MULHOLLAND DRIVE--1・2・3・4・5・6・7

マルホランド・ドライブ」の怪と解

マルホランド・ドライブ』(MULHOLLAND DRIVE)は、2001年製作のアメリカ・フランス合作映画です。デヴィッド・リンチ監督のミステリーで、難解な内容の映画です。2度や3度見ても何が何だかさっぱり解らない。時間をかけて少しずつ謎を解いていきたい。更新ごとに末尾に数字を入れていきます。


マルホランド・ドライブは実在する道で、そこからハリウッドが一望に見渡せる。「マルホランド・ラン」という車の映画がある。毎年、タイムを競うレースも行われている。かなりのワインディング・ロードである。
1963年にヴェンチャーズが発売した「THE VENTURES IN SPACE」というアルバムは、ホットロッドカーに乗るカップルが『マルホランド・ドライブ』の頂上からロス(ハリウッド)の夜景を見る写真が使われている。

1964年のジャン&ディーン「危険なカーブ(デッドマンズ・カーブ)」は、マルホランド・ドライブでのカーレースを現した曲である。リバティでの最初のシングルは、ハープトーンズというドゥー・ワップ・グループのカヴァー「A Sunday Kind Of Love」という曲でしたが、チャート上では95位とあまり振るわず、後のリバティ・サウンドの要となるスナッフ・ギャレットが1963年、彼の手により数曲がリリースされた後、レコーディングされチャートでは28位と大健闘となったのが「Linda」という曲。この曲は、もともとジャック・ローレンスという人により書かれた曲ですが、モデルとなったリンダというのはジャックの友人の娘であるリンダ・イーストマン、そう、後のポール・マッカートニーの奥さんになる女性なのです。
また、彼らはビートルズの「ノルウェーの森」もレコーディングしています。その彼らがヒット曲を連発中であった1966年4月12日、メンバーのひとりジャン・ベリーが、愛車コルヴェットで頭蓋骨骨折の大事故をおこし、瀕死の重傷を負いました。そして、彼等の活動が実質的にピリオドを打つことになりました。

「Linda」が入ったアルバム


彼らの事は、後に映画になりました。1978年製作、原題は「 Deadman's Curve 」で日本題は、「夢のサーフシティー」といい、ディック・クラークとビーチボーイズマイク・ラヴがゲスト出演しています。
ストーリーを要約すると...
1958年のカリフォルニア。若者たちで熱気づくロスの街。ジャン(リチャード・ハッチ)とディーン(ブルース・デービソン)は苦労して吹き込んだ曲をレコード会社に送った。その曲ジェニー・リーがアーウィン・レコード社のオーナーに気に入られ、レコード化が決定。その直後2人の喜びもつかの間、ディーンが兵役につくことになってしまった。その間、ジェニー・リーが大ヒットしジャンはスターの仲間入りをはたす。それから数カ月後、除隊してガソリン・スタンドで働いていたディックはジャンと再会。2人はコンビを組んで仕事を始めることにする。そして59年にジャン&ディーンが誕生。その年ヒット・チャートNo.1を果たした2人は61年冬、ドア・レコードからリバティ・レコードに移籍。63年、サーフィン、ホット・ロッド・ミュージックが流行する中で、ジャンは、恋人がいるにも拘らず、次々に女の子たちと遊びまわっていた。ジャン&ディーンは益々人気をたかめ、カリフォルニアのゴールデン・ボーイと呼ばれるようにまでなった。しかし66年、ジャンは自動車事故で危篤状態に陥り、生命はとりとめたものの、右半身不髄、言語障害という後遺症を残した。恋人はジャンから去り、ディーンとも疎遠になるジャン。闘病生活の中でアニー(パメラ・ベルウッド)という女性と知り合った。彼女の努力も手伝い、ディーンとの溝を埋めたジャンは再び歌に生きようと心に誓った。そして、2人のステージが実現した。73年、事故から7年後、皆の見守る中で、舞台に立つ2人。しかし自信のないジャンはテープに合わせて歌うという卑怯な手段をとるが、それが途中で知れて、観客の怒りを買う。うなだれる2人。しかし、罵声の中で、涙ながらにやがて歌い出したジャンは、身体のハンディを背負いながらも必死に心をこめて歌った。それにディーンが声を合わせる。いつしか観客は総立ちになるのだった・・・
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リンダ・イーストマン
リンダ・ルイーズ・マッカートニー(Linda Louise McCartney, 1941年9月24日 - 1998年4月17日)は、アメリカ合衆国の写真家、ミュージシャン、料理研究家

