51回目の曲目

謡曲特集 その2

昨年末に続き、歌謡曲特集の2回目です。「昭和」の歌謡曲です。

1.星影の小径・・・ 小畑実

2.情熱の花・・・ ザ・ピーナッツ

3.与作・・・ 北島三郎

4.石狩挽歌・・・ 北原 ミレイ

5.北国の青い空・・・ 奥村チヨ

6.たそがれマイラヴ・・・ 大橋純子

7.赤いトラクター・・・ 小林旭

8.グッナイベイビー・・・ ザ・キング・トーンズ

9.横須賀ストーリー・・・ 山口百恵

10.涙のシークレット・ラヴ・・・ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド


1.星影の小径・・・ 小畑実


1曲目は、星影の小径(ほしかげのこみち)は、1950年(昭和25年)にキングレコードから、小畑実の歌唱で発売された歌謡曲である。同年の和製流行歌としては20万枚もの大ヒットとなった『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作である。小畑 実(おばた みのる、1923年4月30日 - 1979年4月24日)は、朝鮮平壌出身の歌手である。本名は、康永竽(カン・ヨンチョル)
後に多数の歌手によってカヴァーされ、1985年(昭和60年)にはAGFのCMに、1992年(平成4年)にはアウディのCMに、2003年(平成15年)には高岡早紀主演のフジテレビ系昼ドラマ『真実一路』、2012年(平成24年)には映画『その夜の侍』の主題歌に採用された。私が、最初に聞いたのは、ちあきなおみです。
香西かおり - アルバム『綴織百景VOL.8 のすたるじい』収録
庄野真代 with 浜田山〜ず - アルバム『Time Traveller vol.1 時代の夜汽車』収録
ちあきなおみ - アルバム『港の見える丘』収録
根津歩 - シングル
広瀬香美 - アルバム『Thousands of Covers』収録
美空ひばり - アルバム『カバーソング コレクション』収録
森昌子 - アルバム『あのころ』収録







2.情熱の花・・・ ザ・ピーナッツ

ザ・ピーナッツの姉のエミさんは、今年春、腰を病い、病院で精密検査を受けたところ、がんがみつかり、6月15日にひっそりと息を引き取った。元来はヨーロッパの歌手であったカテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente)が「Tout L'Amour (PASSION FLOWER)」の題名で歌唱していたものであったが、1959年にザ・ピーナッツがカヴァーの上で日本語に訳詞されたものを発表した。ベートーヴェンの「エリーゼのために」のメロディをアレンジの上で使用している。歌詞は「ララララー…小さな胸に」より始まるものと、「ララララーラー…私の胸に」で始まるものとの合計2種類が存在している。
1959年4月、「可愛い花」でレコードデビュー。B面は、「南京豆売り」2枚目は、「キサス・キサス・キサス / チャッキリ、チャ・チャ・チャ」、そして、「情熱の花 / 米山さんから(三階節)」です。


3.与作・・・ 北島三郎

『与作』(よさく)は、1978年3月25日に日本クラウンが発売した、北島三郎の歌唱によるシングルである。    
キハーダ(スペイン語:quijada)は、体鳴楽器(たいめいがっき)に分類される打楽器のひとつ。キューバの楽器である。quijadaは顎の骨の意味。馬の骨。顎(あご)の骨。乾燥させて奥歯ガタガタ。ロバや馬の下あごの骨を乾燥させることで歯肉を取り除くと、歯肉の厚み分だけ歯と骨に遊びができ、骨に付いたまま歯が自由に動くようになる。これを楽器として用いたものである。ヴィブラスラップ(Vibraslap)は、体鳴楽器に分類される打楽器で、キハーダの代用として用いられる。ジョー・コッカーの「フィーリン・オールライト」とかユーミンの「中央フリーウェー」にも使われています。
東京都八王子市暁町にある、総数36部屋の大豪邸に、家族と内弟子と共に住んでいる。(“三郎”からの語呂合わせで、36部屋作られた。)
酒は全く飲めない。
舞台前に飲まないと調子良く歌えないと漏らすほど、三ツ矢サイダーを愛飲している。
高校時代の北島は、海で溺れた小学生を救助したという逸話がある(この人命救助の件は当時の函館新聞にも掲載され、その記事が函館市北島三郎記念館に飾られている)。

4.石狩挽歌・・・ 北原 ミレイ

『石狩挽歌』(いしかりばんか)は、作詞なかにし礼、作曲浜圭介の楽曲。1975年日本作詞大賞の作品賞を受賞。
1975年に北原ミレイが発表したシングルが最もよく知られている
挽歌とはエレジー、つまり悲しみを表現したうたのことである。
石狩の海のニシン漁を舞台に、大きな夢を見て それをつかめないままに終わってしまう男、そんな男と人生をともにする女の気持ちが、鮮やかな情景とともにうたわれている。
なかにし礼自身の幼少時の体験、兄に対する複雑な気持ち、人生に対する想いが織り込まれている。なかにし礼には、15歳年上の、破滅傾向で疫病神のような兄 正一がおり、その兄が引き起こすトラブルや葛藤が人生にしつこくつきまとった。幼少時、なかにし家は貧困の中にあり、兄はバクチのようなニシン漁を行ったことがあり、せっかく大漁に恵まれたのに、それで満足せず、わざわざ本州まで運んで高く売ろうとしたために、結局せっかくのニシンも腐らせてしまい、全てを失い膨大な借金だけが残ってしまった。そして一家は離散することになった。なかにしの内にある、そうした原体験とでも呼べるようなものがこの歌には込められているのである。1963年に最初の妻と結婚する。当時は生活費と学費の一切を妻の稼ぎに依存し、のちに一女を儲けたが、なかにしは浮気を繰り返し、家には金を一銭も入れず、1968年には離婚に至った。


