THE INCREDIBLE STRING BAND

MIKE HERON SOLO ALBUM

クライヴ・パーマーはウッドストックにもフィルモア・イーストにも出なかった。そしてUKアルバム・チャートのトップ5にも現れなかった。しかし問題はそういうことではない・・・
60年代半ば、“古典的な”バンジョー音楽全てに渡って造詣が深く、エドワード朝時代のミュージック・ホールの素朴な歌に対する、比類なき熱意を持ったロンドン生れのバンジョーの巨匠パーマーは、エジンバラを拠点に地元のシンガーでマルチ・プレイヤーのロビン・ウィリアムソンと共に音楽的成功を樹立していた。ロビン&クライヴとしてこのデュオは、初期のスコットランド、北イングランドのフォーク・シーンで人気を博していた。時代の流れを冷静に嗅ぎ分けていたパーマーとウィリアムソンは、さらなる成功へデュオからトリオへとメンバーを増やすことにした―当時ヒット・チャートではピーター、ポール&マリーが成功を収めていた。すぐにシンガー/ギタリストのマイク・ヘロンが加入し、新しいグループ名はThe Incredible String Bandとなった。

4年の間にISBは、ヒッピーたちの牧歌的象徴として幾分伝説的な存在となっていた。大西洋の両側の大きな会場で主役を務め、あの巨大フェスティヴァル、ウッドストックでは、沼地で豆をほおばる50万人の若者たちに向けて演奏した。以上のことを彼らはやってきたが、しかしそれはクライブ・パーマー抜きであり、彼は1966年のISBのデビュー・アルバムでしのばせていたドン・キホーテ的な(空想的な)側面をアフガニスタンへのヒッピーの旅に求めていた。

翌年パーマーはインド、グリーンランドなどをまわって吸収した、多くの哀愁を帯びたくねくねと曲がりくねったようなメロディを身につけて戻ってきた。ヘロンとウィリアムソンのアルバム、‘5000 Spirits’は、サマー・オブ・ラヴのいわゆる非体制的なサウンドトラックだった。3人のそれぞれの道は33年間再び一ヶ所に集まることはなかった。パーマーは最初、彼の古いバスキング仲間、ウィズ・ジョーンズと組み、日の目を見ることなく終わった一枚のアルバムを制作した。それからコーンウォールへと引き払った。そこにはニューキー(コーンウォール)近くのミッチェルというところにあったThe Folk Cottageを中心に活きいきとした音楽シーンが存在していた。

1.The Incredible String Band (Elektra, June 1966)
英国盤と米国盤

2.The 5000 Spirits or the Layers of the Onion (Elektra, July 1967)

ジャケット・デザインはこのTHE FOOLによる。

3.The Hangman's Beautiful Daughter (Elektra, March 1968)
英国盤と米国盤


4.Wee Tam and the Big Huge (Elektra, October 1968)
英国盤は2枚組で発売、見開きの中



米国盤はバラバラで発売

5.Changing Horses (Elektra, November 1969)

6.I Looked Up (Elektra, April 1970)

7.U (Double album, Elektra, October 1970)

8.Be Glad for the Song Has No Ending (Island, April 1971)

9.Relics (Elektra compilation, March 1971)

10.Liquid Acrobat as Regards the Air (Island, October 1971)

11.Earthspan (Island, October 1972)

12.No Ruinous Feud (Island, February 1973)

13.Relics

14.Seasons They Change

15.Hard Rope & Silken Twine

「少年老い易く、ガクッとなり易し」・・・再編成のISB