THE VENTURES MYSTERY TOUR 14

20.The Christmas Album[#9 Christmas Albums Chart]11/1965 を取り上げます。


このアルバムだが有名クリスマス・ナンバーを11曲(1曲だけオリジナル曲)とりあげている。1965年に録音したものだから、ベンチャーズの全盛期でもあり、クリスマスだからといって、奇を衒ったり、必要以上にクリスマス的ムードに迎合したりもせず、ストレートで豪快、ノリのいいベンチャーズサウンドでクリスマス・ミュージックを料理しているところがいい。どの曲にもイントロやリフに彼らのヒット曲が使用されている。
日本では、CD時代になっても繰り返し、繰り返し発売されていてクリスマス・アルバムとしてはロングセラー・アルバムと思われる。


リード・ギター:ノーキー・エドワーズ
リズム・ギター:ドン・ウィルソン
ベース・ギター:ボブ・ボーグル
ドラムス:メル・テイラー
オルガン:リー・アーノルド・ラッソン(レオン・ラッセル

録音年月:1965年9月27日〜10月2日



1. Sleigh Ride
2. Snow Flakes
3. Santa Claus Is Coming To Town
4. Jingle Bells
5. Jingle Bell Rock
6. Silver Bells
7. Rudolph The Red Nosed Reindeer
8. Frosty The Snowman
9. Scrooge
10. Blue Christmas
11. We Wish You A Merry Christmas
12. White Christmas

日本題とイントロ・リフ名です。

1. 楽しい橇すべり  −「ウォーク・ドント・ラン」
2. チラホラ雪が降ってくる(グリーン・スリーヴス) −「シーズ・ノット・ゼア」
3. サンタが街にやってくる −「ウーリー・ブリー」
4. ジングル・ベル −「ホワッド・アイ・セイ」
5. ジングル・ベル・ロック −「メンフィス・テネシー
6. シルバー・ベルズ −オンリー・ザ・ヤング(若さだけ)」
この曲で注目したいのはリード・ギターのメロディーに呼応するフレーズに"トーキング・モジュレーター"を使用していることです。このトーキング・モジュレーターはノーキーの友達であり、またフィンガー・ピッキング奏法の大御所として高名なチェット・アトキンスによって考案されたものです。Jeff Beckよりも早い。
7. 赤鼻のトナカイ −「アイ・フィール・ファイン」
8. フロスティー・ザ・スノウマン −「テキーラ
9. スクルージおじさん −このアルバム唯一のオリジナル
10. ブルー・クリスマス −「ウォーク・イン・ザ・ルーム」
11. 楽しいクリスマス −「ジ・イン・クラウド
12. ホワイト・クリスマス −「白い渚のブルース」



The Christmas Album Dolton BST-8038 (STEREO) Liberty LST-8038(STEREO)
後年に入手のため、レーベルはLibertyになっている。


ベンチャーズ・イン・クリスマス」 東芝 LP-7447 1965年11月発売
曲順に変更あり。


ベンチャーズ・イン・クリスマス」 東芝 LP-8067 1966年11月発売




ベンチャーズのクリスマス・パーティー 東芝 LBS-70151 1983年10月



シングル盤、EP盤も発売された。




廉価版CD 


Leon Russel (レオン・ラッセル
別名:リー・アーノルド・ラッソン(本名Claude Russell Bridges)

1941年、米国オクラホマ州、ロートンの生まれ。
わずか3歳でピアノを学び始め、10代前半でプロのバンド活動を開始したレオンは、60年代の初めにロサンゼルスへ移住。ザ・ベンチャーズのレコーディング・セッションや、フィル・スペクターがプロデュースするロネッツ等のセッションに参加しながら、1965年にザ・バーズのヒット・ナンバー「ミスター・タンブリンマン」(原曲はボブ・ディラン)のレコーディング・メンバーの一人として注目を集めるまた、1968年にはマーク・ベノとのコンビでアサイラムクワイアを結成し、アルバム「ルック・インサイド」を発表して批評家からの高い評価を受けている。

その一方で、レオンのスワンプ・ミュージックは米国南部の黒人音楽を志向する英国のロック・ミュージシャンに注目され、ローリング・ストーンズエリック・クラプトンらのビッグ・ネームのアルバム・レコーディングに招聘される。加えて、この頃のレオンは、米国サザン・ロックの中核的存在であるデラニー&ボニーのプロデュースにも深く関わっていく。

これらの精力的なセッション、プロデュース活動に勤しんでいたレオンに転機をもたらしたものは、英国ロック界でムーディ・ブルースやプロコル・ハルムのプロデューサーとして名を馳せていたデニー・コーデルとの出会いであった。
ジョー・コッカーのセカンド・アルバムをレオンと共同プロデュースした際に彼の才能に着目したデニー・コーデルは、レオン・ラッセルとともにインディ・レーベルのシェルターを立ち上げ、1970年5月にレオンのソロ・アルバム「レオン・ラッセル」をリリースする。

ノーキー・エドワーズのソロ・アルバム「ノーキー」では、ライナー・ノーツを担当し、ベンチャーズやノーキーの音楽的評価について力説している。