88回目の曲目

カバー曲とオリジナル曲の共演です。



1.悪魔とモリー ・・・ミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ

2.青いドレスの悪魔・・・ ショーティー・ロング

3.グッド・ゴリー・ミス・モリー・・・ リトル・リチャード

4.キープ・ミー・ハンギング・オン・・・ バニラ・ファッジ

5.キープ・ミー・ハンギング・オン・・・ シュプリームス

6.ショットガン・・・ バニラ・ファッジ

7.ショットガン・・・ ジュニア・ウォーカーとオール・スターズ

8.パーチマン・ファーム・・・ カクタス

9.パーチマン・ファーム・・・ モーズ・アリスン

10.ジェフズ・ブギー・・・ ベック・ボガート・アピス

11.ギター・ブギー・・・ チャック・ベリー

12.迷信 ・・・ベック・ボガート・アピス

13.迷信・・・ スティービー・ワンダー









1.悪魔とモリー ・・・ミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ
2.青いドレスの悪魔・・・ ショーティー・ロング
3.グッド・ゴリー・ミス・モリー・・・ リトル・リチャード




モノ盤

ステレオ盤




フレディ・キャノンやフォー・シーズンズのプロデューサーであったボブ・クルーのアイデアで特徴的なのは、ハードなロックのアレンジの中に黒人のR&Bのヒット曲のメドレーをねじ込むというものでした。グループ名をビリー・リー&ザ・リヴィエラズからミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズと名前を変えた彼等のヒット曲のうち、Jenny Take a Ride (チャック・ウィリスの C. C. Rider とリトル・リチャードの Jenny, Jenny)や Too Many Fish in The Sea & Three Little Fishes (マーベレッツの曲と昔の童謡で可愛い声のミルドレッド・ベイリーのような歌手が歌っています)などがそうです。一番有名な曲がショーティ・ロングの曲とリトル・リチャードの曲のメドレー、66年の大ヒット・ナンバーのDevil with a Blue Dress on & Good Golly Miss Molly (「悪魔とモリー」)です。 ショーティー・ロングの長閑なモータウン・ヒット「Devil with a Blue Dress」、「Here Comes the Judge」等をヒットさせるショーティーの初吹き込み作品です。地味渋オリジナル・バージョン。とリトル・リチャードのブギウギ「Good Golly, Miss Molly」をくっ付ければ最高のマジック、猥雑でド迫力のロックンロール「悪魔とモリー」の出来上がり。






4.キープ・ミー・ハンギング・オン・・・ バニラ・ファッジ
5.キープ・ミー・ハンギング・オン・・・ シュプリームス





最大のヒット曲は「キープ・ミー・ハンギング・オン」である。ファースト・アルバムからシングル・カットされた同曲は、元々はシュープリームスが唄って全米No.1となった曲だが、3分くらいだったオリジナルを、スローで色彩感の強い7分の曲にアレンジし、フル・ヴァージョンを収録したアルバム、及びレコード会社の意向で3分ほどに短縮されて収録されたシングルとも全米6位まで上昇した。ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン (You Keep Me Hangin' On) は、スプリームスの1966年のシングル。作曲はホーランド=ドジャー=ホーランド。本作はグループの8番目のナンバーワンシングルであり、Billboard Hot 100において1966年11月13日から11月27日まで1位の座を保った。





6.ショットガン・・・ バニラ・ファッジ
7.ショットガン・・・ ジュニア・ウォーカーとオール・スターズ






オリジナルは、スプリームスと同じくモータウンのジュニア・ウォーカーとオールターズの1965年の大ヒットナンバーを、またまた大胆にハードロックにし「ショットガン」です。



