65回目の曲目

来日するPAUL McCARTNEYの特集です。



1.DRIVE MY CAR
2.ALL MY LOVING
3.CAN'T BUY ME LOVE
4.WE CAN'T WORK IT OUT
5.YESTERDAY
6.MICHELLE
7.NEW
8.PEACE IN THE NEIGHBOURHOOD
9.TWENTY FLIGHT ROCK
10.LET IT BE
11.PENNY LANE
12.Sgt.PEPPERS LONELY HEARETS CLUB BAND



ビートルズの日本公演は1966年に催行されている。6月29日に訪日。公演は6月30日および7月1日・2日。7月3日に離日。会場はすべて東京都千代田区日本武道館大ホールで。地方公演は行っていない。司会を務めたのはE・H・エリック。前座として尾藤イサオ内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川ブルーコメッツ、ブルージーンズ、ザ・ドリフターズ(6月30日・7月1日のみ)が舞台に上がった。
 ウイングスは1975年に初の日本公演を行うはずだった。しかし訪日直前になって法務省によりマッカートニー夫妻の薬物犯罪歴でビザが取り消され、公演は中止となる。
 1980年1月16日 成田空港にて大麻・不法所持で現行犯逮捕。ウイングスの日本公演が中止になる。同年、12月8日にジョン・レノンが射殺される。
1990年3月には24年ぶりソロとしては初の来日公演も実現、1993年11月にはワールド・ツアーの一環として再び訪日し、東京ドームで3公演、福岡ドームで2公演を行った。2002年11月、9年ぶりとなる来日公演を行い、東京ドーム3公演、大阪ドーム2公演を行った。そして今回の来日です。ポールは71才になりましたから、やる方も観る方も最後かもしれません。東京・大阪・福岡で開催します。









資料提供 you氏







1.ドライブ・マイ・カー

2013年はビートルズ・ファンにとっては奇跡のような年となりました。2月にはリンゴ・スターが来日し、私も東京の2公演をみました。今回も東京ドームの2公演を観に行きます。
今年のツアーではビートルズの曲が多く披露されています。この曲はどうでしょうかね。ラバーソウルというアルバムのA面の1曲目でレコードではポールがリードギターを弾いています。

2.オール・マイ・ラビング

ビートルズの2作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の3曲目に収録されている曲。リード・ヴォーカルはポール。ロイ・オービソンとのツアー中にバスの中で作った。ポールの初期代表作のひとつで、現在でもライヴで演奏されるアップ・テンポな曲。

3.キャント・バイ・ミー・ラブ

1964年3月に発表した6枚目のオリジナル・シングル曲です。

4.恋を抱きしめよう

1965年12月に発表した11枚目オリジナル・シングル曲であり、初の両A面シングルである(片面は「デイ・トリッパー」)。途中で三拍子になるアレンジはジョージ・ハリスンのアイデアである。

5.イエスタディ

1965年8月6日に発売された5枚目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『4人はアイドル』のB面6曲目に収録された曲です。永遠のスタンダードです。ポールはウイングス時代、出だしのフレーズやコード進行も同じアンサーソング「トゥモロウ」(Tomorrow)を作りアルバム『ワイルド・ライフ』に収録している。


6.ミシェル

アルバム『ラバー・ソウル』に収録されているバラード曲である。ポール・マッカートニーが、10代の頃に書いた曲の1つ。

7.ニュー

新曲です。アルバムが少し前に発売になりました。タイトルは「ニュー」といいます。すでにライヴでも披露されています。

8.ピース・イン・ザ・ネバーフッド

1993年のアルバム「オフ・ザ・グラウンド」からの曲です。

9.トゥエンティ・フライト・ロック

1957年7月6日 リバプールのウールトン聖ピーター教会の庭先会場にて演奏された曲です。ジョン以外ビートルズのメンバーはいません。Paulがステージに到着したとき、QuarrymenはDell Vikingsの'Come Go With Me'を演奏していた。 「バンドはよかったよ、特にボーカルのヤツがね。チェックのシャツを着て、髪をカールさせて、長いもみ上げで、そして何よりも歌がよかった。それが僕の友人になる、Johnだった。」夕方のステージを終えたQuarrymenは、教会から道を挟んだ場所にあるホールで、夜のステージのためにリハーサルをしていた。小学校の体育館程度の小さなホールで、二人は運命的な出会いを果たす。「そこにはピアノがあって、れからバンドメンバーのギターなんかもおいてあった。」「そこでしばらく僕らはぶらぶらしてたんだ。Ivaが僕をJohnに紹介した。」

「あの日これが弾けたから、僕はビートルズになれたんだ」
Paulは「そこにあった誰かの、多分ジョンの」ギターを手にとるとEddie Cochranの'Twenty Flight Rock'を歌い始めた。完璧なコードと完璧な歌詞で。ただ事ではなかった、
レコードを手に入れるのさえ難しい時代に、Paulの演奏は完璧だった。しかも彼は、利き腕と逆のギターを見事にチューニングし、さらにギターを肩に回して弾くという荒業までやってのけた。

1956年には、映画「女はそれを我慢できない」に出演し、作中で「トゥエンティ・フライト・ロック」を演奏する。さらに1957年に発表したジョン・D・ローダーミルク(タバコロードの作曲もあり自身の歌もある。)が書いたシングル「シッティン・イン・ザ・バルコニー」が最初にヒットとなる。そして、彼の代表曲(マネージャーのジェリー・ケイプハートとの共作)「サマータイム・ブルーズ」が1958年6月11日に発売されると、9月にはビルボードの8位まで上昇する。
その後も「カモン・エヴリバディ」「サムシン・エルス」「マイ・ウェイ」「スリー・ステップス・トゥ・ヘヴン」などのヒットを連発する。
シャロン・シーリーはコクランのガールフレンドとなり一緒に曲を作ったり、ツアーに同行したりしてしていた。

シャロン・シーリーと共作の1959年のSomethin' Elseの前に出したC'mon Everybody(カモン・エヴリバディ)が今までとは逆転してイギリスでの方が評判が良いと聞き、エディ・コクランは、これ又本国よりイギリスで人気の高いジーン・ヴィンセントシャロン・シーリーも同行しての1960年英国公演ツアーに出掛けます。
余りに評判だったので予定を延ばしたほどでしたが、イースター祭のため帰国しようと空港へ向かう途中の1960年4月16日、タクシーが街灯に衝突して大破する自動車事故に遭いました。 
ジーン・ヴィンセントは肋骨と鎖骨の怪我に留まりましたが、21歳のコクランは脳に損傷を受けて翌日帰らぬ人となりました。


10.レット・イット・ビー

必ず演奏される曲です。1970年3月にビートルズが発表した22枚目のオリジナル・シングル。

11.ペニー・レーン

1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル曲である。両A面シングル曲で片面は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」である。

12.サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

ポピュラー音楽史上最高傑作と言われる1967年のアルバム、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのタイトル曲です。アルバムの最初に入っている曲ですが、最後から2番目の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (リプライズ) 」として登場しますが、ライヴでは、ギター・バトルを挟んで演奏されています。