23回目の曲目

2010年5月1日(土)  15:00〜16:00
MOTOWN特集です。Black Musicに詳しい札幌の昔からの友人、若宮明彦さんがゲスト出演です。

マネー・・・ バレット・ストロング

ユーヴ・リアリー・ゴット・ア・ホールド・オン・ミー・・・ スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ

ヒート・ウェイブ ・・・マーサ・アンド・ザ・バンデラス

キャン・アイ・ゲット・ア・ウィットネス・・・ マービン・ゲィ

カム・シー・アバウト・ミー・・・ ザ・スプリームス

ザ・ウェー・ユー・ドゥー・ザ・スイングス・ユー・ドゥー・・・ テンプテーションズ

恋のパンチ・・・ メリー・ウェルズ

ダンシング・イン・ザ・ストリート・・・ マーサ・アンド・ザ・バンデラス

ショットガン・・・ ジュニア・ウォーカーとオール・スターズ

セイム・オールド・ソング・・・ フォートップス

ラブ・チャイルド ・・・ザ・スプリームス


ホワッツ・ゴーイング・オン・・・ マーヴィン・ゲィ


ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー・・・ブレンダ・ハロウェー




1.Money - Barrett Strong
モータウン創始者Berry Gordy Jr.の友人であり、モータウンと最初に契約し、最初のヒットを出したのが、Barrett Strongである。レコ−ド番号はTamla54027という大きな数字だった。41年ミシシッピー州に生まれ、デトロイトに移る。自身のヒットは「Money」のみだが、Norman Whitfieldと組んで数多くのヒット曲を書いた。「悲しいうわさ」(Marvin Gaye、Gladys Knight & The Pips)、「黒い戦争」(Edwin Starr)、「時には微笑を」(Undisputed Truth)、「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」(Temptations)等。
BEATLESのセカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」の「MONEY」の音楽出版社の名前に「Jobete」と「Dominion」があるのは承知のごとくです。

2.You've Really Got A Hold On Me - Smokey Robinson & The Miracles
1962年末に発表された「ユーヴ・リアリー・ゴット・ア・ホールド・オン・ミー」は、R&Bチャート1位を獲得し、この曲はビートルズにもカヴァーされた。

3.Heat Wave - Martha & The Vandellas
Martha Reevesを中心に結成された3人組であり、1962年にデビューして1972年に解散した。この間チャート入りしたヒット曲はポップチャート23曲、R&Bチャート24曲であり、Supremesに次ぐ成功を収めたガールグループと言える。多くの曲は無敵のソングライティング・トリオH-D-Hによるものだ。H-D-Hは、Brian Holland、Lamont Dozier、Edward Holland,Jr.の3人の頭文字をとったものであり、Vandellas以外にもSupremes、Miracles、Four Tops、Temptations等モータウンの看板グループの代表曲を数多く手掛けた。

4.Can I Get A Witness - Marvin Gaye
モータウンに所属していた初めのうちはドラマーとしても活動しており、同レーベルに属した優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか"I Heard It Through the Grapevine"(「悲しいうわさ」)、"Can I Get a Witness"(「キェン・アイ・ゲット・ア・ウィッネス」)、"How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(「ハウ・スウィート・イット・イズ」)などのヒットシングルを生み出した。

5.Come See About Me - The Supremes
64年「モータウン」での10枚目のシングルで、ポップ・チャート1位/R&B・チャート3位を記録したベスト・トラックです。「H=D=H」チーム制作によるミッドテンポのR&Bで、アフター・ビートに重心を置いたベース・ラインが、重たくグルーヴするポップ・タイプのアーリー・ソウル名作です。

6.The Way You Do The Things You Do - The Temptations
1961年にモータウンからデビュー。当時のメンバーはオーティス・ウィリアムス、メルヴィン・フランクリン、エディ・ケンドリックス、ポール・ウィリアムス、エルブリッジ・ブライアントの5人。1964年、エルブリッジの後任としてデヴィッド・ラフィンが加入、いわゆる黄金時代となる。スモーキー・ロビンソンとロナルド・ホワイトが作り、デヴィッドがリード・ヴォーカルを担当した「マイ・ガール」が、全米チャート1位に輝いた。その後もヒット曲を量産。この曲は11か月前の曲です。初めての彼らのヒット曲でした。リード・ボーカルはエディー・ケンドリックスですが、ソフトでシャープな唄い方がおしゃれです。

