58回目の曲目

BLACK MUSICの特集です。



1.Tell Me What I Did Wrong・・・James Brown
2.That Dood It・・・James Brown
3.Try Me・・・James Brown
4.I Found A Love・・・The Falcons
5.Under The Boadwalk・・・The Drifters
6.You're No Good・・・Betty Everett
7.Lock Me In Your Heart・・・Tarheel Slim And Little Ann
8.So Fine・・・The Fiestas
9.Peaches'n'Cream・・・The Ikettes
10.Set My Heart At Ease・・・Dee Dee Sharp
11.Laugh・・・The Velvets
12.Searching For My Love・・・Bobby Moore & The Rhythm Aces
13.I'm Your Puppet・・・James & Bobby Purify
14.You Left The Water Running・・・Otis Redding
15.Take Me Just As I Am・・・Spencer Wiggins







1.テル・ミー・ホワット・アイ・ディド・ロング・・・ ジェイムス・ブラウン



2.ザッツ・ドゥード・イット・・・ ジェイムス・ブラウン



3.トライ・ミー・・・ ジェイムス・ブラウン

ファースト・シングル「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please, Please, Please」は、1956年にリリースされた。レコードには「ジェイムズ・ブラウンとフェイマス・フレイムズ James Brown with the Famous Flames」とクレジットされ、同シングルはチャート5位を記録し、ミリオン・セラーとなった。しかしながら、その後はヒット曲に恵まれず、続く9枚のシングルが商業的に失敗した後、キング・レコードはバンドと契約解除を行おうとした。1958年の「トライ・ミー Try Me」がビルボード48位の小ヒットとなり、バンドは活動を継続させることができた。
ブラウンは2006年12月24日、歯科医を訪れそこで肺炎の症状が判明し、ジョージア州アトランタのエモリー・クローフォード・ロング病院に入院するが、翌日の午前1時45分、死去。73歳であった。代理人によると、死因はうっ血性の心不全であった。その死去はCNNやBBCなど世界中のメディアでトップニュースとして報じられた。
この時、ブラウンの医者として働いていたのはコンラッド・マーレーであった。マーレーは現在、マイケル・ジャクソンの死因を巡り、過失致死傷罪として正式に裁判するかの予備尋問を行っている。



4.アイ・ファウンド・ラブ・・・ ファルコンズ

ザ・ファルコンズは、1955年にデトロイトで結成。56年に<Mercury>に初録音。59年に『サックス・カリ』が手がけ<Flick>に録音された「You're So Fine」が、同年に<Unart / United Artist>から全米にディストリビュートされて大ヒット。62年に<Lu Pine>に移籍し、初期ディープソウルの傑作「I Found A Love」を残しています。その後も<Atlabtic><Big Wheel>等に録音を続け、60年代後半まで活動しています。メンバーは流動的だったものの、『ウィルソン・ピケット / ジョー・スタブス / エディー・フロイド / サー・マック・ライス / ロバート・ウォード』ら、後の大物ソウル歌手が多数在籍したスーパー・グループです。

ソウルはどこから来たのか‐大きすぎるテーマではあるが長年考えていることでもある。50sR&Bを元に、よりゴスペル的な表現の歌を、ゆったりした横のノリからより性急でソリッドなビートに乗せたもの、と教科書的には言えるが、具体的にはどんな曲がきっかけになったのだろう。
よくいわれるのはサム・クックをその祖とし、曲としてはピケットがリードを取ったファルコンズ“I Found A Love”(62年)がオリジナル・ソウルとして極めて重要な役割を果たした、という説で、なるほどディープ・ソウルに関しては正にそうだろうと私も思うのだが、これだけではノーザン・ソウルなど、リズムものに関しては説明がつかない。
ジャッキー・ウィルソンを祖とするのは説得力があるし、“象徴”として彼を推すのに文句の付けようもないが、60年前後の彼の作品を聴いてもまだ50sR&Bから抜け切っていないし、プレ・ソウルとでも言うべき過度期の決定的作品がないように思える。
そこで再びファルコンズ、である。ピケット加入以前のリード、ジョー・スタッブスがこの重要な転換の鍵となった。彼の時期の代表作に“You're So Fine”がある。今の耳だと地味なR&Bで普通に聞こえてしまうが、これがヒットしたのは59年のことなのだ。それに気付くとこの曲の、ジョーのとんでもなさが解って心が震える。
ファルコンズは元々エディ・フロイドを中心にデトロイトで組まれた黒人3人白人2人のヴォーカルグループだった。2年ほどで白人2人と黒人1人が抜け、ジョー、マック・ライス、それにギタリストのランス・フィニーが入り、写真の5人組となる。この5人の間はロックンロール的感覚も強いが、それは黒白混合編成の名残だろうか。この感覚とジョーのゴスペルそのものの強烈な歌が融合した時、全く新しい音楽が生まれたのである。R&BとR&Rとゴスペルの要素が絡み合い、ソウルの体裁は整ってないが、同時期に似た構造の曲が見出せないくらい「どれでもない音」になっている。