ユダヤ系の弁護士の娘として生まれ、ニューヨーク郊外のウエストチェスターにある高級住宅街スカースデイル(ちなみに同時期にはジョン・レノンの夫人であるオノ・ヨーコの家族も住んでいた)で裕福な幼少時代を過ごした。なお旧姓がイーストマンで、職業が写真家だったことからイーストマン・コダック社の一族と血縁関係にあるのではないかという噂が立ったが、本人はインタビューの中でこれを否定している(父が姓をエプスタインからイーストマンと改姓した---姓が、かつてのビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインと同じというのも奇遇です。)。ロックンロールやR&Bに陶酔する活発な少女で、両親に内緒でバディ・ホリーのライブを観に行くこともあったという。1961年、母親が飛行機事故で急死。その直後の1962年に大学在学中に知り合った地質学者のジョセフ・メルビル・シー・ジュニアと結婚し、長女のヘザー(Heather McCartney)をもうけたが、保守的な夫と外向的な性格だったリンダの性格不一致から、僅か1年足らずで離婚する。

1967年、ロンドンの「バック・オネイルズ」という名のクラブでビートルズポール・マッカートニーと知り合う。当時ポールはジェーン・アッシャーピーター&ゴードンのピーター・アッシャーの妹)と婚約していたが、翌年になって破局。その後すぐにポールとリンダは交際するようなる(その後、ポールはビートルズのレコーディング・セッションにもリンダを同伴させることが多くなる。リンダが撮影したレコーディング中のビートルズの写真も多数残されている)。そして1969年3月12日に正式に結婚。しかし、ビートルズのメンバーの中でもとりわけ存在感の強いポールと結婚した彼女と、ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコに対する世間の風当たりは非常に強く、離婚歴のある子連れの女性であることなども含めて彼女たちは心無いマスメディアや女性ファンたちの攻撃の対象になった

ポールとの結婚後は写真家としては実質的に引退し、夫やごく親しい人物に関連する写真以外では本業を行うことはなくなり、ポールのファーストアルバム「マッカートニー」のジャケットなどを手がけた。1971年からは、ポールが新たに結成したバンド「ウイングス」のオリジナル・メンバーとして参加。1970年代を代表する人気バンドとなったウイングスの中ではコーラスとキーボードを担当し、アルバムのみならずステージ上でも演奏したが、もともと音楽的な教養や経験がなく、素質に欠けていた彼女の演奏力は評論家やファンに強く批判された。


1995年に乳癌であることが発覚。同年秋に行われた手術は成功し、一旦は快方に向かっていると思われていたが、1997年に再発。やがて各部位に転移し、手の施しようのないほど病状が悪化してからはアリゾナ州にある別荘で家族と共に余生を過ごしたといわれている。1998年4月17日、アリゾナ州のツーソンで死去。遺体は荼毘に付され、半分はポールが所有するスコットランドの農場に、そして残りはツーソンの別荘に撒かれた

死後にはポールと録音した曲を集めたアルバム『ワイド・プレイリー』が発売され、翌1999年にはポール・マッカートニーによるリンダへの追悼の意を込めた2枚のクラシック作品が発表された。2000年の3月には、当時62歳だった最初の夫ジョセフ・シーが拳銃で頭を撃ち抜いて自殺する。その日はポールがのちに夫人となる年下の元モデル、ヘザー・ミルズとの交際を正式に認めた翌日のことだった。

写真集「SIXTEES」 
海外版と日本版(海外版(Printed in Italy)には、's が無い)


感性の違いと思うが、私自身は全作品ともうまい写真と思わない。


ナオミ・ワッツローラ・ハリング

この映画の主演は、ナオミ・ワッツローラ・ハリングです。

ナオミ・エレン・ワッツ(Naomi Ellen Watts, 1968年9月28日 - )は、イギリス出身の女優。



イングランドのケント州ショアハムで生まれる。父親のピーター・ワッツはピンク・フロイドサウンド・エンジニア。母親のミヴ・ワッツはアンティークのディーラーや衣装デザイナーを務めていた。幼少時のナオミがピンク・フロイドのメンバーらと共に納められている写真をニック・メイスンがピンク・フロイドの自伝に掲載した

1986年にモデルとして生計を立てるために日本へ移住した。しかしプロのモデルとして肉体的な必要条件を満たしていなかったために、ワッツにとって全く興味の湧かない販売促進の部門に配属されそうになったことから4ヶ月で辞職。彼女は後に当時のことを「人生で最悪の時期」と振り返っている。

