64回目の曲目

今回はSPレコード・コレクションです。



1. Stardust ・・・ Coleman Hawkins & Django Reinhardt
2. Nothin ・・・ Ink Spots
3. Carne・・・Slim Gailard Trio
4. Gang Busters ・・・ The Cats & The Fiddle
5. Choo Choo Ch'Boogie・・・ Louis Jordan & His Tympany Five
6. Solo Flight・・・Benny Goodman & His Orchestra with Charlie Christian
7. Hop,Skip & Jump・・・Artie Shaw & His Gramercy Five
8. Blow-Top Blues・・・Dinah Washington & Lionel Hampton & His Septet
9. Rosetta Blues ・・・Rosetta Howard & The Harlem Hamfats
10.Julia's Blues・・・Julia Lee & Her Boy Friends
11. Let's Have A Party・・・Amos Milburn & His Aladdin Chickenshackers
12. Honky Tonk・・・Bill Doggett
13. Short Shorts・・・Royal Teens


1.スターダスト・・・ コールマン・ホーキンスジャンゴ・ラインハルト

コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins、1904年11月21日 - 1969年5月19日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州出身のジャズ・サックス奏者。スウィング・ジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビバップの分野で活躍し、サックス奏者に限らず、多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。1922年にニューヨークに進出し、当初はブルースの分野で活動。1923年、フレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入。翌年、この楽団にルイ・アームストロングが加入。ニューオーリンズ・ジャズに根ざしたアームストロングのスタイルに影響を受け、ホーキンスも、荒々しさと洒落っ気を兼ね備えた演奏スタイルを確立。やがてフレッチャー・ヘンダーソン楽団の看板奏者に成長していった。
1934年からはヨーロッパに渡り、ジャンゴ・ラインハルトステファン・グラッペリとも共演。1939年に帰国すると、バンド・リーダーとして、後にスタンダード・ナンバーとなる「ボディ・アンド・ソウル」等を録音。
1940年代には、ビバップという新しいジャズが登場。ホーキンスもこの流れに注目し、セロニアス・モンクマックス・ローチ等の若手を育てる。1957年、教え子的存在であるセロニアス・モンクのリーダー・アルバム『モンクス・ミュージック』に、ジョン・コルトレーンアート・ブレイキーと共に参加
ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt, 1910年1月23日 - 1953年5月16日)は、ベルギー生まれのジャズ・ミュージシャン、ギタリスト  ジャズの分野では主に伴奏楽器として使われていたギターを、ソロ楽器として使用した先駆けであり、アメリカでジャズ・ギターの開祖とされることの多いチャーリー・クリスチャンよりもはるかに早い時期から、ギターを主役とした即興演奏を行っていた。ギブソンレスポールの開発者として知られるレス・ポールは、早くからジャンゴの音楽に強く影響を受け、1930年代中期にはジャンゴに近いスタイルで演奏していたという。


2.ナッシン・・・ インク・スポッツ

1932年にインク・スポッツInk Spotsというドゥワップのコーラスがデビューしました。1936年にリード・テナーのBill Kennyがリーダーとして加わり、本格的になり40年代まで黄金時代があります。
1939年に"If I Didn't Care"がミリオンセラーになりました。なんと1900万枚売れとたいうのです。日本ではキングトーンズが彼らのスタイルをまねています。グッドナイト・ベイビーがヒットしました。


3.コルネ・・・ スリム・ゲイラード・トリオ

個人的にはこのおっさんについては、ふざけているように見せかけつつ独特のユーモア感覚を発揮している、非常にいい塩梅のジャズ芸人。 非常にクールな視点を持った、乾いたユーモア感覚がある人だと思います。何が起きても飄々としていて動じることが無いという感じで、もしかしたらジャズ芸人と言うよりは、達観したジャズ仙人この人の音楽はお芸術性の高いジャズなんかとは全然違いますが、だからと言ってウケてナンボという芸人根性丸出しというモノでもない、庶民的な親しみ易さと背筋をピンと伸ばした格調の高さが同居している、何だか不思議な味わいを持っているように感じられます。これが独特のクールに乾いたユーモア感覚に繋がっているんでしょうね。80年代に入ると、ヨーロッパのコレクター・レーベル、ヘップがスリムの録音をリイシューしはじめた。1987年4月、ファッションショーのゲストとして来日。ブルースハウス「次郎吉」で、ないしょのライブ決行。1988年3月23日、再来日。芝浦インクスティックで公演を行なう。1991年2月27日ロンドンで死亡。



