー。グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)とともに、70年代アメリカンハードロックの代表的なバンドとして知られる。1970年に事実上のデビューアルバム「勝利への登攀」を発表。映画「バニシング・ポイント」の挿入曲にもなった「ミシシッピ・クィーン ”Mississippi Queen”」がヒットする。この曲は、フジテレビの番組「ひらけ!ポンキッキ」の中でかなりの間使われていた。
あのジェフベックがトリを勤めたワールドロック・フェスティバルの札幌公演(真駒内アリーナ)でフェリック・スパッパラルディが『ナンタケット・スレイライド』をやりました。夫婦喧嘩の行き過ぎじゃないだろうけど、奥さんにピストルで撃たれたというニュースはかなりショックでした。真相はどうだったんだろうか?

Who Loves The Sun - Velvet Underground

このヴァージョンは『Fully Loaded Version』(CD)からです。オリジナルのヴァージョンとはエンディング部がかなり違います。他に「スィート・ジェーン”Sweet Jane”」なんかも違います。
「LOADED」というアルバムは、ジャケット違いも含めていろいろとマニアックなアイテムがあります。ファースト・アルバムの「VELVET UNDERGROUNG & NICO」にはかないませんが。

Payday - Jessie Winchester
Bland New Tennessie Waltz - Jessie Winchester

レーベルのAMPEXというとオープンリール・テープのメーカーとして有名です。唯一のレコードがこのジェシ・ウィンチェスター盤です。
ヴェトナム戦争で戦うことを拒否してカナダに渡ったアメリカ南部人がいた。それがシンガー・ソングライタージェシ・ウィンチェスターだ。彼は、カナダにてロビー・ロバートソン(ザ・バンド)をプロデュースに迎え1枚のアルバムを完成させた。―『ジェシ・ウィンチェスター』(70年)は、商業的な成功こそ収めることができなかったが、今も根強い人気を誇っている名盤だ。