ローラ・ハリング(Laura Harring、本名:Laura Elena Martínez Harring、1964年3月3日- )は、アメリカ合衆国の女優。メキシコ出身。


メキシコ・シナロア州ロスモチスで生まれる。母親はメキシコ人、父親はドイツ系、6歳の時に家族でテキサスに移住し、16歳からスイスで高等教育を受ける。1985年にラテン系で初めてのミス・アメリカに選ばれた。その後、インドでソーシャルワーカーとして働いたり、ヨーロッパを放浪したこともある。ドイツの政治家であるカール・エドワード・フォン・ビスマルク伯爵と結婚していた時期もある。離婚後にロンドンの演劇学校で演技を学んだ。タンゴのダンサーでもある。



ナオミ・ワッツは、ベティ・エルムスとダイアン・セルウィン、ローラ・ハリングは、リタとカミーラ・ローズのそれぞれ、いつの間にか二役になっている。リタはローラ・ハリングが記憶を失い、偶然、壁にある映画ポスターを見て、とっさに「リタ」と名乗ったが、そのポスターは、ハリウッド女優のリタ・ヘイワースである。

ナオミ・ワッツのベティ・エルムスは、同じくハリウッド女優のベティ・デービスもしくは、ベティ・グレイブルを暗に示唆しています。つまり、ベティ役とリタ役のダイアンとカミーラは、ハリウッドの女優たちの代表ということである。この二人の個人の人格を借りて、ハリウッドの俳優たちの明暗、そしてスキャンダルやトラブルといったハリウッドの暗部を、集合的人格として描いている。

この前半部分は、「ダイアンの夢」であると同時に、「ハリウッドの夢」でもある。厳密に言うと、前半部分のみならず、『マルホランド・ドライブ』という映画自体が、「ハリウッドの夢」なのである。主に、前半部が「ハリウッドの明るい夢」、後半部が「ハリウッドの悪夢」だ。
 前半部分に描かれたベティの夢(願望)。しかし、それはベティという一個人だけが描いた願望ではない。ハリウッドに来た女優の卵たち全員が、大女優になろうという大きな夢を抱いて、ロスにやってきたはずだ。つまり、ベティという個人の物語に、何万人、何十万人とロスにやって来ては消えていった女優の卵たちの集合的人格を重ねて描いているのである。
 ベティに関するエピソードに限らず、この映画に出てくるエピソードの全てが、ハリウッドで何万回と繰り返されてきた、ありふれた出来事である。
 新人俳優のオーディション・・・電撃的デビュー・・・
 金と名声・・・豪邸での華やかなパーティー・・・
 成功を収めたものが手にする高級車と高級住宅・・・
 あるいは、敗者の羨望、恨み、嫉妬・・・
 権力や人気からの失墜・・・
 あるいは、交通事故、変死、マフィアがらみのトラブル・・・
 スキャンダル。脅迫。映画製作に対する圧力・・・
 同性愛。セックス・スキャンダル・・・
 『マルホランド・ドライブ』は、ハリウッドの縮図なのである。ハリウッドの成功は一筋縄ではいかない。その曲がりくねった小道を、実在のマルホランド・ドライブという曲がり角だらけの道にたとえているのだ。


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4人のハリウッド女優

さらに映画の中で映画監督アダム・ケシャーの母親とベティの住む家の大家ココの二役を演じているアン・ミラーです。


アン・ミラー(Ann Miller、1923年4月12日〜2004年1月22日)はアメリカの映画女優。主として1930年代から1950年代にかけてのミュージカル映画で活躍した。

幼くしてボードヴィルなどでダンサーとして活動し、高校卒業後、ナイトクラブに出演。RKOからスカウトされて映画入りし、『新人豪華版』(1937年)などで本格デビューした。その後『ステージ・ドア』(1937年)などにも出演した。1948年、『イースター・パレード』出演のためMGM社に転じ、7年契約を交わしたが、同作で準主役としてフレッド・アステアと踊った。『踊る大紐育』(1949年)、『キス・ミー・ケイト』(1953年)、『我が心に君深く』『艦隊は踊る』(1954年)など当時黄金期のMGM作品で活躍するが、ミュージカルが下火になるにつれて舞台に軸足を移し、後年はブロードウェイで活動した。鼻梁が細くすっと高い特徴ある美貌。どんなゴージャスなドレスでも着こなす華やかさ。シュールなほど昔ながらの「ハリウッド」の香りを放っている。2004年、肺癌のため死去。三度の離婚を経験している。


