THE VENTURES MYSTERY TOUR 35

27.$1,000,000 Weekend [#55] 11/1967 について取り上げます。

通算26枚目のアルバム「100万ドルのウィークエンド」は、67年11月にリリースされた。タイトルが示すように、60年代後半、全米で大ヒットを記録したミリオン・ナンバーが12曲収められている。
彼らには珍しくオリジナル曲なしの、ヒット・オムニバス・アルバムになっていることだ。つまり、その時点までの彼らは、アメリカン・ポップス界の情況をアルバムに盛り込み(サーフィン、ゴー・ゴー、サイケデリック等のサウンドを積極的に取り上げてきた)オリジナル曲を書き下ろすというパターンを取ってきたわけで、そがまた大きな魅力だったのだが…

100万ドルのウィークエンド キング GXH-42 1970.8





A
01 そして今は
02 ジョージー・ガール
03 ビリー・ジョーの唄
04 サニー
05 リスペクト
06 いつも心に太陽を
B
01 恋はリズムにのせて
02 グルーヴィン
03 ウィンディー
04 涙のくちづけ
05 アップタイト
06 イエスタデイ



A 01そして今は



そして今は(原題:Et Maintenant 英題:What Now My Love)は1961年に発表されたジルベール・ベコーによって書かれたシャンソンであり、スタンダード・ナンバーでもある。66年始めにソニー&シェールが取り上げ注目される。そしてハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスが大ヒットさせた。曲のアレンジもハーブ・アルパートのものとほぼ同じ。(66年4月23日24位)


02 ジョージー・ガール


口笛に似たイントロが印象的なこの曲は、 "Georgy Girl" (’66年英国映画)という同名映画の主題歌としてヒットしました。英国のチャートで3位、アメリカのビルボードで2位、シーカーズの地元オーストラリアで1位となり、アカデミー賞でも "Best Original Song" (最優秀歌曲賞)を受賞しています。シーカーズはオーストラリア出身の四人組で、イギリスに渡って活動していました。
マーガレット・フォスターの同名小説を、シルヴィオ・オリッツァーノが監督、音楽は歌手のダスティ・スプリングフィールドの兄のトム・スプリングフィールドが担当!!出演者は、リン・レッドグレーヴ(ジョージー)、「ブルー・マックス」のジェイムズ・メイスン、「みどりの瞳」のリン・レッドグレーヴ、「その男ゾルバ」のアラン・ベイツシャーロット・ランプリング、ビル・オーエンほか!!

 
03 ビリー・ジョーの唄



ボビー・ジェントリーの作詞作曲でボビー・ジェントリー自身のデビュー曲として歌い’67年に全米NO.1ヒットを獲得しグラミー賞も受賞しました。主人公Billy Joe McAllisterがTallahatchee Bridge(タラハッチー橋)からガールフレンドと「何か」を川に投げ込み、翌日、同じところから自身が身を投げると言う唄です。

04 サニー



ボビー・ヘブの代表作「サニー」。フランク・シナトラスティーヴィー・ワンダー奥田民生など多くのミュージシャンによってカバーされてきた名曲です。大好きな兄を強盗に射殺されてしまった哀しみの渦中に創られた作品だそうです。

05 リスペクト



オーティス・レディングが作詞・作曲して1965年に発表した楽曲。アルバム『オーティス・ブルー』(1965年9月発表)のために録音された曲の1つで、アルバムに先駆けて8月にシングルとしてリリースされ、同年にはレディングにとって2作目の全米トップ40ヒットとなった。
1967年、アレサ・フランクリンによるカヴァーが全米1位を獲得し、オリジナル以上の大ヒットとなった。この件に関してレディングは「あの女が俺からあの曲を盗んだ」と語っている。
オーティス・レディングによる1965年の録音は、ウィリアム・ベル(William Bell)がバッキング・ボーカルで参加したヴァージョンと、レディングのロード・マネージャーであるディック・シムズがバッキング・ボーカルで参加したヴァージョンの2種類が存在する。シングルに使用されたモノラル・ヴァージョンはベルが参加したもので、シムズが参加したヴァージョンは『オーティス・ブルー』のステレオ盤に収録された。なお、レディングの録音でレコーディング・エンジニアを担当したトム・ダウドは、アレサ・フランクリンによる1967年の録音でもアリフ・マーディンと共にエンジニアを務めている。

06 いつも心に太陽を


いつも心に太陽を』は、1967年公開のイギリス映画である。出演もしているイギリスの歌手ルルが歌った主題歌『いつも心に太陽を』はビルボード全米チャート5週連続1位を記録し、1967年の年間チャートでもビートルズ、ザ・モンキーズらを抑えNO1を記録した。ただし、映画に使われたものとレコード化されてヒットしたものは、全く異なるヴァージョンである。前者はアップテンポでロック色が強く、後者はスローでバラード色が強い。