4.ギャング・バスターズ ・・・キャッツ・アンド・フィドル

その筋の方々にも人気が高いゴキゲンなジャイヴ・バンド、キャッツ&ザ・フィドルです。

今でこそCDで手軽に聴けるようになりましたが、昔はレコードでしかなかったのです。RCA の Bluebird 音源が収録された見開きの LP は高価で手が出なかったなぁ...「マザー・グース」の中の一遍に、その名も「The Cat and Fiddle」という唄があったのを思い出したんです。んにゃ〜、バンド名とまったく同じだ。 ま、CatとCatsの違いはあるが。
 では そのウタの一部を・・・ 『The Cat and the Fiddle』Hey , Diddle, Diddle
  The cat and the fiddle, The cow jumped over the moon,
    〜  お〜っ、"Diddle, Diddle"って、ブラインド・ブレイクさんも使ってたぞ。
 まぁ、これは調子を合わせる"合いの手"的な掛け声として、意味は無いのだが、フィドルと韻を踏んでるんですね。(他の唄にもフィドルとは関係ない場所で使われているケースもある)そう、ブレイクさんたちが使う何世紀もまえから使われてたんだ。
 今まで気付かなかったけど、注意して読むと意外と新しい発見があったりしてタノシイのだった。ま例えば・・・『1 2 3 4』という唄がある。 この唄の出だしはこうだ。
 One for the money,
 Two for the show,
 Three to get ready,
 And four to go
 あはは、こりゃアレですよ! お分かりですね?カール・パーキンスエルビス・プレスリーのロケンロー!
  『Blue Suede Shoes』
  Well, its one for the money,
  Two for the show,
  Three to get ready,
  Now go, cat, go


5.チュー・チューチ・ブギー・・・ ルイ・ジョーダンとティンパニー・ファイヴ

1946年の「チュー・チュー・チ・ブギ」が18週連続でR&Bチャート1位を記録。また、やはり1946年にヒットした「エイント・ザット・ジャスト・ライク・ア・ウーマン」は、後のロックンロールに通じるイントロで始まり、チャック・ベリーの楽曲「ジョニー・B.グッド」のヒントになったとも言われる。




6.ソロ・フライト・・・ ベニー・グッドマン&オーケストラとチャーリー・クリスチャン

チャーリー・クリスチャンCharlie Christian、1916年7月29日-1942年3月2日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ギタリスト。ジャズ・ギターの開祖とされる人物。ベニー・グッドマン楽団での活動が有名。1939年、音楽評論家でありベニー・グッドマンの相談役でもあったジョン・ハモンドに見出され、グッドマンの楽団のオーディションを受ける。この時、チャーリーは自分のギターを持っておらず、友人のレス・ポールからギターを貰ったというエピソードがある。チャーリーは90分に及ぶ演奏を繰り広げ、ベニー・グッドマン楽団への加入を認められた。
1940年頃、結核に感染する。しかし、医師から摂生するよう言われていたにもかかわらず、女遊びとマリファナはやめなかったという。チャーリーは、昼間はベニー・グッドマンと仕事をし、夜はニューヨークのクラブで、若手ミュージシャン達とジャム・セッションを楽しんでいた。ビバップという新たなジャズの先駆けである。1941年、ビバップジャズへの歴史の転換点の証明とも言われる、ミントンズ・プレイハウスというクラブでのディジー・ガレスピーセロニアス・モンクとのセッションは、ジェリー・ニューマンという若い録音技師により録音され、現在、レコード『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』として残されている。1942年、かねてからの結核が悪化し、25歳で他界。




7.ホップ・スキップ・ジャンプ アーティ・ショウ&グラマーシー・ファイヴ

アーティ・ショウ(Artie Shaw : Arthur Jacob Arshawsky、1910年5月23日 - 2004年12月30日)は、アメリカ・ニューヨーク出身のジャズクラリネット奏者。作曲家としても知られ、自らのバンドを率いた。また、さらにフィクションおよびノンフィクションの著述家としても知られる。1938年には、ドラムのバディ・リッチを加えて、またビリー・ホリディをバンドのフルタイム専属歌手に据え、黒人女性ヴォーカリストを採用した最初の白人バンド・リーダーとして、まだ黒人隔離政策の残る南部諸州へのツアーを行った。ベニー・グッドマンや他のバンド・リーダーたちのように、楽団の中から小さなコンボを組み、自宅の電話をそう呼んでいたように「グラマーシー5 the Gramercy Five」と名づけた。バンドのピアニストであるジョニィ・グァルネリがクィンテット(五重奏)の録音でハープシコードを、アル・ヘンドリクソンはエレキ・ギターを演奏、当時のジャズのレコーディングでは画期的なことであった。トランペッターのロイ・エルドリッジがビリー・バターフィールドの後を受け、コンボの一員となった。『サマーリッジ・ドライブ Summit Ridge Drive』が最大のヒット作品となり、この「グラマーシー5」のセッション完全版CDが1990年にリリースされた。



