30回目の曲目

今回はビートルズがカバーした曲のオリジナル曲集、第3回目です。

ノーボディーズ・チャイルド・・・ カレン・ヤング

エイント・シー・スィート・・・ ジーン・オースチン

エイント・シー・スィート・・・ ジーン・ビンセント

テイクアウト・サム・インシュランス・・・ ジミー・リード

スィート・ジョージア・ブラウン・・・ ナット・キング・コール・トリオ

スワニー・リバー・・・ レィ・チャールズ

スワニー・リバー・・・ サンフォード・クラーク

マネー・・・ バレット・ストロング

シーク・オブ・アラビー・・・ ファッツ・ウォーラー

シーク・オブ・アラビー・・・ ファッツ・ドミノ

メンフィス・テネシー・・・ チャック・ベリー

メンフィス・・・ ロニー・マック

メンフィス・・・ ベンチャーズ

スリー・クール・キャッツ・・・ コースターズ

シュアー・トゥー・フォール・・・ カール・パーキンス



1.Nobody's Child・・・Karen Young

1969年頃に吹き込まれたカレン・ヤングです。この曲は大好きです。


2.Ain't She Sweet・・・Gene Austin
3.Ain't She Sweet・・・Gene Vincent
古いジャズのナンバーです。このポリドール・セッションで唯一、ジョンが歌っているナンバーです。



4.Take Out Some Insurance・・・Jimmy Reed
The BEATLES FIRST!』に収録されている『If You Love Me, Baby』という曲は実は間違いで、実はジミー・リードの『Take Out Some Insurance』がカバー曲です。


31.SWEET GEORGIA BROWN・・・NAT KING COLE

アメリカのピアニスト兼歌手ナット・キング・コール(Nat "King" Cole)ことNathaniel Adams Colesは 1919年3月17日、アラバマ州モンゴメリーで生まれました。
お父さんはTrue Light Baptist Churchの牧師で彼はお母さんから音楽を学んでいます。一家は彼が5歳の時にシカゴに移動。12歳の時に教会でオルガンを弾くようになり、14歳の時には初めてのバンドを組みました。

学生時代は野球やフットボールでも活躍していましたがやがて音楽専業の道へと進んでいきます。1939年にKing Cole Trioを結成し、アメリカやイギリスで活動するようになりました。
"King"の名前は、このバンドの宣伝用に撮影された写真で彼が銀色の王冠をかぶるコスプレ(?)をしていたことに由来するのだそうです。やがて音楽活動を通して知り合った歌手Maria Ellingtonと1948年3月28日に結婚します。彼女との間には後に歌手となったナタリー・コールを含めて5人の子供ができています。

彼ははじめピアニストとして活動していた訳ですが、レストランなどでピアノだけを演奏していると、飽きられる場合があります。そこで彼は時々弾き語りをするようになるのですが、実際問題として彼の音楽活動については、この「歌」の部分の評価の方が次第に高まっていきます。Mariaと結婚した1948年にStraighten Up and Fly Right がミリオンセラーとなり、1949年には不朽の名曲 Mona Lisa。1951年にToo Young, 1952年にPretend と、この時期、連続ヒットを飛ばして「歌手ナット・キング・コール」の名は不動のものとなりました。

1965年2月15日、肺ガンのため45歳の若さで死去。



6.Swanne River・・・Ray Charles
7.Swanne River Rock・・・Sanford Clark

1935年生まれのサンフォード・クラーク(Sanford Clark)は同級生のギタリストであるアル・ケイシー(Al Casey)とバンドを組んで1956年にリー・ヘイゼルウッド(Lee Hazlewood)が作った曲、”The Fool”をアル・ケイシーのロカビリーギターで MCIレコードで録音し、Dotレコードが取り上げて大ヒットとなったそうです。サンフォード・クラークは1958年にアル・ケイシーと共にJamieレコードに移りリー・ヘイゼルウッドとデュアン・エディ(Duane Eddy)と活動しました。