リタ・ヘイワース Rita Hayworth(1918年-1987年) 本名:マルガリータカルメン・カンシーノ。アメリカの女優・映画俳優。

1918年10月17日、ニューヨーク州ブルックリン生まれ。両親共にダンサーであり、彼女自身も12歳から舞台に立ち、十代のはじめには週に20ステージも踊っていた。彼女の魅力が最も発揮された作品は1946年の『ギルダ』である。チャールズ・ヴィダー監督のフィルム・ノワールで彼女は運命の女ギルダを演じ、セックス・シンボルとして絶大な人気を誇った。

プライベートではオーソン・ウェルズ(2番目の夫)やアーガー・ハーン3世の息子Prince Aly Khanなどと5回の結婚歴があり、娘が二人いる。1960年代からアルツハイマーを患い、1987年にその生涯を閉じた。

ローラ・ハリングが見た壁にある映画ポスターはこの「ギルダ」のポスター

ショーシャンクの空に』(原題: The Shawshank Redemption)は、1994年に公開されたアメリカ映画。

スティーヴン・キングの中篇作品集である、(邦題『恐怖の四季』)に収録されている「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作である。フランク・ダラボンが、初監督と脚本を担当し、映画化された。冤罪によって投獄された銀行員が、腐敗した刑務所で希望を持ち続けて生き抜く姿を描いた感動の名作である。

刑務所のリタ・ヘイワース」と「ラクエル・ウェルチ



刑務所内で「ギルダ」が上映された。


感動的なラスト・シーン


私にとって、この『ショーシャンクの空に』を超える映画はありません。


ベティ・グレイブル(Betty Grable、本名:Elizabeth Ruth Grable、1916年12月18日 - 1973年7月2日)は、アメリカ合衆国の女優。

第二次世界大戦中は1番人気のピンナップガールで百万ドルの脚線美と謳われた。アカデミー作品賞受賞作品でフレッド・アステアジンジャー・ロジャースとも共演。
結婚は2回。最初はジャッキー・クーガンと1937年にしたが1939年に離婚。バンドリーダーであったハリー・ジェイムスとの2回目の結婚は1943年から1965年まで続き子供を2人もうけた。
56歳でカリフォルニア州サンタモニカにて死去した。

ベティ・デイヴィス(Bette Davis, 1908年4月5日 - 1989年10月6日)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェル出身の女優。

幼いとき両親が離婚して、早くから母や姉から自立せねばならなかった。ハイスクール在学中から、ダンスや演技を学び俳優を目指した。芸能専門学校に在校したのち、オフブロードウエイでの舞台俳優の経験を経て、1929年にブロードウェイの舞台でデビュー。

1934年、RKOに客演したジョン・クロムウェル監督の『痴人の愛』(原作はサマーセット・モームの『人間の絆』)が評判となり、以後演技派の大女優への道を歩む。代表作はアカデミー主演女優賞を獲得した『青春の抗議』(1935)、『黒蘭の女』(1938)をはじめ、『化石の森』(1936)、『札つき女』(1937)などがある。1938年から1942年まで、5年連続でアカデミー賞にノミネートされたのは、グリア・ガースンと並び、アカデミー賞史上空前の記録である。

1989年、フランスのヌイイでガンのために死去。4回の結婚歴がある。彼女は、実はウィリアム・ワイラーを愛していたのだが、彼の妻から反対されて結婚できなかったという(?)

1981年には、彼女を題材としたキム・カーンズの「ベティ・デイビスの瞳(Bette Davis Eyes)」という歌が全米で9週1位という記録的な大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を受賞した。


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「ダイアンの夢」

田舎かから出てきたダイアンには、大女優の叔母がいる。そして、その叔母の高級アパートでのリッチな生活が始まる。さらに、叔母のコネで早速、オーディションを受ける。初めてのオーディションで、その演技を絶賛される。キャスティング・エージェントのリニーはベティを気に入り、別の大作映画のオーディション会場に彼女を連れて行く。そこで有名監督アダム・ケシャーを紹介される。そして、その有名監督はベティに強い興味を示す。
 こんな都合のいい話があるのか・・・。
 あるはずないだろう。
 演技の勉強もしたことのない素人の田舎娘が、そんなに調子よく女優の階段を上れるはずがない。これは、ダイアンの願望である。「現実」のダイアンは、脇役専門の二流女優である。それもカミーラのお情けで共演させてもらっていただけ。ダイアンの女優への階段は、厳しいものであったはずだ。
 ダイアンの叔母は死んだ(パーティーでの会話)、すなわちその叔母が有名女優のはずがない。またダイアンはオーディションすぐに合格することもできなかった。だからこそ、「私にコネがあれば、ひょっとしたら成功したかもしれない」というダイアンの思いが、それを現実化する夢を見させたのだ。
 コネ、そして調子の良いデビューで思い出されるのが、リタである。マフィアの圧力によって強引に主役の座を勝ち得たカミーラ。カミーラの輝かしい女優遍歴から考えて多少のコネを使ったことは十分に考えられる。それが「マフィアを使った強引な圧力」という誇張した形で夢の中で再生されているのだろう。