7.You Beat Me To The Punch - Mary Wells
初期モータウン社を代表するR&B歌姫『メアリー・ウェルズ』。62年「モータウン」での5枚目のシングルで、後に「ジーン・チャンドラー / You Threw A Lucky Punch」のアンサー・ソングにもなった「スモーキー・ロビンソン」プロデュースの初期の名品。バック・バンドも渋さも聴き応え十分な定番ナンバー。


8.Dancing In The Street - Martha & The Vandellas
64年「ゴーディー」での7枚目のシングルで、ポップ・チャート2位/R&B・チャート2位を記録した彼女達最大のヒット曲で、「ウィリアムズ“ミッキー”ロビンソン」プロデュース+コンポースで、「マーヴィン・ゲイ」との競作です。元々「キム・ウェストン」に提供予定だった曲。モータウン社オーナーの「ベリー・ゴーディー・Jr.」自身もこの曲の完成度の高さに驚いたと回想していた名作です。このサウンドの迫力は、「フィル・スペクター」のそれとはまた違う画期的なものでした。85年「デイヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガー」のデュエット・カバーでも知られる作品のオリジナル・バージョンです。ノーザン・ビートのモータウン・ゴールデン・クラシックス


9.Shotgun - Jr. Walker & The All Stars
正確に言えばJunior Walkerは愛称で、Autry DeWalt2世が正しいのですが、Oscar G. Mixon として知られた時期もありました。たまに見る表記、両方を混合したAutry DeWalt Mixon が間違いであることは確かなようです。ちなみに作曲家としてのクレジットは全て本名Autry DeWaltです。

10.It's The Same Old Song - The Four Tops
ジョエル(監督・共同脚本)&イーサン(製作・共同脚本)のコーエン兄弟のデビュー作「ブラッド・シンプル」の「裏」テーマ曲。しかし、このドラムはハル・ブレインで、ベースはキャロル・ケィに間違いないだろう。

11.Love Child - The Supremes
メロディはキャッチーで、歌詞も最後はラヴソングですが、その中で語られる女性・ラブ・チャイルドのおいたちは悲惨です。スプリームズの、それまでの明るくクリーンなイメージからの脱却となりました。公民権運動をはじめとする時代の波がモータウンにも及んできたのです。
この曲は、ビートルズThe Beatlesの「ヘイ・ジュード Hey Jude」を蹴落として1位に輝きました。

12.What's Going On - Marvin Gaye
1971年、アルバムWhat's Going On(『ホワッツ・ゴーイン・オン)』を発表する。華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲やMercy Mercy Me(「マーシーマーシー・ミー」)も大ヒットを記録する。音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの熱唱であった。当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人アーティストに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイスティーヴィー・ワンダーカーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことになり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも十分に受け継がれている。