8.パーチマン・ファーム・・・ カクタス
9.パーチマン・ファーム・・・ モーズ・アリスン







モーズ・アリスンです。彼の音楽は、多くのブルースとロックの音楽家に影響を与えており、中でも、ローリング・ストーンズジョン・メイオールヤードバーズや、「ヤング・マン・ブルース」をライブの定番曲としたザ・フーらが代表に挙げられる。 アリソンの楽曲をカバーした音楽家には、レオン・ラッセルヴァン・モリソンエルビス・コステロピクシーズらがいる。
カバーしているのは、カクタス (Cactus) は、アメリカ合衆国のロックバンド。
1969年、ヴァニラ・ファッジのメンバーであったティム・ボガートとカーマイン・アピスジェフ・ベックから新バンド結成の誘いを受けており、彼らも乗り気だったものの、11月2日にベックが自動車事故を起こし3か月の重傷を負ってしまい新バンドの構想は頓挫してしまう。
1970年初め、ボガートとアピスは仕方なく知り合いだったジム・マッカーティー(元ミッチ・ライダー・アンド・デトロイト・ホイールズ、バディ・マイルス・エクスプレス)を誘い、マッカーティーの推薦でラスティ・デイ(元アンボイ・デュークス)が加わりカクタスとして活動を始めることとなった。





10.ジェフズ・ブギー・・・ ベック・ボガート・アピス
11.ギター・ブギー・・・ チャック・ベリー





1972〜74年の間活動した、ジェフ・ベック、ティム・ボガート、カーマイン・ピスが結成したロックバンド「Beck, Bogert & Appice」。
1973年発売の2ndアルバムで、1973年の日本ツアー大阪公演から収録されたライヴ盤です。
ギター・キッズ必須の曲、ジェフ・ベックヤードバーズ時代の曲です。
オリジナルは、チャック・ベリーの「ギター・ブギー」です。アーサー・スミスの曲に同じ曲名がありますが、別の曲です。基本的に チャック・ベリーの曲とテーマは同じですが、ギター・テクニックはジェフ・ベックに敵いません。




12.迷信 ・・・ベック・ボガート・アピス
13.迷信・・・ スティービー・ワンダー


スティービー・ワンダーは時間切れでした。あいすみません。

87回目の曲目

今回は5回目になりますが、歌謡曲特集です。2年ぶり位になります。



1.非情のライセンス・・・野際 陽子

2.困るのことヨ・・・都はるみ

3.愛のさざなみ・・・ 浅丘ルリ子

4.石狩挽歌・・・ ?泉ピン子

5.人形の家・・・ 大竹しのぶ

6.この世の花・・・ 島倉千代子

7.襟裳岬・・・ 島倉千代子

8.夕月・・・ 黛ジュン

9.エロスの朝・・・ 金井克子

10.帰らざる旅・・・ 竹越ひろ子

11.ジョニー・オン・マイ・ソウル・・・ 内藤やす子

12.わるいくせ・・・ 安井かずみ





1.非情のライセンス・・・野際 陽子

1968年4月6日から1973年4月7日の毎週土曜日21:00 - 21:56に放送され、全262話で最盛期には視聴率30%を越えていた「キーハンター」の主題曲です。野際 陽子元NHKアナウンサー、1936年生まれですから何と79才です。1966年(昭和41年)2月にかねてから念願であったパリへ留学。ソルボンヌ大学で古典仏文学の授業を受けた。1967年にはパリからの帰国時に着用していた、まだ日本では珍しかったフランス製のミニスカートが話題になった。このことから日本人で初めてミニスカートを穿いた女性であるとも言われている。


2.困るのことヨ・・・都はるみ


1964年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年3枚目のシングル「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる。


3.愛のさざなみ・・・ 浅丘ルリ子

少し前になかにし礼の作品集「なかにし礼と12人の女優たち」というCDが発売されました。この中から3曲ほど聞いてください。1968年の島倉千代子のヒット曲です。


4.石狩挽歌・・・ ?泉ピン子


1975年の北原ミレイのヒット曲です。以前にもオリジナル曲をかけました。


5.人形の家・・・ 大竹しのぶ

1969年の弘田三枝子のヒット曲です。


6.この世の花・・・ 島倉千代子


1955年3月、16歳、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲「この世の花」(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる。

7.襟裳岬・・・ 島倉千代子


島倉千代子は人を疑わない性格でいろいろな人に騙されて多額の借金を背負います。日本の各地を周り返済に苦慮しましたが、約7年で返済したようです。生前、北海道のローカル番組ですが、日高地方の新冠だったと思いますが、町の公民館の2階で公演が行われましたが、幕を開けると観客が数人しかいませんでした。その理由は海での昆布漁のため町民はほとんどいないためでした。それでも島倉千代子は普段と変わりなく数人のために曲をこなしたそうです。