 ここで重要なのは、オーディションで歌を歌う女性(メリッサ・ジョージ)、カミーラ・ローズがリタ役のローラ・エレナ・ハーディングではないことだ。ここで、エレナが歌を歌ってると話は非常にわかりやすくなる。リンチの一種の映像的撹乱であるが、夢として解釈するなら、コネでデビューしたカミーラに対する羨望としてとらえられる。
 つまり、この「オーディションでカミーラが主演の座を勝ち取らなければ良かったのに・・・・」というダイアンの羨望、あるいはひがみが、カミーラがエレナでない別な女性の姿で登場させるのだ。


キャロル役のエリザベス・ラッケイが口パクで唄うのは・・・

Sixteen Reasons ♪
「あなたを愛する16の秘密」
コニー・スティーブンスです。



最近発売された2枚組CD !

もう一人のカミーラ・ローズ役のメリッサ・ジョージ が口パクで唄うのは・・・


I've Told Every Little Star♪
「星に語れば」
 リンダ・スコットです。


歌い出すカミーラ。アダムは“彼女だ”This is the girlと言うしかなかった。


二人のカミーラ・ローズ、ローラ・ハリングとメリッサ・ジョージは、レスビアン(?)・・・


映画の主役女優として選ぶように圧力を受けたアダムが選んだ女優はカミ―ラ・ローズ。この"カミ―ラ"は現実にはカミ―ラの友人の一人です。彼女はアダムとカミ―ラの婚約発表の席で、ダイアンの目の前でカミ―ラとキスをしていました。ダイアンとしては、カミ―ラがアダムと婚約したことと同じか、それ以上にカミ―ラとこのカミ―ラの友人の親密な関係に傷つきました。ダイアンの夢の中では、カミ―ラとその友人は知り合いですらなく、カミ―ラと親密な関係になる可能性すらありません。加えて、ダイアンとカミ―ラのどちらも主演女優に抜擢されることはありません。現実には、カミ―ラとダイアンの関係はカミ―ラが人気女優になるにつれて崩れていきました。ダイアンは2人の関係を崩す要素を排除しようとしていました。これもダイアンの願望が反映された部分です。

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「ウィンキーズ」のウェーイトレスの名は「ベティ」。女優の卵、あるいは売れない女優たちは、普段はウェートレスなどのアルバイトをして生計を立てている。このベティというウェートレスも、多分女優の卵なのだろう。



 すなわち、女優の卵としての総称を、この映画の中では、ベティ・デイビスもしくは、ベティ・グレイブルの「ベティ」として表している。したがって、上京したばかりの女優の卵の少女の名前は、ダイアンではなくベティなのである。
 そもそも、「ダイアンの夢」では、『ウィンキーズ』のウェーイトレスの名前は、ダイアンであった。それを手がかりに、リタは自分の名前が「ダイアン」かもしれないと言い出す。なぜ、夢の中では、「ベティ」というウェートレスの名前が、「ダイアン」なのか。それは、ダイアン(ナオミ)がウェートレスとして働いていたからであろう。
 「現実」のダイアンは、「夢」の中のベティとは違い簡単にデビューできなかったはずだ。できなかったからこそ、願望としてそんな夢をみてしまう。すなわち、苦渋の女優生活を歩んでいた彼女は、アルバイトで生計を支えるしかない。ダイアンは、多分ウェートレスをしていた。そんな、下積み生活は、ダイアンにとって思い出しくない過去。つらくて苦しい過去の記憶は抑圧される。しかし、それは消し去ることができない。それが「夢」の中では、「ダイアン」の名前をつけた別の少女という形でほんのちょっとだけ顔を出しているのである。

 

