THE VENTURES MYSTERY TOUIR 36

The Ventures 「Hawaii Five-O」
Artist : The Ventures
Album : Hawaii Five-O (1969.5) 最高位11位


レコーディングはベンチャーズのメンバーはいなく、キャロル・ケィ、ハル・ブレイン等レッキングクルーと呼ばれるスタヂオ・ミュージシャンがほとんどのアルバムです。






A面
1.Hawaii Five-O
2.Lovin' Things
3.Galveston
4.The Letter
5.Don't Give In To Him
6.Theme from "A Summer Place"

B面
1.Medley : Spooky - Traces - Stormy
2.Medley : Aquarius -Let The Sunshine In
3.Games People Play
4.I Can Hear Music
5.Dizzy


1.Hawaii Five-O


ザ・ベンチャーズ1969年の起死回生の大ヒット(全米4位)、ザ・ブライアン・セッツァー・オーケストラがコンサートのオープニングでよく演奏していました。この曲のためだけにティンパニー奏者を入れるこだわりには感服します。またこの曲がピチカート・ファイブのアルバム「女性上位時代」に収録の「TWIGGY TWIGGY」にサンプリングされています。
「ハワイ5−O」とは何かというと、ハワイ全域の犯罪を捜査するためホノルルのIolani Palace(イオラニ/
ハワイ州庁舎)に本部を構えた4〜5人編成の州知事直属の特別捜査班(警察)のことだそうで、元海兵隊に所属していて朝鮮戦争にも行ったことがあるDet. Steve McGarrett(スティーブ・マクギャレット)がチーフを務めています。 激しいアクションにも微動だにしないカツラのような髪型(時々グチャグチャ)や常夏のハワイにあるまじきダークスーツ姿(時にはアロハ)のマクギャレットは一躍ハワイの人気者となったとか。 ”5−O”はハワイが50番目の州であるという意味です。
日本では悪者が「サツが来た!」と言うところを、ハワイじゃ警察のことを隠語で”5-O”と叫ぶんだとか。


2.Lovin' Things ・・・The Grass Roots

 
1960年代にはよくあった、スタジオ・ミュージシャンによるでっち上げグループとして出発しながら、後にはバンドとしての実体を持つようになった点や、ロック界が急速にアルバム志向になっていく流れに真っ向から逆らうかのように、シングル・ヒットを飛ばし続け、なぜかアルバムは全く売れなかったという点など、数々の独自性を持った存在でもありました。

3.Galveston・・・Glen Campbell


グレン・キャンベル、1969年のヒット曲です。特長の1つ目はアレンジにオ−ケストラが使われていること。 
この時代はディープ・パープルやレッド・ツエッペリン, ジミ・ヘンドリクス, クリームなどのように現在のロックに通じるバンドが台頭し始めたとともに, トミー・ロウの『ディジー』を代表とするようなオーケストラを背景にして, リズムはストリングスがするポップスも混在していました。 
この『ガルベストン』もポップ・カントリー風のギターやドラムとともにストリングスが使われていて如何にも69年の曲という感じがします。
60年代終わりから70年代初めのポップスの特長の2つ目は, 曲だけ聞くと完全にキャチーなメロディでいかにもヒット・チャート向けの作りなのに, 詞は社会問題を扱っていたりすることです。
ベトナム戦争とか黒人やや女性の解放運動や権利を歌ったヒット曲が見受けられます。  例えばネイティブ・アメリカン(インディアン)の人権を歌ったシェールの『ハーフ・ブリード』やポール・リビアとレイダースの『インディアン・リザベーション』, 暗殺された指導者を悼むディオンの『アブラハム・マーティン・アンド・ジョン』やエルビス・プレスリーの『イン・ザ・ゲットー』, 女性解放運動を歌うヘレン・レディの『アイ・アム・ア・ウマン』などがそれにあたります。
この『ガルベストン』も, 故郷のガルベストン(テキサス州のメキシコ湾岸の都市)を離れて戦場にいる兵士が恋人を想って歌っている歌なのです。 おそらくここで歌われている戦争は時代背景からベトナム戦争ではないかと思います。 
しかし曲を聞く限り戦争臭さは全然感じられません。 この辺が60年代終わりから70年代初めのポップスという感じなのです。

4.The Letter・・・The Box Tops

『あの娘のレター』は1967年9月23日から10月14日までの1ヶ月間ビルボードトップ100の第1位になり, また1967年のグラミー賞の2部門にノミネートされました。 翌年1968年には『クライ・ライク・ア・ベイビ(Cry Like A Baby)』, さらに1969年には『ソウル・ディープ(Soul Deep )』がヒットします。 ボックス・トップスは1960年代後半のアメリカのヒットパレードにしっかり足跡を残したバンドとなりました。

5.Don't Give In To Him・・・Gary Puckett & The Union Gap

彼らが成功の頂点に達したのは1968年で「Young Girl('68米2位)」「Lady Willpower(同2位)」「Over You(同7位)」とTOP10ヒットを連発。「Young Girl」をフィーチャーしたセカンド・アルバム(アルバムチャート21位)はファーストと同様カバー作品が中心だが、グレン・キャンベルの「Dreams of The Everyday Housewife」やボビー・ゴールズボロの「Honey」など先輩格にあたる同時代のMORシンガーたちへの挑戦状とも受け取れる選曲に、ボーカリストとして自信を深めたパケットの充実ぶりが窺える。