1.
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ

雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く

あれからニシンは
どこへ行ったやら

破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー

沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る

2.
燃えろ篝火 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ

ソーラン節で 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く

あれからニシンは 
どこへ行ったやら

オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー

かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る

海猫(ごめ):カモメの一種、猫のように鳴く。ウミネコ。ニシンの群れに沿って集まってくる。  
赤い筒袖(つっぽ):火消しのつつそで同様の袂(たもと)の無い半纏のようなもの。 
ヤン衆:ニシンは<春告魚>というように短い漁期なので季節漁師のような人々をいう。  
番屋:魚を荷揚げしたり、加工したり、寝泊りしたりする家屋。  
問い刺し網:建網ともいわれる浮子(うき)の付いた刺し網の一種の魚網。 
笠戸丸:ブラジル移民船で有名だったが終戦時北方の戦役についていた時に撃沈された。 
朝里の浜:札幌の銭函と小樽の中間にある浜。なかにし礼の故郷  
海は銀色:ニシンの群来には海がニシンで溢れ銀色に光ったと。
オタモイ岬:高島岬から赤岩山を越えた反対側にある。ニシン御殿跡がある。  
ニシン御殿:ニシン御殿は小樽市祝津3(高島岬)の断崖上にある北海道初の民俗文化財となったニシン御殿。やや内陸の祝津2に旧青山別邸を移築した『にしん御殿小樽貴賓館』がありそこに、なかにし礼直筆の石狩挽歌歌碑がある。 
古代文字:江戸末期、手宮石室洞窟の壁に文字様の壁画が発見され、古代文字だ、壁画だ、最近の悪戯だ、と諸説紛々だったが、平成になって隣接の縄文地層から同様のものが発見された。小樽の名物。



5.北国の青い空・・・ 奥村チヨ

ベンチャーズが作曲した「北国の青い空 」(1967.08.05) 1974年に浜圭介と結婚、芸能界の第一線を退く。浜圭介は札幌の出身で、結婚式は札幌市内の教会で挙げました
なかにし礼「恋の奴隷」(1969年)「恋泥棒」(1969年)「恋狂い」(1970年)


6.たそがれマイラヴ・・・ 大橋純子


大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年4月26日 - )は、北海道夕張市出身の歌手である。1970年代後半から1980年代前半にかけて、北島音楽事務所に所属していたこともある。藤女子短期大学に進学。放送研究会に所属しながら、北海道大学の軽音楽クラブバンドで地元の注目を集める。当初はハードロックを歌っていたが、後にセルジオメンデス&ブラジル66’、ジャニス・ジョプリンなどの影響でソウルフルな歌唱に傾倒し、その頭角を現した。地元・北海道のHBCラジオで深夜放送のディスクジョッキーも行っていた。1978年「たそがれマイ・ラブ」がTBS系ドラマ主題歌でヒット

7.赤いトラクター・・・ 小林旭

天気予報番組「ヤン坊マー坊天気予報、自身の歌うCMソング『赤いトラクター』がヒットし、大きなイメージアップの原動力となった。また小林は同社の農機具のCM以外にもほぼ同年代に同社の建設機械および船舶のCMにも出演していた。ちなみに小林が1977年当時、同社のトラクターのCMに出演している時、ライバルのクボタのトラクターのCMには橋幸夫が、ヰセキのトラクターのCMには加山雄三がそれぞれ起用されていた。

8.グッナイベイビー・・・ ザ・キング・トーンズ


『グッド・ナイト・ベイビー』は、1968年5月1日に日本グラモフォンから発売されたザ・キング・トーンズのファーストシングル。
大滝詠一のプロデュースで、1980年に、ヴェルヴェッツの「夢のお月様」、ファイヴ・サテンズの「イン・ザ・スティル・オフ・ザ・ナイツ」のシングル盤を発売しています。 

9.横須賀ストーリー・・・ 山口百恵

横須賀ストーリー」(よこすかストーリー)は、1976年6月にリリースされた山口百恵の13枚目のシングルである。「冬の色」以来のオリコン1位を獲得し、オリコンでは百恵の最大ヒットシングルとなった(累計では『いい日旅立ち』が本作の売上を上回っている。シングルでは初めて阿木燿子・宇崎竜童を作詞・作曲に起用(今作より前にアルバム『17才のテーマ』で同コンビによる作品の提供を受けている)。これ以降、同コンビによるシングルは12作品リリースされている。B面の「GAME IS OVER」がいい。「横須賀恵」は、山口百恵本人の作詞時に使用していたペンネームである。


10.涙のシークレット・ラヴ・・・ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

涙のシークレット・ラヴ (1976.07.20)宇崎 竜童酒に強そうなイメージを持たれていることが多いが、実はまったくの下戸であり、大の甘党である。特に饅頭やケーキなどには目がない。それに対し、夫人の阿木は酒好きで強いと有名である。晩酌をする妻の横で宇崎は茶を飲み、甘味に舌鼓を打つことも珍しくないという。