ダイアンの夢の中で出てくるウェイトレス「ダイアン」や、ダイアンが殺し屋と会っているときにテーブルのそばで食器を落として謝っていたウェイトレス「ベティ」。彼女らが"美しすぎる"とは思いませんか。一介の町のダイナーで勤めるウェイトレスがどうして、こんなに美人なのか。そして、ダイアンが殺し屋との面会という気の張る場面にも関わらず、「ベティ」というウェイトレスの名を覚えていたのはなぜなのか。よほどの常連客でもない限り、ウェイトレスの名前を覚えていることはないでしょう。

 ハリウッドにはたくさんの俳優や女優の卵たちが集まってきます。皆、それぞれに夢を抱いて、この街にやってくるのです。しかし、そのうち、夢を叶えることのできる人間はごくごくわずか。残りはあきらめて別の職を探すか、たくさんのオーディションを受けながら、いつか来る日を待ち続けるしかありません。ハリウッドにはたくさんの"ダイアン"がいるのです。ウィンキーズのウェイトレスが美人なのは、彼女が女優志望だからでしょう。いつか、夢のかなうときを待って、ウェイトレスで食いつないでいるか、それとも、もう、女優になる夢をあきらめているのか。ダイアンもウェイトレスをした経験があるのかもしれません。端役ばかりで映画の仕事だけでは食べていけないダイアンと、ウィンキーズのウェイトレスは同じ境遇にある。仲間として彼女を見るダイアンの目が、ウィンキーズのウェイトレス・「ベティ」の名前を記憶に残したのかもしれません。






ダイアンは過去に起きた出来事を思い出していることがあります。これは、ダイアンの夢あるいは妄想とは異なり、現実にあった出来事をダイアンが回想しているシーンです。これらの回想シーンはおおむね、真実なのですが、細部についてはつくり変えが起きています。誰しもそうですが、しばしば、過去の記憶というものは完全なものではなく、部屋のインテリアやレストランの食器などの、ストーリーの大筋を外れる部分は記憶がおろそかになるものです。ダイアンも全く同じでした。そのため、ダイアンの回想シーンをよく見ていると、小物がおかしいところが何点か出てきます。例えば、茶色のコーヒーカップ。下部が膨らんだ形のこのコーヒーカップは「マルホランド・ドライブ」中、4回出てきます。

 最初の登場シーンはウィンキーズで2人の男性が会話しているシーン。2度目は、リタとベティーが警察へマルホランド・ドライブで事故の問い合わせをしてウィンキーズで新聞を調べているとき、ダイアンが自宅でコーヒーを淹れているシーン、そして最後はやはりウィンキーズでダイアンが殺し屋にカミ―ラ殺害を依頼しているシーン。確かに、ダイアンの家のコーヒーカップとウィンキーズのコーヒーカップが同じものだったということも考えられなくはありませんが、あまりにも奇妙な一致、と言わざるを得ません。


ウィンキーズで2人の男性が会話しているシーン

ウィンキーズで新聞を調べているとき

ダイアンが自宅でコーヒーを淹れているシーン

ウィンキーズでダイアンが殺し屋にカミ―ラ殺害を依頼しているシーン


 この3つのシーンのうち、現実の場面は3度目のシーンだけです。1つめのダンともう1人の男性が話をしているシーンとリタとベティーが警察へマルホランド・ドライブで事故の問い合わせをしているのはダイアンの夢の中ですし、4回目のダイアンと殺し屋のシーンはダイアンの回想。従って、このコーヒーカップは本来、ダイアンが家で使っているカップであるということが分かります。




黒い男は何者か

 ウィンキーズの裏手にいた不気味な黒い男は一体何者でしょうか。この男は「マルホランド・ドライブ」の中で2度、登場しています。1度目はダンがウィンキーズの裏手に行ったとき、そして2度目はダイアンが妄想から覚め、カミ―ラとの過去を回想した後でした。


 この黒い男はダイアンの後ろめたい気持ちや自責の念が形となって現れたものです。ダイアンの妄想の中では、ダイアンはときに別人となって行動しています。ウィンキーズのエピソードでもそうでした。繰り返し夢を見、ウィンキーズの裏手にいる男に怯えるダンはダイアンその人です。彼女はカミ―ラを殺してしまったという罪悪感に苛まれ、眠れない日々を送っていました。朦朧とするダイアンの意識のなかで、蘇るのは殺し屋にカミ―ラの殺害を依頼したあの場所、ウィンキーズです。あのとき、カミ―ラ殺しを依頼しなければ…と、ダイアンは後悔していました。あのダイナーが全ての出発点になった、その思いがダイアンの中にありました。黒い男がウィンキーズの裏手に潜んでいるのはそのためです。