5.渚のボード・ウォーク・・・ ドリフターズ

ニューヨークR&B/ドゥワップ界大御所ドリフターズ、1964年ジョニー・ムーアがリードに復帰しての、POPチャート4位の大ヒットとなった、後のビーチボーイズストーンズもカヴァでも有名な、トロピカル・ラテン調スロウ名曲。




6.ユー・ノゥ・グッド・・・ベティー・エヴェレット

女性R&B シンガー/ピアニスト。1939年ミシッシッピ州グリーンウッド生まれ。1964年のポップヒット「The Shoop Shoop Song(It's In His Kiss)」が有名。9歳から教会でピアノを弾きながらゴスペルを歌っており、1957年にシカゴに移住。録音は1957年から<Cobra><CJ><One-Derful>等にあり、初期はブルージーなR&B歌手として活動。1963年に<Vee-Jay>のA&R『キャルヴィン・カーター』と出会い、彼からの助言もあり、音楽スタイルをポップ路線へと変更し、同年には同レーベルより「You're No Good」がヒットし有名になりました。1967年以降も<ABC><Uni><Fantasy><Sound Stage 7><United Artists><20th Century Fox>に1980年代まで録音し、ソウル・シンガーとして活動しています。

7.ロック・ミー・イン・ユア・ハート・・・ ターヒール・スリムとリトル・アン



1924年にノース・キャロライナ州ベイリーで生まれ、1977年にニューヨーク州ブロンクスで死去しました。本名はアルデン・バン( Alden Bunn )です。1954年まではアレン・バンの芸名でレコーディングしています。ブラインド・ボーイ・フラーの影響下に、1937年にギターを弾き始めました。40年代にはぺグ・レグ・サムと演奏したこともあります。その後、R&Bやゴスペルを歌ったり、ウィールズというバンドに参加したりして、ニューヨークに辿り着き、当地では名高いギタリストになりました。初レコーディングは1952年にアポロ・レコードからです。その後、レッド・ロビン、ファイア、ラークスに作品を残しています。50年代後半にターヒル・スリムと名乗ってからはR&B色が濃くなり、60年代にリトル・アン( Little Ann )という女性と組んでからはR&B界で活躍し、アーフリー、アトコ、ポートなどにレコーディングしました。

The Larks (ザ・ラークス) の Apollo と Lloyds への吹き込みが収録された CDです。本CD に収録されてる "Eyesight To The Blind (Apollo 427)" に注目したい。
言わずと知れた サニーボーイ・ウィリアムスン (ライス・ミラー) の名曲のカバーとなる訳ですが、これが実に素晴らしい。伴奏はアコースティック・ギターのみで ほとんどアカペラに近いスタイルですが、この重厚なコーラスにはゾクゾクさせられる。 ブラインド・ボーイ・フラーを彷彿とさせるギターソロも Special Great!!
このヴァージョンを聴いた時は一発で KO されました。 サニーボーイのヴァージョンとはまた違った魅力に溢れてますね。