8.夕月・・・ 黛ジュン

1968年9月10日に発売された黛ジュンの5枚目のシングルです。


9.エロスの朝・・・ 金井克子

973年にリリースした曲。 男どもを歌う「女王蜂」、“燃えろ燃えろ いいねいいわ”“チキボンチキボン”という歌詞が 意味深というかストレートすぎる「エロスの朝」とファンキー歌謡。


10.帰らざる旅・・・ 竹越ひろ子

ド迫力演歌歌手、竹越ひろ子の'72年盤、アトランティック・ソウルなホーン隊大活躍のハレルヤ・ソウル・ロック。

11.ジョニー・オン・マイ・ソウル・・・ 内藤やす子



2006年5月28日、脳内出血で倒れて緊急入院。同年7月6日に退院してからは自宅療養中であるが、病後の後遺症が残っており、2015年現在も歌手活動再開の目処は依然立っていない。1980年の曲です。

12.わるいくせ・・・ 安井かずみ

1970年の安井かずみの曲です。歌も本人です。

86回目の曲目

シスコ・サウンドの特集です。

1.夢のカリフォルニア・・・ ママス・アンド・パパス

2.花のサンフランシスコ・・・ スコット・マッケンジー

3.サムワン・トゥ・ラヴ ・・・グレート・ソサエティ

4.ホワイト・ラビット・・・ ?ジェファーソン・エアプレイン

5.アイ・ニード・マン・トゥ・ラヴ・・・ ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー

6.モナ・・・ クイックシルバーメッセンジャー・サービス

7.ボンベイコーリング・・・ イッツ・ア・ビューティフルディ

8.ハイ・コイン・・・ チャーラタンズ





1.夢のカリフォルニア・・・ ママス・アンド・パパス





ママス&パパスが、元々はニューヨークを中心に活躍していたフォーク・アーティストたちの集まりであり、彼らの大ヒット曲「夢のカリフォルニア」は、そんな彼らが暖かな土地カリフォルニアにはせた思いが生んだ曲だということは意外に知られていません。
実は、彼らは当時まだ未発達だったウェスト・コースト・ロックの開拓者であり、花飾りを身につけて西海岸を目指したヒッピーたちの先駆者でもあったのです。その意味で、彼らはまさに「フラワーピープルにとってのママス&パパス」だったわけです。
しかし、そんな彼らはヒッピー世代のコミュニティーが60年代末に夢破れ崩壊していった過程さながらに、70年代にはいるころには内部崩壊し、この世から姿を消してしまいました。
夢のカリフォルニア」は、まさに夢の理想郷「失われた60年代カリフォルニア」への思いを込めた望郷の歌であり、鎮魂の歌なのです。



2.花のサンフランシスコ・・・ スコット・マッケンジー


サンフランシスコに来て1965年に大ヒットした「夢のカリフォルニア」です。これはメンバーのジョン・フフイリップスが作りましたが、ニューヨーク時代の仲間であるスコット・マッケンジーのために作曲した「花のサンフランシスコ」が1967年にこれも大ヒットしました。スコット・マッケンジーは後年、ビーチボーイズの「ココモ」の作詞・作曲をした人物ですが、(バンドの一員であるマイク・ラヴ、バンドと関係の深いプロデューサーのテリー・メルチャー、元ママス&パパスのジョン・フィリップス、シンガーソングライターのスコット・マッケンジーの4人が共作した楽曲。)ギラン・バレー症候群で亡くなりました。