 また、ダイアンの妄想の中で、ダイアンとカミ―ラがダイアンの部屋を訪れたとき、寝室に横たわる死体は黒くミイラ化した顔でした。

この顔はウィンキーズの裏手にいた黒い男の顔と同じようにも思えます。実際にはダイアンが寝ていただけでした。この段階ではダイアンはまだ生きています。自殺するのは妄想から覚めた後のこと。生きているダイアンが黒い男と同じ顔をしていたというのはこれもまた、ダイアンの罪の意識が現れたものであると言えます。それと同時に、ダイアンにはもっと利己的な欲求がありました。それは妄想から覚めたくないという願望です。少しづつほころびかけてはいますが、妄想の世界では何もかもがうまくいっている。現実には目覚めたくない。その思いが、ベッドで眠るダイアンの顔を分からなくさせた理由であり、ウィンキーズの裏手の男を確かめに行ったのがダイアン本人ではない理由でした。

 2度目に現れたウィンキーズの裏手の男は青い箱を紙袋に入れ、足元へボトリと落とします。地面に落ちた紙袋からは2人の小人が笑いながら出てきました。この小人たちはダイアンの家に入りこみ、最後にはダイアンを自殺へと追い込んでいきます。



 青い箱はダイアンにとって、青い鍵をカミ―ラの殺害成功の合図以外の用途に使うことのできる唯一の道でした。その箱を紙袋に入れて捨てるということは、ダイアンがカミ―ラを殺してしまったという現実を変えることはできないことを悟ったことを意味しています。そして、紙袋に入れて捨てられた青い箱からでてきた小人たちはダイアンの焦燥感や危機感、世間の目の現れです。


カミ―ラを殺したダイアンがこれから受けるであろう警察の追及や、世間の非難…ダイアンはカミ―ラを殺した罪の意識に加えて、その後に巻き起こる数々の試練を思い起こし、その圧力に耐え切れずに自殺していきました。

 黒い男はダイアンその人だったのです。




人間の態度はある程度、その人間の人生を左右する

 「人間の態度はある程度、その人間の人生を左右する」。これはカウボーイこと、死神の言葉です。彼は「うまくやれば君はもう1回、私に会う。間違えたらもう2回会うことになる」とアダムに告げました。ダイアンの妄想の中でのアダムはダイアン自身でもあります。死神はアダムに向かってというよりは、ダイアンに向かって話していました。

 ダイアンの態度はどういうものだったでしょうか。カミ―ラの殺害を依頼し、それが成功した後、ダイアンがとった行動は現実逃避の一言につきます。過ぎ去った日々を後悔し、何とか、都合のいい展開を夢想する―彼女はどうしようもなく追い詰められた現実を直視することはできませんでした。

 ダイアンの最大の過ちは自分自身が行ったことを冷静に受け止めることができなかったこと。ダイアンは常に逃げていました。刹那的に犯した過ちであれ、それを後から振り返ることのできない人間は、また同じ過ちを繰り返します。

 ダイアンは死神の警告を受けた後も、態度を改めることはできませんでした。ダイアンは「間違えた」のです。彼女は結果的に、牧場で死神に会ったのち、2度、死神に会うことになります。1度目はカミ―ラとアダムの婚約発表がされたパーティで、

2度目はベッドで眠るダイアンを死神が起こしに来たとき。

ダイアンは妄想から自ら目覚めることができませんでした。ダイアンが死神の警告を聞き入れ、現実を見ることができたなら。それとも、辛すぎる現実を前にしては、死が唯一の道だったのか。

 死んだ方がいいかもしれない、そんなふうに思ってしまうほど辛い現実を目の前にしたとき、いばらの道を生きるのか、それとも安息の死を選ぶのか。どちらの道を取るか、それは各自の選択にかかっています。




クラブ・シレンシオ

 クラブ・シレンシオ。このクラブは、生者と死者の同時存在が許される異空間。このクラブへとダイアンを導いてきたのはカミ―ラの方でした。ダイアンはこのクラブの前座を務める男の口上を聞いているうちに、震えが止まらなくなり、ひどく怯えた様子を見せています。ダイアンはこのクラブに恐怖を感じていました。それは、この心地の良い夢から現実に引き戻されてしまうという恐怖です。

