25回目の曲目

2010年7月3日(土)15:00〜16:00
AMERICAN ROCK Vol.2 3年目に突入です。長尺物の曲ばかりで、4曲と半分しかかかりませんでした。

エリザベス・リードの思い出・・・ オールマン・ブラザーズ・バンド

ベイビー・アイ・ラヴ・ユー・・・ コールド・ブラッド

コンパード・トゥー・ホワット・・・ レス・マッキャンとエディー・ハリス

アメリカン・パイ・・・ ドン・マクリーン

ダーク・スター・・・ グレートフル・デッド

1. In Memory Of Elizabeth Reed - The Allman Brothers Band

1曲目はオールマン・ブラザーズ・バンドです。彼らの存在を不動のものとしたのは、1971年のライヴ盤「At Fillmore East」であった。デュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーしたブラインド・ウィリー・マクテルのカバー"Statesboro Blues"、など、熱演を収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。この曲は、タージ・マハールのもろコピーです。スライドギターは故ジェシー・ディヴィスです。
「At Fillmore East」の成功から間もない1971年10月29日、デュアンがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、僅か24歳の若さで他界する。バンドは、後任ギタリストを補充せず、レコーディング途中だったアルバム「Eat A Peach」をベッツが中心となって完成させた。以後、ベッツがデュアンに変わってバンドのリーダーを務めるようになる。1972年11月11日、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。
度重なるメンバーの死にも関わらず、残ったメンバーはバンド活動を続行する。オークリーの後任にはラマー・ウィリアムズが加入し、翌1973年、「Brothers And Sisters」をリリース。ビルボード全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録し、アメリカの国民的バンドとしての地位を確立した。またシングルカットの"Ramblin' Man"もポップ・チャート2位を記録した。
1989年、ディッキー・ベッツ・バンドにいたギタリスト、ウォーレン・ヘインズとベーシストのアレン・ウッディ、それにジョニー・ニール(キーボード、ハーモニカ)を加え、バンドが再結成される。エピックと契約し、翌1990年、「Seven Turns」をリリースした。 1994年、Woodstock '94に出演。1995年には、ロックの殿堂入り、さらに翌年には"Jessica"でベスト・ロック・インスト賞を受賞するなど、注目を集めて行った。1999年には、ピアソンに替わり、ブッチ・トラックスの甥にあたるデレク・トラックスが迎え入れられる。デレク・トラックス(Derek Trucks, 1979年6月8日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。 フロリダ州ジャクソンヴィル出身。オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・メンバーであるブッチ・トラックスの甥で、9歳でギターを始める。現在はオールマン・ブラザーズのギタリストである一方、自身のデレク・トラックス・バンドでも活動している。著名ミュージシャンの様々なセッションにも参加し、2006年にはエリック・クラプトンのツアーにも同行した。ちなみに彼の名前「デレク」は、デュアン・オールマンが参加したクラプトンのバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスから取られている。
ディッキー・ベッツによる名曲、「エリザベス・リードの思い出」は何度もレコード化、CD化されているが、今回はデレク・トラックスエリック・クラプトン、ウォーレン・ヘインズの3人によるバトルが繰り広げられています。Mersey Beatさんの提供によるレア音源です。

2. Baby I Love You - Cold Blood

コールド・ブラッドはヴォーカルのリディア・ペンスを軸にしたバンド。リディアのヴォーカルはソウル、R&B系での切れの良いリズム感とジャズ系のエモーショナルな唱法が上手くミックスされた当時としては個性的なスタイルのヴォーカルでした。
バックにポインター・シスターズが参加、マイケル・坂本という日系のギタリスト、最高にファンキーな曲です。ジャケットのデザインはグローブ・プロパガンダといってウエスト・コーストのバンド、イッツ・ア・ビューチィフル・ディー、クイックシルバー・メセンジャー・サービス、シャーラタンズ、さらにキャンド・ヒートの「ハレルヤ」というレコードのジャケットをデザインしています。後に紹介あります。


3. Compared To What - Les McCann & Eddie Harris

レス・マッキャン Les McCannは、'60年代にゴスペル色濃い作風でジャズ・シーンに登場したピアニストだが、軽音楽風作品やラテン系作品を経て〜序々にFunky度が高まり、69年、Atlanticに移籍し発表した『SWISS MOVEMENT』(with Eddie Harris)が大ヒット。このときの、マッキャンのヴォーカルは、「COMPARED TO WHAT」1曲のみ。ゴスペルフィーリングたっぷりのピアノもいいんですが、彼のヴォーカルもまた渋くていいんですよね。以降Jazz funk/Soul Jazzの中核的存在として活躍した。70年代のJazzのFunky化を最も自然に行えた人かも知れない。一方、ピアニストでありながら温かく渋い歌唱曲も評価高く、あのロバータ・フラックやユージン・マクダニエルズらをシーンに送り出した功績もあり、名実ともに〜70年代の“裏New Soul顔役”とも言われ-R&B派にも評価が高い。
72年にも同じモントルーで、あのローランド・カーク大先生と競演ライブ盤を出しているそうで、これまたぜひ、聴いてみたいものです。

