ヨイトマケの唄・・・美輪明宏

昨年末のNHK紅白歌合戦で、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」が高視聴率を記録したようだ。私は、NHK紅白歌合戦を40年以上見た事がなく美輪明宏が「ヨイトマケの唄」を歌うと新聞で読んだが当日は違う番組を見ていてすっかり忘れていた。
この曲は、2011年12月に第1回の「歌謡曲特集」の時に紹介しただけに嬉しい。本日の「金スマ」というテレビ番組で特集されたので再度、紹介したい。

2.ヨイトマケの唄・・・丸山明宏

美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。

作詞作曲のきっかけは、興行主の手違いで炭鉱町の劇場でコンサートをすることになったことに始まる。当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしているのを見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ることを決意したという。

初めて発表したのは1964年(昭和39年)、リサイタルにて歌唱。1965年(昭和40年)、NETテレビ(現在のテレビ朝日)『木島則夫モーニングショー』の「今週の歌」で発表したところ、非常に大きな反響を呼び、放送局には10万通を超える投書があり、異例のアンコール放送となった。この歌がきっかけで、同性愛者であることを公にして以降、低迷していた美輪が、再び脚光を浴びることになった。白のワイシャツに黒の細身のスラックス姿で登場し、戦後の復興期の貧しい少年から、高度成長期にエンジニアへと成長した凛々しい青年を演じた美輪の姿は、多くの視聴者の胸を打った。

シングルレコード発売は1965年7月。レーベルはキングレコード。レコード・CDとして発表されている音源はいくつか種類があり、発表当時と近年では使用楽器などアレンジが異なる。(オリジナルの1965年録音盤、1975年録音盤(アルバム『白呪』収録)、2000年録音盤が存在する)発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる「土方」(どかた)「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲放送禁止歌)に指定された事でそれ以降民放では放送されなくなる。この制度自体は1983年に廃止されたが、実際は廃止された後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。

2000年に桑田佳祐が自身の番組桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜にてこの歌を歌うことでおよそ10年ぶりに公共の電波に乗り、大きな反響を得る。この際には、テロップにて「この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身のによるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである」との説明が付されていたが、以降多くの歌手がテレビでも歌うきっかけとなった。なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、槇原敬之によるカヴァーも放送されている。















この後のゴールデン・ボンバーズ、バンド結成の特集も楽しかった。