 前座の男の口上は、「楽団はいません、これは全部テープです。オーケストラはいません、これは全部まやかしです」というものでした。彼は今見ているもの、あるいは聞こえている音がすべて嘘であると言っているのです。ダイアンがカミ―ラと現在築いている愛情関係や、今の2人の暮らしが全部まやかし、全部嘘だとしたら…。男は口上を述べたのち、急に顔つきを変え、恐ろしい表情を見せます。青白い閃光、白い煙、そして彼の形相からも、彼が人間ではないことが分かるでしょう。




 前口上の男の後は泣き女の登場です。彼女は「あなたを想って泣いているのよあなたはさよならを言って私を1人置き去りにした…」と感傷的な歌を歌い、号泣して倒れて見せます。ダイアンとカミ―ラもやはり、抱き合いながら泣いていました。


これらの意味することは何でしょうか。泣き女が倒れ、歌うのを止めても、歌はそのまま聞こえてきます。ここで思い出されるのは前口上の男の言葉。「これは全部テープです…これは全部まやかしです…」現実のダイアンの心情をそのまま歌にしたような歌詞、大げさに泣く泣き女。そして、カミ―ラとダイアンがこの歌を聞いて泣いている。まるで、カミ―ラがダイアンの苦しかった心情を察し、ダイアンのしたことを赦し、慰め合っているようにも思えます。これらの情景が全部嘘だとしたら。

 現実のダイアンを考えてみましょう。ダイアンはカミ―ラを殺した殺人者です。殺されたカミ―ラが真実を知ったら、決してダイアンを赦しはしないでしょう。あるいは、深く傷ついていたダイアンの心情を知ったら、カミ―ラを殺したことを赦してくれるでしょうか?ダイアンは自分がした殺人という行為をカミ―ラに赦してほしいと願っていました。そして、その殺人がどうしようもない辛い心情から発したものであることを理解してほしいとも思っていました。

 泣き女の歌は、ダイアンの身勝手な願望を反映したものでした。死神は、歌い手が倒れても歌が聞こえてくるという幻想をダイアンに見せることで、今、彼女がいるのが妄想の世界であり、カミ―ラの赦しはその妄想の一つに過ぎないことを警告したのです。あの前座の恐ろしい男は死神、またはその意を受けた者。クラブ・シレンシオで前座の男が白い煙と青い焔に包まれて消えるまで、ダイアンはけいれんを起こして、ガタガタと震えていました。ダイアンが怯えていたのは、前座の男ではありません。彼女が怯えていたのは、「現実」という恐怖。「全部まやかしです」と警告する前座の男はダイアンを居心地のいい夢の世界から現実へと連れ戻しかねない、その意味で、ダイアンにとって危険な存在でした。

 カミ―ラがマルホランド・ドライブで事故に遭ったとき、ダイアンが自殺したとき、そして、前座の男が消えるとき…全てのシーンに白い煙が出てきました。そして、ダイアンが自殺したときと前座の男が消えるときには青い光が見えます。そして、ダイアンを現実へと連れ戻すきっかけとなるあの小さな箱も青い色をしていました。青い色は死神の象徴、白い煙は死が訪れたことを意味しています。






結末―「…これは全部まやかしです…」―
 
 「マルホランド・ドライブ」の結末は泣き女のあいさつで締められます。彼女があいさつしているのはクラブ・シレンシオの観客席にいる者に対して、です。では、観客席にいる者は誰でしょうか。

 それは「マルホランド・ドライブ」という映画を見ていた観客たちです。「マルホランド・ドライブ」はダイアンの夢であり、クラブ・シレンシオの出し物でもありました。ラストに映るクラブ・シレンシオの舞台は「マルホランド・ドライブ」が実は始めから舞台で演じられている演劇であったことを示唆しています。

 「…これは全部まやかしです…」という前座の男の口上を覚えているでしょうか。


クラブ・シレンシオはダイアンの夢の中で登場してきますが、決して、ダイアンのためだけに存在するクラブではありません。このクラブは現実を受け止めきれない者のために死神が用意した特別なクラブ。このクラブに招かれた者はダイアンと同じく、死神の警告を受けることになります。すべてがまやかしである、という警告を聞きいれ、現実に向き合うことができるか、それとも…。




最後に・・・
マフィアがアダムの家を訪れるシーンのバックでかかっている曲は、サニーボーイ・ウイリアムスンⅡの"Brinng It on Home"です。Led Zepもセカンド・アルバムに収録していますが、自作名義という失態をおかしています。(この曲に限ったことではないです。ぉ恥ずかしい・・・)





以上で終了です。

長きに渡り、ありがとうございます。

VENTURESに始まり、LED ZEPPELINにて終わりました・・・