3.サムワン・トゥ・ラヴ ・・・グレート・ソサエティ


シグニ・アンダーソンの後任としてエアプレインに加入することになるグレース・スリックは、その前月までグレート・ソサエティのメンバーとして活動していた。65年8月13日に“The Matrix”でエアプレインのデビュー・ステージを見て感銘を受けたグレースは、すぐに夫のジェリー・スリックや義弟のダービー・スリックと一緒にグレート・ソサエティを結成した。グレースとジェリーは幼なじみで、61年8月26日に結婚している。グレースはまだ21歳であった。グレート・ソサエティの演奏音源は、スタジオとライヴを合わせいくつかのものが残されているが、最初にレコード化された“The Matrix”での66年6月のライヴが内容的にやはり一番充実している。「Someone To Love」(「Somebody To Love」の原題)もこのライヴのものが最も素晴らしい出来だ。グレースの歌声は力強いがとても繊細で、独特のシャウトは愁いを含んでいる。ダービー・スリックのギターは派手さはないが、フレーズは洗練されていてセンスを感じさせる。グレート・ソサエティが解散コンサートを行ったのは66年9月11日。ダービー・スリックとピーター・ヴァン・ゲルダーがインドに音楽修行に行くことを決めたことが解散の最大の理由だったという。エアプレインの中ではちょうどシグニ・アンダーソンが脱退を申し出た頃で、後任を探そうとしていた時にグレースがフリーになったことは願ってもないチャンスであった。エアプレインを代表して、解散の後すぐにグレースのところへ行き加入を口説いたのはジャックだった。そして、グレースはスンナリと承諾したという。



4.ホワイト・ラビット・・・ ?ジェファーソン・エアプレイン







67年にアレックス・スペンサーとグレイスを加えたセカンド・アルバム「シュールリアリスティック・ピロー」を発表。すると、ここからシングル「サムバディ・トゥ・ラヴ〜あなただけを」が全米3位、「ホワイト・ラビット」が全米8位と大ヒットを連発。この2曲はいずれもグレイスの前バンドからの持ち歌であり、新入りとしては、たいへんな手みやげとなった。
これで、一躍全米のスターとなった彼らは、モンタレー・ポップ・フェスティバルへ出演するなど、さらに活躍の場を広げ、すかさずサード・アルバムもこの年に発表している。

内田氏談 : JAのアルバム・カバーはなかなか凝ったものが多いと思いますが、日本で発売されたGolden Albumは、ジャケットもさることながら、レコード盤が素晴らしいですね。当時、東芝レコードのエバークリーン、赤盤は有名ですが、このGolden Albumは何と紫・赤・黄色などのカラフルな色でプレスされていてビックリしました。スリーヴの表面下半分は、メンバーの写真をネガではなくて、ポジを緑色で持って来て、更にグループ名やタイトルの字体と配色が、いかにもサイケデリックな雰囲気を醸し出していました。収録曲もよいので、持っておきたい1枚です。ただ、今はプレミアムが付いて、高いです。



5.アイ・ニード・マン・トゥ・ラヴ・・・ ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー





ヘイト・アシュベリーを中心としたヒッピーたちの間で際立って目立っていた彼女は、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーに参加する。バンドは、独立系レーベルのメインストリーム・レコードと契約し、1967年にバンドの名を冠したアルバムを発表したが、売れ行きは不調でレコードは早々に倉庫にしまい込まれた。
しかし、このバンドはモントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。ジョプリンは、ビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を荒々しい歌声で歌いこなしてみせた1968年のアルバム『チープ・スリル』では以前に増して生々しい歌声を披露し、その評価を決定づけることになった。スタンダード・ナンバーをブルース風にカバーしたサマータイム (楽曲)や、前述の「ボール・アンド・チェイン」等、迫力のある歌が多く収録されている。



6.モナ・・・ クイックシルバーメッセンジャー・サービス

米国盤

英国盤

仏蘭西


クイックシルバーは1964年サンフランシスコで結成されたバンドだ。69年には彼らの魅力を伝えるべく、セカンド・アルバム「Happy Trails」をライブ盤としてリリース。このアルバムでは、“普段”の彼らの魅力が存分に発揮され、一気にファンを増やすことに成功した。またジョージ・ハンターによるジャケットも話題になったこともありセールス面でも成功を収めた。いまでもファンの間では、このアルバムを最高傑作にあげる人も多いのも納得できる。



7.ボンベイコーリング・・・ イッツ・ア・ビューティフルディ


米国オリジナル盤

米国サンフランシスコ・レーベル盤



日本盤


69 年発表の第一作「It's A Beautiful Day」。ジャケはジョージ・ハンター。オルガンやヴァイオリンによるクラシカルなアレンジが効いている。 この辺りが、昔からプログレ・ファンに訴える理由だろう。テーマは、ほとんどパープルの「Child In Time」