8.ソー・ファイン・・・ フェイスタス

OLD TOWNレーベルのオーナー「ハイ・ウエイス」は壁一つ隔てたトイレで数人の若者がトイレで歌っているのを耳にした。。。それが彼とTHE FIESTASとの出会いであった!
THE FIESTAS ニュージャージで結成され、50年代末から60年代中期にかけて活躍した中堅クラスのGROUP。デビューは1959年、OLD TOWNから「SO FINE」でR&Bチャート第3位を記録しています。
彼等のコーラス・スタイルは当時、一世風靡していたDOO WOPスタイルとは明らかに一線を画く後のソウル・コーラスを予言するスタイルでした♪ ピアノ・イントロ無しの通常ヒット・バージョン(コロンビア工場プレス盤のみ、ピアノ・イントロ有りでレア)


9.ピーチズ・ン・クリーム・・・ アイケッツ



簡単に言うとアイク・アンド・ティナ・ターナーのバックのコーラス隊兼ダンス隊です。デビュー・シングルは1962年にアトコから「アイム・ブルー」で、これは大ヒットしています。メンバーがよく変わっていて、1965年モダーンから発売した「ピーチズ・アンド・クリーム」で邦題が「わかるでしょうこの気持ち」と言います。高崎一郎さんが付けました。作ったのが、トミー・ヴォイスとステーヴ・ヴェネットでニュー・ビーツの「ブレッド・アンド・バター」に似ています。


10.セット・マイ・ハート・アット・イーズ・・・ ディー・ディー・シャープ

1945年フィラデルフィア生まれ。本名「ディオン・ラルー(Dione LaRue)」。「Mashed Potato Time」の大ヒットにより、マッシュ・ポテト娘の愛称でも広く知られます。代表作品に「Mashed Potato Time」「Ride」「Gravy」があります。


11.ラフ ・・・ヴェルヴェッツ


ドゥワップ・グループのヴェルヴェッツです。日本でも大ヒットしたロイ・オービスンの「愛しのラナ」1961年に発売されましたが何故かアメリカではヒットせず、 1963年〜64年かけ日本では約半年以上の長期に亘るヒットとなりました。のB面に入っていた「ラーフ」という曲ですが、これも同じくロイ・オービスンの曲です。


12.サーチング・フォー・マイ・ラブ・・・ ボビー・ムーアとリズム・エィシズ

R&B/ソウル・グループ。ニューオーリンズ出身のテナーサックス奏者ロバート“ボビー”ムーアを中心に、1961年にアラバマ州モントゴメリーで結成。フェイム・スタジオで録音した「Searching For My Love」が1965年に<Checker>からヒットしています。


13.恋のあやつり人形・・・ ジェイムス・アンド・ボビー・プリファイ



サム&デイヴほどではないけれど、サザン・ソウルのデュオで人気を博したグループがジェイムズ&ボビー・ピューリファイ。その彼らがダン・ペンが作った「I'M YOUR PUPPET」(恋のあやつり人形)で大きなヒットを。全米ホット100で6位。イギリスにも飛び火してイギリスのチャートで12位に。
Sam & Dave、Elton John、Dionne Warwick、Yo La Tengo、日本人ではGolden Cupsら多数のアーティストがカバー。歌詞では愛の虜になってしまった人物の心情が、シンプルだが感動的に描かれている。

14.ユー・レフト・ザ・ウォーター・ラニング・・・ オーティス・レディング

Otis Reddingが66年にFame Studioで録ったデモ録音。76年にレディングの未発表曲としてシングル・リリースされたナンバー。自身のアコギに作者のダン・ペンがハーモニーを付け、マネージャーのフィル・ウォルデンがタンバリンでリズムを作る。デモゆえに素朴な音だが、却ってオーティスのヴォーカルが際立ち素晴らしいバージョンとなっている。
Flying Burrito Brothers、Huey Lewis、スウェーデンの轟音ギター・バンドHellacoptersなど多数のアーティストにカバーされている。

15.テイク・ミー・・・スペンサー・ウィギンス

やはり、スペンサーの曲が一番です。他にアーサー・コンレイやソロモン・バークラティモアなども。実に多くのサザン・ソウルの名品、名曲を手がけたダン・ペンであります。曲を創るだけでなく、多くのアーティストのプロデュースなどもこなしてきました。