8.Money・・・Barrett Strong
ファンタスティック・バギーズはP・F・スローンとスティーヴ・バリがダンヒル・レコードで活躍する前に結成していた
サーフィン/ホット・ロッド・グループです。P・F・スローンは『MONEY』とビーチ・ボーイズの『Don't Back Down』をモチーフにして『Anywhere The Girls Are』を書きました。その冒頭のファズ・ギターのリフを引用したのがキンクスの『You Really Got Me』です。



9.The Sheik Of Araby・・・Fats Waller
10.The Sheik Of Araby・・・Fats Domino
古いJAZZのナンバーで、いろいろなアーティストがレコーディングしている。ファッツ・ウォーラーの名演ビートルズファッツ・ドミノのヴァージョンを参考にしている。



11.Memphis, Tennessee・・・Chuck Berry
12.Memphis・・・Lonnie Mack
13.Memphis・・・The Ventures

ビートルズが一番多くカバーしているのが、チャック・ベリーだろう。ビートルに限らず、ローリング・ストーンズを始め、多くの英国のビート・グループはこぞってチャック・ベリーの曲をカバーしている。彼の最大の魅力はギター・リフに尽きるけれど、その歌詞もポップでキャッチーな魅力に溢れている。リード楽器がサックス等の管楽器ではなくエレキ・ギターというのが革新的スタイルでこれぞロックンロールといえる。


14.Three Cool Cats・・・The Coasters

もともとはドゥ・ワップ・グループのロビンズとして出発したが、56年に改名しコースターズとしてデビュー。ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーの名ソングライティング・コンビが提供した、「Searchin'」「Young Blood」「Yakety Yak」「Poison Ivy」といったナンバーをヒット・チャートに送り込み、あまたいるR&Bグループの中でもその存在を印象付けることに成功した。
またロックンロールやラテンなどを隠し味的に盛り込んだサウンドも支持された要因の1つ。それらにカール・ガードナーを中心とするユーモラスなコーラスが彩りを添え、楽しさいっぱいのR&Bを展開した。後に英国のロック・グループは、コースターズのナンバーをこぞって自分たちのレパートリーに入れている。


15.Sure To Fall・・・Carl Parkins
テネシー州の貧しい農業小作人の息子として生まれたカール・パーキンスは苦労人である。幼いころから家計を助けるために働きに出て綿を摘む仕事に従事していた。唯一の楽しみはラヂオを聴くことだけだった。7才のころ、同じ農園で働いていた黒人労働者からボロボロのギターを貰った。見よう見まねで覚えたブルースのフレーズは基礎となった。兄弟でバンドを結成して、暇さえあれば練習に明け暮れていた。自分たちでデモテープを作り幾つかのレコード会社に送った。興味を持ったのが、サム・フィリップスのSUNレコードだった。オーディションを受け一発で合格した。プレスリージョニー・キャッシュと同じレコード会社である。
ある日ジョニー・キャッシュが『ブルー・スエード・シューズって曲を書けよ。軍隊じゃあ食事の時間にも軍靴を履いたまま一列になって順番を待つんだぜ。その時に必ず誰かが誰かの靴を踏んで、てめえ俺の靴を踏むんじゃねえっ!て喧嘩になるんだぜ。』と聴かされた。その話を元に彼は『Blue Suede Shoes』を作った。この曲は56年1月1日にリリースされ徐々に売れ始め、5月19日に全米2位となり、カントリー・チャートでは1位となった。プレスリーはこの曲が気に入りカバーした。ついに、カール・パーキンスはロカビリーシンガーとして初のエド・サリバン・ショーの出演が決まった。しかし、ショーの出演のために車でニューヨークへ向かう途中、事故を起こしてしまった。運転していたマネージャーは死に、兄弟のジェィ・パーキンスの後日、亡くなった。カールは3日間意識不明となり生死をさまよった。この事故が原因でエド・サリバン・ショーには出演できなかった。その後、意識を回復した彼はベッドの上からエド・サリバン・ショーで『Blue Suede Shoes』を歌うプレスリーを眺めていた。
そんな激しい現実を体験した彼だがビートルズが多くの曲を取り上げることにより復活した。『Honey Don't』『Matchbox』『Everybody's Trying To Be My Baby』のレコーディングに彼は自らも立ち会っている。