4. American Pie - Don Mcllean

ビルボードBillboard)誌では、1972年1月15日より4週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1972年年間ランキングでは第3位。演奏時間が8分36秒だったため、シングルはA面とB面に分けられて発売された。多くのラジオ局は、両面をオンエアーした。
歌詞では、韻を踏んだ音が多く出てくる。また、歌詞中の「February made me shiver」とは、1959年2月3日未明にミュージシャンのリッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)、バディ・ホリーBuddy Holly)、ビッグ・ボッパー(Big Bopper)の乗ったミネソタ州ムーアヘッド行きのチャーター機が、アイオワ州で墜落したことを指す。リッチー・ヴァレンスバディ・ホリー、ビッグ・ホッパーとパイロットの4人全員が死亡した。

5. Dark Star - Grateful Dead

1965年、ジェリー・ガルシアを中心にサンフランシスコで結成、1967年にデビュー。当時サンフランシスコで勃興したサイケデリック・ロックのバンドとして人気を得るが、アルバムのセールスは芳しくなかった。きっちり作り上げられたスタジオ録音作品を聴かせるよりもライブでの即興演奏の方にバンドの妙味があり、やがてはそれが最大の売りとなる。初期の名作です。

ここからは、放送でかからなかった曲です。


上は米国盤 下は英国盤
クイックシルバーメッセンジャー・サービス ・・・ 「モナ」
グレートフル・デッドと同時代に活躍したシスコ・サウンドのバンドです。この「モナ」(山本モナとは無関係・・・ボ・ディドレーがオリジナルのジャングル・ビートの名曲です。)が入ったライヴ・アルバム「HAPPY TRAIL」が彼らの最高傑作。(一部、スタジオ録音もある。)クリーム時代のエリック・クラプトンが米国を訪れた際、アメリカにはギターでアドリブを弾きこなすミュージシャンは一人もいなかった。と、話していたが、はずれていなくもない・・・が、デッドのジェリー・ガルシアとこのクイックシルバーのジョン・シポリナとゲーリー・ダンカンの腕前はなかなかのものがある。同じくシスコ・バンドのシャーラタンズのメンバーでもあるジョージ・ハンターが率いる(実態はよく分からない)ブローブ・プロパガンダというアート集団による一連のジャケット・デザインは古き良きアメリカを描いた傑作である。よくあるサイケ風ジャケにありがちなデッサンの基礎が出来ていないものとは一線を画する芸術性を持った素晴らしい作品といえる。一番よく知られているのは、「It’s A Beautiful Day」のファースト・アルバムです。これらはCDなどの小さなコピーでは到底理解できないものなので、是非ともレコード・ジャケットを見てほしい。小さいながら写真を掲載します。





上・・『It's A Beautiful Day』のオリジナルColumbia盤
中・・San Francisco Sound盤
下・・San Francisco Sound盤のレーベル


Quicksilver Messenger Serviceのサード・アルバム『Shady Grove』のジャケット Stones やJeff Beck Groupその他多くのセッションに参加したNicky Hopkinsが正式メンバーとして名前が明記されている。


Canned Heatの『Hallelujah』

Charlatans』のアルバム、George Hunter(才能あるアーティスト)がメンバー。
実はCold Bloodの『Thriller』は絵画ではないが、ブローブ・プロパガンダの手による作品です。


ドン・マクリーン・・・「エンプティー・チェアーズ」
ロバータ・フラック ・・・ 「やさしく歌って」
女性シンガーのロリ・リーバーマン(Lori Lieberman)が、当時まだ無名だったドン・マクリーンが歌う"Empty Chairs"という曲をロサンゼルスのクラブで聴いて感銘を受け、"Killing Me Softly With His Blues"という詩を書いた。これを元に作詞家のノーマンと作曲家のチャールズが曲に仕上げた。「やさしく歌って」、原題:Killing Me Softly with His Song はノーマン・ギンベル(Norman Gimbel)作詞、チャールズ・フォックス(Charles Fox)作曲の1971年のポピュラーソングである。
1972年8月にリリースされたロリのオリジナルはヒットしなかった。しかし、飛行機の機内BGMとして採用されていたこの曲をロバータ・フラックが偶然聴いて気に入って歌い、彼女のバージョンが大ヒットとなった。リリース後4週間で全米1位、1973年2月24日から5週連続でビルボード誌第1位を達成した。ビルボード誌1973年年間ランキングは第8位。これにより、ロバータグラミー賞で最優秀レコード、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの3部門を受賞した。
その後ロバータが歌ったものがネスカフェのCMソングとして起用されたことでさらに有名になった。

*********************************  私の番組をやるきっかけを作って頂いた『ポップス・イン・メモリー』のDJジョニー田中こと田中邦郎さんが6月28日突然、急逝された。大変なショックです。こよなく60年代のポップスを愛された氏のご冥福を心よりお祈り致します。合掌
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