内田氏談 : グループ名が単語でなくて、短い文章というのもユニークでした。彼らのアルバムで、68年にアメリカでリリースされた、グループ名をタイトルにしたアルバムは、青空と白い雲をバックに、女性が岩の上で風に吹かれている構図でした。これは、クロード・モネが描いた、彼の奥さんと言われていますが、日傘をさした女性が草原で風に吹かれている作品を思い起こさせます。アルバムのアメリカ原版はゲートフォールド、見開きになっていて、内側の写真も秀逸でした。音楽を聴きながら、レコード・スリーヴも鑑賞するという、ちょっとCDやハイレゾでは味わえない、贅沢な楽しみ方が出来るレコードの1枚だと思います。



8.ハイ・コイン・・・ チャーラタンズ


チャーラタンズです。全く無名のバンドですが、Mike Wilhelmは60年代のサンフランシスコで最初のサイケデリック・バンドと言われていたthe Charlatansのギタリスト。
1965年頃から活動していたthe Charlatansは、30年代から抜け出て来たようなカッコをして、R&Rをかっ飛ばす最高に「ヒップ」なバンドでした。ダン・ヒックスがドラムとボーカルでした。ボーカルとオートハープのジョージ・ハンターは初期のサイケデリック・ポスターを書いたりしていました。(あの有名なクイックシルバーの馬にまたがった『Happy Trails』のジャケットもジョージ作です)グロヴ・プロパガンダの主宰者です。 今は亡くなってしまいましたが、ピアノのマイク・ファーガソンはヘイト・アシュベリーに最初のヘッド・ショップを作った人物でした。デッド、ジャニス&ビッグブラザークイックシルバー、モビー・グレイプ、ジェファーソン、、みんな仲良かったみたいです。ヴァン・ダイク・パークスの曲です。

85回目の曲目

ローリング・ストーンズの5月のアメリカ・ツアーに合わせて発表された「ステッキー・フィンガーズ・スーパー・デラックス・エディション」の特集です。

SUPER DELUXE EDITION 2LP

NEW ZIPPER

ORIJINAL UK

SPAIN

1.ブラウン・シュガー

2.ワイルド・ホーシーズ

3.キャンチュー・ヒア・ミー・ノッキン

4.ビッチ

5.リヴ・ウイズ・ミー

6.ストレイ・キャット・ブルース

7.ラヴ・イン・ヴェイン


1.ブラウン・シュガー

エリック・クラプトンが参加したアウト・テイクですが、正式にリリースされました。1970年12月18日、キースの誕生日にオリンピック・スタジオで録音された。
キースの5弦ギター、オープン・チューニングの開放弦奏法がすごいですね。リフが素晴らしいです。だれでも出来そうですが、誰もできません。クラプトンのギターはなんでしょうね。時代的にデラボニ、ドミノズですからストラトですかね。

2.ワイルド・ホーシーズ

エレキギター、コーラスがダビングされる前の録音。まだまだリハーサルテイクですね。これから音を重ねて完成させていきます。プロデューサーの腕のみせどころです。

3.キャンチュー・ヒア・ミー・ノッキン

初期の未完成テイク

4.ビッチ

迫力の別テイク。正規テイクの曲よりもすごいと思います。中間以後ミック・テイラーはギターを弾きっぱなしです。

5.リヴ・ウイズ・ミー

1971年3月14日、ロンドンのラウンドハウスでの音源。ニッキー・ホプキンスがピアノ、間奏はキース。69年のゲット・ヤー・ヤス・ヤス・アウトより格段に完成度の高い曲になっていますね。

6.ストレイ・キャット・ブルース

69年よりアップ・テンポ

7.ラヴ・イン・ヴェイン

よりスロー・テンポ。ミック・テイラーのギターが活躍します。

84回目の曲目


7月に札幌でコンサートをやる加山雄三の特集です。すでに全国を周るコンサートを実施しています。今回が最後のようです。加山 雄三は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、司会者、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家。1937年4月11日生まれですから、何と78才になります。4月に来日コンサートをやったポール・マッカートニーは、73才ですからお二人とも本当に元気です。加山さんは1966年6月、ビートルズが来日した際に東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねて会食した(スキヤキ)数少ない人物です。



