BO DIDDLEY POWER TO THE PEOPLE !!!

CHUCK BERRYに並ぶ偉大なロックンローラー!『BO DIDDLEY 』

ボ・ディドリー(Bo Diddley)の芸名で知られるエラス・O・B・マクダニエル(Ellas O.B. McDaniel 1928年12月30日 - 2008年6月2日)は、アメリカのロックンロール・シンガー、ギタリスト。ボ・ディドリー・ビートと称される強力なリズムを基調とした彼の独特のサウンドは、ブルースとロックンロールの掛け橋となり、チャック・ベリー、リトル・リチャードらとともにロックンロールの生みの親のひとりとして知られるようになった。ローリング・ストーンズU2など、数多くのロック・ミュージシャンが彼から影響を受けている。彼の芸名となった「ボ・ディドリー」は、南部黒人のスラングで「何でもない」を意味する、あるいは南部の黒人が弾いていた一弦ギター、ディドリー・ボーをもじったものであるなど諸説あるが、実のところはわかっていない。

ジョン・リー・フッカーを耳にして感銘を受けたディドリーは、バイオリンを止めてギターに専念するようになっていった。10代の頃からギターを手に路上で演奏活動を展開し、1950年代に入ると、マラカスのジェローム・グリーン、ハーモニカのビリー・ボーイ・アーノルドらとプレイするようになる。そして1955年、チェス・レコード傘下のチェッカーと契約し、デビュー・シングル "Bo Diddley" b/w "I'm A Man" をリリースした。これがR&Bチャートのトップに昇りつめる大ヒットを記録し、一躍スターの地位を獲得する。

ボ・ディドリーはロックンロールに多大なる影響を与えた。彼の名前自身がその音楽の大きな要素となり、カタルシス(自己投影から得られる快楽)を覚えるようなドラム・ビートとほぼ同義である。それだけではなく、彼はアフロ・アメリカン社会のストリート・ゲーム、ダズンズ (ラップの原型になったとされる言葉遊び)をロックンロールに持ち込んだ。
また、少しずつ変化していくリズムに乗せ、1コードを延々と演奏しグルーヴを生み出し、それに乗って和音を駆使させて舞い上がるようなリードを響かせる。
これはバックを務める、ジャングルを思わせるドラムのリズムとマラカスの組み合わせと同じくらい、彼のサウンドのトレードマークとなった。

同年、黒人アーティストとしては初めて『エドサリヴァン・ショー』への出演を果たすが、番組側から指定された曲の演奏を断り、自らのレパートリーを演奏したことから、以後出演禁止となってしまった。


80歳を目前に控えても精力的にツアーをこなしていたが、2007年5月13日、公演先のアイオワ州カウンシルブラフスで、脳卒中のため入院した。5月末には退院したものの、後遺症を改善するためにリハビリ・センターに入所した。

2008年6月2日、フロリダ州アーチャーの自宅にて心不全のため死去した。79歳だった。

バッチリ!決まったナイス・ジャケ!

別テイクはヤッパいまいち・・・

トリビュート・アルバムのパロジャケもバッチリ!?

GRETSCHのJETはカッコいい!!!

BOモデルの四角いギターは弾きにくそう・・・

全盛期のライヴを見たかった・・・