B 01 恋はリズムにのせて

「ミュージック・トゥ・ウォッチ・ガールズ・バイ」 邦題は「恋はリズムにのせて」。作曲はシド・ラミン作詞はトニー・ベローナ。この曲を作曲した シド・ラミンはアメリカのミュージカル「ウエストサイド物語」の音楽部門を携わったことでもよく知られています。
この曲でもっともポピュラーなのが1966年にボブ・クリュー・ジェネレーション(Bob Crewe Generation)が演奏したインストゥルメンタル・ミュージックのバージョンでしょう。この曲は米国ペプシ・コーラのCM曲として使用され全米イージーリスニングのチャートでは2位まで記録されました。アメリカのシンガーソングライター ボブ・クリューは「君の瞳に恋してる」の作者としてもよく知られています。
1967年にアンディ・ウィリアムスがカバーを行いヒットした事でも知られているこの曲、今聴いても色あせない名曲です 。

02 グルーヴィン

日曜の午後のための「Groovin'」。ブルー・アイド・ソウル・グループ、ラスカルズ(当時はヤング・ラスカルズ)が放った大ヒット曲。1967年5月〜6月にかけて2週連続No.1、一時明け渡した後、再浮上してさらに2週連続No.1を記録した大ヒット曲。この曲も数ヶ月後、今度はインストゥルメンタル・スタイルでブッカーT&MG'sが取り上げ9月23日付ビルボード誌で21位まで上がっている。(67年5月20日1位)

03 ウィンディー

ルーサン・フリードマン作のシングル「ウィンディ」(Windy)である。この曲は1967年5月にシングルチャート1位を記録し、この曲を収録した次の3rdアルバム『インサイト・アウト Insight Out』も6月にアルバムチャート8位を記録した。1967年6月16日には、アソシエイションはモントレー・ポップ・フェスティバルの一番手を務めるという栄誉を得た。彼らの成功の流れは、次なるシングル「ネヴァー・マイ・ラヴ」(Never My Love, ドン・アドリシ&ディック・アドリシ作)へと続いた。この曲は1967年秋にビルボードチャートで2位、キャッシュボックスチャートで1位を記録した。このシングルはアソシエイション唯一の両面がチャート入りしたシングルであり、B面収録の「レクイエム・フォー・ザ・マセズ」(Requiem For The Masses)も短期間ながらビルボードチャート入りした。

04 涙のくちづけ




1962年(昭和37年)、ブライアン・ハイランドの『 Sealed With A Kiss 』が流行った。この曲は、そのあとも何度もカバーされてヒットした。1962年、ベトナムアメリカ軍事顧問団は増兵して、1万人規模の戦闘部隊が駐留するようになった。本格的なアメリカの軍事介入がはじまった年。
1965年(昭和40年)、レターメンのカバーが日本でもヒットした。邦題は『涙のくちずけ』。ベトナム戦争は、アメリカの北爆がはじまって、海兵隊がダナンに上陸した年だ。アメリカと北ベトナムの本格的な戦争は激しくなっていくばかりだった。
それから7年、1972年にボビー・ヴィントンでまたヒットする。そのときの邦題も『涙のくちずけ』だった。アメリカ国内で激しい反戦運動が起こっていたが、アメリカ空軍による北爆が再開され、ベトナム戦争は、ラオスカンボジアまで拡大して、もうアメリカにとって、どうしようない状態になっていた。パリで和平条約が締結されたのは、翌年。サイゴン陥落でアメリカが完全にベトナムから撤退したのは、1975年(昭和50年)。
アメリカのポップスは、いつもアメリカの戦争と深く関わっている。(アメリカだけじゃないけど……いつの時代も、どこの国でも、流行歌は、そのときの若者がおかれている状況が反映されるものだ)

05 アップタイト


スティービー・ワンダー66年のヒット曲で、この年の2月第2位まで上がった。そして1年後の67年の10月にはビル・コスビーが歌い、またもや大ヒット。10月14日には第4位を記録した。(67年10月14日4位)


06 イエスタデイ

弦楽四重奏のアレンジは、プロデューサーのジョージ・マーティンによるものである。アコースティック・ギターとヴォーカルを担当したポール以外、他のビートルズのメンバーはレコーディングに参加していない。ポールは、ギターのチューニングを全弦1音下げでレコーディング。2テイクだけ録音され、第2テイクが採用された。
レコーディングで共演した弦楽四重奏団は既成のカルテットではなく臨時編成によるものでメンバーは以下の通りである。
トニー・ギルバート(第1ヴァイオリン)
シドニー・サックス(第2ヴァイオリン)
ケネス・エセックスヴィオラ
フランシスコ・ガバーロ(チェロ)
モノラル・ミックスはステレオ・ヴァージョンに比較し全体的にエコーが抑えられているが、1番の"something wrong, now I long"の箇所にのみステレオ・ヴァージョン以上に深いエコーがかけられている。
「イエスタデイ」のシングル盤は1965年9月13日にアメリカで発売された。本作は英国では8月6日にアルバム『4人はアイドル』において発表済みではあったが、米国キャピトル編集盤 『ヘルプ(四人はアイドル)』(1965年8月13日発売)には「イエスタデイ」は収録されなかった。そのため米国では新曲扱いのシングル盤となっていた。ビルボード4週連続1位、キャッシュボックス誌では3週連続第1位を獲得。アメリカでは100万枚以上のセールスを記録している。B面は「アクト・ナチュラリー」。英国以外のヨーロッパ圏各国では「ディジー・ミス・リジー」がB面であった。日本でもアメリカと同じカップリングのシングル盤はリリースされたが、「アクト・ナチュラリー」がA面であった。