6.Theme from "A Summer Place"

1959年に公開された映画『避暑地の出来事』(A Summer Place)の主題歌。作詞はマック・ディスカント、作曲はマックス・スタイナーにより、ユーゴー・ウインターが歌った。
パーシー・フェイスによって録音されたものは、この曲の最も有名なバージョンである。1960年に9週連続全米ヒットチャートの1位を記録、1961年のグラミー賞を受賞した。グラミー賞を映画主題歌およびインストゥルメンタル曲が受賞したのはこれが初めてであった。

1.Medley : Spooky - Traces - Stormy
Spooky・・・Classics Ⅳ

如何にも1960年代後半というか、昭和40年代中頃のイラストが懐かしいジャケットが表わすとおり、発足当初のクラシックス・フォーも所謂「実態の無いバンド」であったかもしれません。
しかし絶妙に翳りが滲むサウンドと胸キュンメロディ、それでいて力強いピートを基本に仕上げられたクラシックス・フォーの楽曲の数々は、リアルタイムでのヒットはもちろん、むしろ時が経つにつれてエバーグリーンの輝きさえ感じられるほどです。
Traces・・・Classics Ⅳ
「トレーシス」は、最高位2位の大ヒット。ソフト・ロック・クラシックですね。 
Stormy・・・Dennis Yost & The Classics Ⅳ


ラシックス・フォーは1970年頃にはデニス・ヨースト&クラシックス・フォーとなって、つまりはデニス・ヨーストのソロプロジェクトになってしまうのも、それだけボーカルの魅力が強かった所為と思われます。

2.Medley : Aquarius -Let The Sunshine In



ベトナム反戦を謳い上げたブロードウェイのロック・ミュージカル 『ヘアー』 のナンバー、この 『輝く星座〜レット・ザ・サンシャイン・イン Aquarius - Let The Sunshine In』 はミュージカルの最初と最後の曲をくっつけた一曲

3.Games People Play・・・Joe South


「GAMES PEOPLE PLAY」(邦題「孤独の影」)は'68年にジョー・サウス自身がヒットさせた曲で、ビルボードチャートの12位まで上昇、さらにはこの曲はグラミーの年間最優秀楽曲賞(The Song Of The Year)を受賞しています。
「HUSH」は比較的新しいところだと'97年のKULA SHAKERのカヴァーでお馴染みですが、往年のロック・ファンにはディープ・パープルの'68年のファースト・ヒット・シングル(デビュー・アルバムに収録)としてのヴァージョンが馴染み深いかもしれません。もともとは'67年にジョー・サウスがカントリー系シンガーのビリー・ジョー・ロイヤルのために書いた曲で、サウス本人のヴァージョンが数年前に日産セレナのCMで使用されたりもしていました。
彼はミュージシャンとして裏方的な仕事も多くこなしており、最も有名なところだと、アレサ・フランクリンが歌った'67年の名曲「チェイン・オブ・フールズ」のトレモロの効いた印象的なあのギターはジョー・サウスが弾いたもの。他にもボブ・ディランの'66年の名盤『ブロンド・オン・ブロンド』にも、ギター/ベースで参加していました。

4.I Can Hear Music・・・The Beach Boys

ビーチ・ボーイズのヒットでおなじみのI can hear Music はロネッツがオリジナル。 66年フィレス最後のリリースとなったロネッツ終焉の名曲ロネッツへの興味を失ったフィル・スペクターが手を引きジェフ・バリーがプロデュースしている。
レコーディングのさみしい光景をロニー自身が語っていた。「スタジオにはたった3人のミュージシャン曲の中で聞こえるハンド・クラッピングは私達自身のもので最後には手が腫れ上がってしまったわ・・・」しかし、作品自体にはそんな悲惨な影など感じられない。最後のシングルとはいってもロネッツの作品のなかではとても魅力的な曲に仕上がっている。

ブライアンのクローンとしてでてはなく、カール自身の音楽性を存分に発揮したのが、フィル・スペクターロネッツ)のカヴァーである「I Can Hear Music」です。この爽やか且つ雄大な傑作は、カールが手がけた作品の中で最高のものと言っていいと思います。

5.Dizzy・・・Tommy Roe


42年、アトランタ生まれのトミー・ロウ。62年、自作の「SHEILA(かわいいシェイラ)」でデビューし全米1位を獲得する。この「SHEILA」は若き日のビートルズロゼッタ・ストーン、レイフ・ギャレットもカヴァーしている。続く「EVERYBODY’S HAD THE BLUES」も3位を獲得するヒット曲となったが、その後ヒットに恵まれず一時音楽界から離れていた。しかし、66年ミレニアムでお馴染みのカート・ベッチャーのプロデュースによるポップで愛くるしいナンバー「SWEET PEA」で復活。翌年同じくカートのプロデュースで、ソフト・ロック・ファンには圧倒的支持を得ているアルバム『IT’S NOW WINTER DAY』をリリースするも、セールス的にはふるわず路線を変更、ビートを効かせた、名ドラマー・ハル・ブレインをフィーチャー、ちょっぴりサイケでバブルガム・テイストな「DIZZY」でチャート1位に。