13.You 've Made Me So Very Happy - Brenda Holloway
この曲のオリジナルを唄ったのはブレンダ・ハロウェイというモータウンの女性アーティストだ。ブラッド・スウェット&ティアーズで世間一般にはよく知られているこの曲も、元はモータウンの曲だった。 このブレンダ・ハロウェイというミュージシャン、特大ヒットは飛ばしているわけではないので、モータウン・アーティストの中ではあまり目立たない存在である。シュープリームステンプスを好きな人でも、ひょっとしたら彼女のことを知らない人もいるかもしれない。しかし、この人はたいへん魅力的なアーティストだ。通の人にはファンが多い。モータウンの女性歌手というと、極論的なことをいうと大量生産工場とも称されたモータウンのアップダウンシステムの中に組み入れられて、もらった曲をパフォーマンスするだけの歌手といった色彩が濃い。スモーキー・ロビンソンマーヴィン・ゲイスティービー・ワンダーなどのように作曲もプロデュースもこなすようなアーティストは、女性歌手にはほとんどいない。ダイアナ・ロスやマーサー・リーブス、メアリー・ウェルズのような大歌手でさえ、究極的に見れば、このアップダウンシステムの中にある。そんなモータウン女性歌手の中で、ブレンダ・ハロウェイはほとんど唯一ともいえる作曲をもこなせる存在だった。モータウンの輝ける表の歴史の中では忘れ去られた歌手だが、非常に音楽的才能にあふれた本物のアーティストで、いぶし銀の存在観を持っている。
 彼女は1946年にカリフォルニア州のロサンゼルスとサンフランシスコの間くらいにあるアタスカデロで生まれている。2歳の時に実妹のこれまたモータウンアーティストとなったパトリース・ハロウェイが生まれる直前にロスに引っ越し、姉妹はロスで育っていくことになる。ハロウェイ姉妹を語るとき、このロスで育ったということが重要な意味を持ってくる。モータウンといえばもちろん本拠地は自動車産業が盛んだったミシガン州デトロイトであり、70年代以前のモータウン所属アーティストの多くはほとんどデトロイト周辺を中心とする北部が出身地となっている。このハロウェイ兄弟はモータウン所属ながらも北部の出身ではないのである。
 彼女のモータウン時代の曲を集めたベストアルバム『The Best of Brenda Holloway』(『Very Best of Brenda Holloway』(1999年)のミレニアムシリーズ盤)が、モータウンレーベルから発売されたが、このライナーノーツでは彼女のことを「The first Motown Artist to be based in Los Angeles, Brenda carves a different Motown Sound ; passionate ballads and sultry grooves that complement her plaintive voice and gorgeous frame.」と紹介している。ここで注目しなければならないのは「based in Los Angeles」と書かれていることだ。モータウンサウンドは一般的にデトロイトの“ヒッツヴィルUSA”というスタジオで製作された音楽のことをいう。1972年にデトロイトを捨ててモータウン社全体がロサンゼルスに移転するまでは、デトロイトの“ヒッツヴィルUSA”はモータウンの象徴であり、サウンドそのものであった(『永遠のモータウン』参照)。これはもはや伝説化している話だ。ここでブレンダというアーティストの存在に注目してほしい。彼女がモータウンに所属していたのは1964年から68年までの4年間なのである。彼女が所属したこの期間はモータウンデトロイトの“ヒッツヴィルUSA”にあった。ロスに全面的に移ったのは1972年で、彼女はそれ以前に活動していたのにもかかわらず、1999年に書かれたプロフィールには「based in Los Angeles」と紹介されているのである。つまり、ブレンダは60年代中盤からモータウン所属であるにもかかわらず、ロスで活動していたアーティストなのだ。このことは実はアメリカの音楽史の中では、非常に衝撃的な事実なのである。
 モータウンはこれまではロスに会社機能を移しはじめたのは少なくとも60年代終盤になってからとされていた。しかし、ブレンダの1964年に行われた彼女のモータウンでの最初のレコーディング曲となったフランク・ウィルソン作の「Sad Song」と「Together 'til the End of Time」は『The Best of Brenda Holloway』のライナーによればロスで行われていたのである。このライナーは彼女自身が書いており、その中で彼女がロスで録音したと回想している。これはモータウンの歴史上、ロスでの最初の録音であるとされている。つまり64年の時点でモータウンはすでにロスに進出していたのだ。ブレンダはその後もロスを中心にレコーディングを行っていくことになり、それゆえ「The first Motown Artist to be based in Los Angeles」と紹介されている。モータウンが70年以前にロスで活動していたというのは、実はこれまでほとんど語られていないことだった。それはデトロイトの“ヒッツヴィルUSA”が輝ける歴史を作ったモータウンサウンドの代名詞として定着してしまっていたため、ロスでも作っていたという事実は隠匿されることになっていたからだ。
 アメリカは「メンフィス・サウンド」「マスル・ショーズ・サウンド」「フィアデルフィア・サウンド」などと、これらの音楽を作り出したスタジオのあるご当地の名前を冠して、そこで作り出された一定の傾向のある音楽を親しみを込めて「○○サウンド」と呼ぶ。「モータウンサウンド」ももちろんデトロイトの別称「モーター・タウン(自動車産業の街)」から来ているもので、「メンフィス・サウンド」と何の代わりもないご当地に因んだ呼称だ。ここで考えてみてほしい。「モータウンサウンド」がデトロイトではなく、もしロスで製作されていたら、モータウンという呼称はおかしいともなりかねない。“ヒッツヴィルUSA”の音こそがモータウンであったから、そのスタジオではないロスで製作されたことが公にされれば、それはモータウンアイデンティティにもかかわることだったのだろう。ベリー・ゴーディーが経営するモータウンは良く悪くもビジネスに徹していたレーベルだったので、自社イメージを損なうことになりかねないロス録音の事実は公に語られなかったのである。著作権も確立されたばかりでレコーディングデータなどがまだまだ重要視されていない時代だったから、こんなウルトラCもまかり通っていたのである。
 この事実は実はこれまでもいろいろな人が指摘しており、移転以前からロスでレコーディングが行われていたことは、公然の秘密となっていた。デトロイトでは1967年に12番街暴動と呼ばれる大規模な暴動が発生し、43人の死者、7500人の逮捕者が出て、2000ものビルが焼き討ちされるという事件が起こった。これでベリー・ゴーディーがデトロイトに失望し、翌68年から徐々にロスにモータウンの本拠を移す作業が始められていたとされる。このころからロス録音は知られ始めていたが、ブレンダはそれ以前からロスで活動していたわけで、モータウンは彼女たちによって築かれたベースに移転していったことになる。ロスのレコーディングにかかわったミュージシャンがその事実をほのめかしたり、デトロイトでの活動歴がないのに自分の経歴に“ヒッツヴィルUSA”発とされるモータウンの曲で演奏していたことが載せられたりして、事実が次第に明らかにされていくことになる。モータウンサイドも20世紀終盤になって、その事実を認めはじめている。『The Best of Brenda Holloway』はモータウン・レーベルが2003年に出しているCDだが、その中でブレンダの言葉を介して大ぴらにあっけらかんとロス録音を認めているわけで、これはモータウンを知るものにとってはかなりの衝撃だった。http://www.addmoremusic.net/Motown/mot_toc.html  モータウン・ミステリー――ヒッツヴィルUSAはどこにあったのか?――