8.ブロー・トップ・ブルース・・・ ライオネル・ハンプトン・オーケストラとダイナ・ワシントン


ダイナ・ワシントンは15歳のとき、シカゴのリーガル劇場で行われたアマチュア・コンテストに出演し、ポップスを歌い優勝。18歳の頃にはナイトクラブでジャズ・シンガー/ピアニストとして活動するようになった。1943年、ライオネル・ハンプトンの楽団に加入する。彼女が芸名のダイナ・ワシントンを名乗りだしたのはこの頃である。名付け親については諸説があるが、ライオネル・ハンプトンとする説もある。同年、レナード・フェザーが取り仕切り、キーノート・レーベルのために初のレコーディングを行った。レコーディングされた4曲のうち"Evil Gal Blues"がヒットを記録する。45年のこの曲も最高の出来です。


9.ロゼッタ・ブルース・・・ ロゼッタ・ハワードとハーレム・ハムファッツ

チャーリーとジョーのマッコイ兄弟は、ハーレム・ハムファッツというジャズのバンドのメインのメンバーだったんですね。名前はハーレムなんだけど、実際はシカゴで活躍していたのでした。ハムは大腿部のことなんで、脂が乗った大腿部。まあ、お尻のあたりがむっちりした女性を連想させる名前ですねん。このThe Harlem Hamfatsというバンドは、1936年から38年までと3年足らずの短い間の活躍でしたが、戦前のシカゴの音楽界の中でも興味深いバンドだと思うのであります。ロゼッタ・ハワードは女性ジャズ・ブルース歌手でハーレム・ハムファッツとのレコーディングに佳作がある。


10.ジュリアズ・ブルース ・・・ジュリア・リーとボーイフレンズ

彼女は1902年にミズーリー州のカンサス・シティで生まれ、兄もミュージシャンだったそうです。その兄のバンドのピアノ弾きとして音楽のキャリアを始めたようですが、歌も始めるようになり、戦後まもなく売れっ子になったそうです。例えば、1947年には、<Snatch and Grab It>という歌がヒットしています。


11.レッツ・ハヴ・ア・パーティー ・・・エイモス・ミルバーンとアラディン・チキンシャッカーズ

エスト・コーストで人気のあったジャンプ・ブルース・シンガーです。47年に「チキンシャック・ブギ」が大ヒットしました。ローリング・ストーンズが「ダウン・ザ・ロード・ア・ピース」をカバーしています。ストーンズチャック・ベリーのヴァージョンをコピーしました。ドリンキング・ブルースがヒットしました。ニューオリンズR&Bばりのロッキン・ブギ!!脳天直撃の凄まじい迫力は満点。思わず体が動いてきますね。


12.ホンキー・トンク・・・ ビル・ドゲット

1949年、彼はワイルド・ビル・デイヴィスに代わってルイ・ジョーダンのティンパニー・ファイヴにピアニストとして参加した。其処で彼はハモンド・オルガンを弾いて初めての成功を得た。「Saturday Night Fish Fry」と言うヒット曲にジョーダンと共にクレジットされたからだった。
「ホンキー・トンク」が400万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなり、キャッシュ・ボックス誌で1957年から1959年までの3年間連続で、最優秀R&Bパフォーマーに選ばれた。1956年、「Slow Walk」、「Leaps And Bounds」、1957年、「Ram-Bunk-Shush」をリリースした。ビリー・バトラーのギターとクリフォード・スコットのテナー・サックスを大々的にフューチャーしたダンス・チューンで、多くのカヴァー(ジェイムス・ブラウンからロギンズ&メッシーナまで)を生んでいる1950年代を代表するインストゥルメンタル・ナンバーである。ブルース・バンドなら1度は演ると言う演奏にソウルっぽさが強く、それほど古臭さを感じさせない名曲でもある。特に、ヴェンチャーズがレパートリーに入れてから真に有名になったと言えるだろう。彼らが1960年11月にリリースしたデビュー・アルバム「ウォーク・ドント・ラン」の中で演奏していたヴァージョンは、実にのびのびとご機嫌なサウンドに仕上がっていた。


13.ショート・ショーツ・・・ ロイヤル・ティーンズ

タモリ倶楽部』(タモリくらぶ、英称:Tamori Club)とは、テレビ朝日系列にて1982年(昭和57年)10月8日から田辺エージェンシーハウフルスの共同制作で放送されている深夜バラエティ番組である。31年もの長寿番組
タイトル:『Short Shorts』(ショート・ショーツ) 1958年の曲  アーティスト:The Royal Teens(ロイヤル・ティーンズ)