1.旅人よ・・・ 加山雄三
2.恋は赤いバラ・・・ 加山雄三
3.アングリーマン・・・ 加山雄三
4.ホンキー・トンク・パーティー・・・ 加山雄三
5.ブーメラン・ベイビー・・・ 加山雄三
6.麗しき乙女たち・・・ 加山雄三
7.スリー・ブルー・スターズ・・・ 加山雄三
8.白い浜・・・ 加山雄三
9.ブラック・サンド・ビーチ・・・ 加山雄三
10.ヴァイオレット・スカイ・・・ 加山雄三
11.君といつまでも・・・ 加山雄三
12.夜空の星・・・ 加山雄三とデ・スーナーズ
13.モンキー・クレージー・・・ 中シゲキとサーフ・コースターズ
14.麗しき乙女たち・・・ 萩原健太










1.旅人よ

この曲のバックコーラスには、4月20日に亡くなった加瀬邦彦が参加しています。加瀬邦彦加山雄三の後輩で1963年には事務所命令により、かまやつひろしと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いを受けるために約3カ月で脱退し、1966年まで寺内タケシとブルージーンズ(1965年の東宝映画『海の若大将』や1966年の東宝映画『クレージーだよ奇想天外』などでその姿を窺える)に加入した。次第にビートルズサウンドへの志向が強くなっていく中、ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることとなり、加瀬自身は大いに喜んだ。しかし、厳戒態勢下でのコンサートのため、前座のバンドは演奏後、楽屋に外からカギをかけられ、ビートルズの演奏終了後に開錠されるという措置が取られた為、加瀬は「それではビートルズの演奏が見られない」とブルージーンズを脱退してしまう。ちなみに念願が叶い、客席からビートルズの演奏を見ることはできた。同年7月に、加山雄三が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成(この時、渡辺プロに移籍)。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。
2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り死去。74歳没。呼吸用のチューブがふさがれた状態で発見された。通夜は27日に葬儀委員長を鳥塚しげきザ・ワイルドワンズのメンバーが務めて護国寺で営まれ、音楽仲間の寺内タケシ高木ブー中村あゆみモト冬樹エド山口江木俊夫らが参列した。翌28日葬儀・告別式が営まれ、岸部一徳森本太郎瞳みのるつのだ☆ひろなど関係者300人が参列し、仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山雄三は音声メッセージで加瀬を哀悼した。コーラスとして参加した「旅人よ」を流し、会場の参列者とファンに一緒に歌うよう呼びかけた。奇しくもポール・マッカートニーのコンサートの真っ最中でした。


2.恋は赤いバラ

1966年2月に発売されたアルバム「エキサイティング・サウンド・オヴ・ユーゾー・カヤマ」。これは東芝からではなく日本コロンビアから発売されました。この年の1月には東芝から「加山雄三のすべて」が発売されています。このアルバムには「君といつまでも」が入っている大ヒットアルバムです。

3.アングリーマン

同時期の日本の音楽状況を考えるとあまりにも進み過ぎとも思える内容のアルバムとなっています。いろいろなタイプの曲が入っていますが散漫な感じはありません。

4.ホンキー・トンク・パーティー

この曲は東芝盤で再演されています。

5.ブーメラン・ベイビー

ところで、札幌のコンサートは、7月10日にニトリ文化ホールで行われますが、ここはキャパが2300人です。翌11日に登別市民会館で行われます。キャパが700人ですが、料金は札幌と同じです。加山さんの希望で実現したようです。

6.麗しき乙女たち
7.スリー・ブルー・スターズ

インストを2曲、 「スリー・ブルー・スターズ」は、後に「蒼い星くず」として唄入りで発売されました。

8.白い浜

「お嫁においで」に先立つハワイアンです。

9.ブラック・サンド・ビーチ
10.ヴァイオレット・スカイ

東芝から出たシングルです。今でも愛されている名曲です。

11.君といつまでも


大ヒット曲

12.夜空の星

加山雄三のすべて 第3集」に入っている曲です。デ・スーナーズとの共演です。不思議な共演な気がします。

13.モンキー・クレージー

トリビュート・アルバムからの曲です。

14.麗しき乙女たち

萩原健太のギターです。