ここからはON AIR 出来なかった曲です。

Twist And Shout - The Isley Brothers
「ツイスト・アンド・シャウト」の作者はバート・ラッセル・バーンズ(Bert Russel Berns)とフィル・メドレー(Phil Medley)。1962年にアイズレー・ブラザーズがこの曲をリリースしてヒットさせており、彼らをオリジナル・アーティストとする資料も多くあるが、実は、最初にこの曲をリリースしたのは彼らではなく、アトランティック・レコードに所属していたトップ・ノーツというグループ。1961年、フィル・スペクターのプロデュースでリリースしたのが最初である。本作はビートルズがカバーしたことによって一躍著名になった。アイズレー・ブラザーズは、1950年代にヴォーカル・グループとして結成され、1959年にShoutをヒットさせる。その後、"Twist and Shout"などをチャートに送り込み、1960年代半ばには無名だったジミ・ヘンドリックスをツアー・メンバーに加え、ステージだけではなく、レコーディングにも参加させている。

Please Mr. Postman - The Marvelettes
ビルボード誌では、1961年12月11日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1961年年間ランキングは第19位。モータウン・レコードで、最初のビルボード誌シングル・チャート全米ナンバーワン曲となった。マーヴェレッツにとってはデビュー曲での快挙だった。原案を作ったのは、デビュー前にマーヴェレッツを脱退することになるジョージア・ドビンスで、クレジットは"Dobbins-Garrett-Garman-Brianbert"となっている("Brianbert"とは、Brian HollandとRobert Batemanのプロデューサー・コンビとしての名義)。この曲はマーヴェレッツのリードシンガー、グラディス・ホートン(Gladys Horton)が戦地に赴いた恋人からの手紙を待つ気持ちを歌い上げている。

Shop Around - Smokey Robinson & The Miracles
1960年、スモーキーとゴーディが共作した「ショップ・アラウンド」がR&Bチャートの1位に輝く。

Where Did Our Love Go - The Supremes
彼女達をモデルとしたミュージカル「ドリームガールズ」が、1981年に初演。2006年には、映画版「ドリームガールズ」が公開された。ダイアナをモデルとしたディーナ・ジョーンズ役に、ビヨンセ・ノウルズ、フローレンス・バラードをモデルとしたエフィ・ホワイト役にジェニファー・ハドソン、メアリー・ウィルソンをモデルとしたローレル・ロビンソン役にアニカ・ノニ・ローズ、シンディ・バードソングをモデルとしたミシェル・モリス役にシャロン・リールが配役。 なお、スプリームスを売り出した、モータウンの創設者ベリー・ゴーディ・ジュニアをモデルとしたカーティス・テイラー・ジュニア役にジェイミー・フォックスが配役されている。

I'll Try Something New - Smokey Robinson & The Miracles
初期のスモーキー・アンド・ザ・ミラクルズの曲に駄作は無く、どれも傑作です。

I Can't Help Myself - The Four Tops
ミシガン州デトロイトの高校に通う仲間で結成。当初はフォー・エイムスを名乗る。1956年にチェス・レコードと契約したのを機にフォー・トップスと改名した。しばらくはヒットに恵まれずレコード会社を転々とし、1963年にベリー・ゴーディ・ジュニアに見出され、モータウンと契約する。
モータウン移籍後は所属作曲家チームのホーランド=ドジャー=ホーランドの力もあってヒットが出るようになり、1965年に「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ(シュガーパイ、ハニーバンチ)」の全米1位ヒットを放った。翌1966年にも「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」が全米1位を記録。両曲ともモータウン・クラシックとして現在に至るまで長く親しまれている。

Going To A- Go Go - Smokey Robinson & The Miracles
ラクルズでの歌手活動だけでなく、ソングライターとしてもザ・テンプテーションズ、フォー・トップス、マーヴィン・ゲイら所属アーティストに多くの楽曲を提供、61年からは副社長の肩書きを得てゴーディと二人三脚でモータウンをもり立てていく。88年にモータウンがMCAレコードに売却されると90年に会社を離れ、しばらくの間表舞台から遠ざかっていた。99年にモータウン・レーベルに復帰し、現在も活動を続けている。

It's A Shame - The Spinners
「The Spinners」の、この曲をカヴァーしたアーティストは下記のとおりです。イントロのギターが最高にイカしている。
Alton Ellis (197?)
Delroy Wilson (1998) ・
G.C. Cameron (1996)
Grandmaster Flash (1996)

I Heard It Through The Grapevine - Marvin Gaye
1960年代のMarvin Gayeを代表する作品で、タイトル曲"I Heard It through the Grapevine"はMarvin Gayeのソロでは、初めて全米ポップチャートで1位を取った作品。The Temptations等のプロデューサーとして有名な、Norman Whitfieldが創ったこの曲はこれまでのMarvin Gayeにない斬新でファンキーさが溢れる画期的な作品となった。
ちなみに、元々このアルバムは"In The Groove"というタイトルで発売されていたのだけれど、"I Heard It through the Grapevine"がヒットした為、急遽アルバムタイトルとジャケットを変更して再度売り出されたという経緯がある。


Superstition - Stevie Wonder
Lookin' For Another Pure Love - Stevie Wonder
ベック・ボガート & アピスに提供した「迷信(Superstition)」は彼らがリリースするより先にスティーヴィー自身のヴァージョンが全米No.1になってしまい、彼らは割り切れない気持ちになったといわれる。スティーヴィーは後日、ジェフ・ベックのために「哀しみの恋人達(Cause We've Ended As Lovers)」を書き下ろし、仲直りしたという話もある。LOOKIN' FOR ANOTHER PURE LOVEにはJeff Beckがギターで登場。

Here Comes The Judge - Shorty Long
SOULレーベルから2枚のアルバムを発表している。シンガー兼ピアニスト。また、ソングライターでもある。「Here Comes The Judge」は68年にR&Bチャート4位に。

Night Life - Luther Allison
Delmarkから出たアルバムで知った人です。B.B.Kingフォロワー的存在です。Motownから発売された時は驚きでした。選曲はソウルとブルース、あとニューオリンズのドンこと「アラン・トゥーサン」の曲やドクター・ジョンの曲などです。レイ・チャールズやタイロン・デイビスの曲もかなり歌えていて良いですし、デビット・ニューマンやブレッカー・ブラザースと言ったジャズ・フュージョン系のバックも良いです。
ルーサー・アリスンらしい、ギターの弾きまくりはそれほど無いですが、要所には良い感じでソロを入れています。すでに故人ですが、来日しました。札幌にも来ました。