THE VENTURES MYSTERY TOUR 4

ベンチャーズのセカンド・アルバム 2.The Ventures[#39]7/1961 を取り上げます。
ベンチャーズがデビューした1959年から1962年頃のアメリカは、50年代中期のロックンロール旋風が収まり、ビートルズによるブリティシュ・インヴェンジョンが台頭する62年中期以後の狭間にあり、社会的にもヴェトナム戦争がまだ始まらず、誰もが夢の中の時代でした。白人のソフトなティーンポップがラヂオを賑わし、ベンチャーズのアルバムもそんな選曲で占められ、ロック・グルーヴは感じられません。「アメリカン・グラフィティー」は、1962年頃が舞台です。
全曲、カバーで占められ、録音はフェンダーギターのナチュラルトーンで、かなりムード音楽的な所もあります。4人以外のメンバーの参加は無いように思えます。






Dolton BST-8004(STEREO)



Dolton BLP-2004 (MONO)



東芝LLP-80762(73.5)



HAG-2340(61.5)U.K.London
英国盤はLONDONレーベルから発売


THE VENTURES     
リリース 1961. 1 Producer Bob Reisdorff & Josie Wilson
Billboad 11  Charts No.39/14Weeks
曲名の後にリード・ギターと思える名前を明記しましたが、あくまでも私の推定です。


1.The Shuck 2'14" G.Paxton-D.Markham - NOKIE
2.Detour 1'20" B.Westmoreland - DON
3.Ram-Bunk Shush 1'42" Mundy-Millender-Glover - NOKIE
4.Hawaiian War Chant 2'03" Novel-Freed-Leleiohaku - DON
5.Perfidia 2'03" A.Domimquez - BOB
6.Harlem Nocturne 3'10" E..Hagen - NOKIE
1.Blue tango 2'30" Leroy Anderson - NOKIE
2.Ups´n Downs 2'04" C.Rougue - BOB
3.Lonesome Town 1'50" B.Knight - NOKIE
4.Torquay 2'02" G.Tomsco - NOKIE
5.Wailin´ 1'40" Dangle-Greek - NOKIE
6.Moon Of Manakoora 3'05" Loesser-Newman - BOB



2.Detour



デュアン・エディの出身地はニューヨークですが、幼少の頃にアリゾナ州のクーリッジという町に引っ越し、そこで育ちました。ローティーンの頃から卓越したギターの才能を見せた彼は、地元のカントリー・ミュージシャン達のバッキングを務めるようになり、アリゾナ州の最大の都市であるフェニックスのクラブやラジオ局に出入りするようになりました。そうした中でラジオのディスクジョッキーだったリー・ヘイゼルウッドと出会います。ヘイゼルウッドは既にDJのかたわらでレコード・プロダクションにも手を染め、いくつかのヒット曲も出しており、デュアンとの出会いと前後してDJを辞め、本格的にプロデューサーとしての活動を始めることになります。
ヘイゼルウッドはデュアンに低音を強調した奏法を勧めると共に、サックスとギターのバトルという新しいインスト形式を発案します。こうしてデュアンのデビュー曲「Moovin' N' Groovin'」が1957年11月に録音され、翌年初頭に発売されます。この曲は全米72位までしか上がりませんでしたが、続く「Rebel Rouser」が見事に全米6位まで上がる大ヒットとなり、デュアンはいきなりスターの座に上り詰めることになります。
デュアンのサウンド作りに大いに貢献した人物に、やはり後にロサンゼルスでセッション・ミュージシャンとして活躍することになるアル・ケイシーがいます。ケイシーはデュアンのヒット曲のいくつかを作曲したり、また曲によってベース、リズム・ギター、ピアノと様々な楽器を担当し、デュアンのサウンドを支えました。後のセッション・ミュージシャン時代に明らかになるようにケイシー自身が優れたギタリストなので、「デュアンのレコードでリード・ギターを弾いているのは本当はケイシーだ」という噂が飛んだりもしました。



デュアン・エディのデビュー・アルバムに収録されている曲です。何といっても12曲の収録曲のうち5曲がヒット曲というお得盤なのです。バック・バンドはレベルズと呼ばれています。
もちろん、このアルバム自体もヒットし、1959年1月に全米5位まで上がっています。そして、その後2年間にわたってアルバム・チャートにとどまり続けたのだそうです。
ピアノのアル・ケイシー、ベースのバディ・ホイーラーとジミー・シモンズ、ドラムスのボブ・テイラー、リズム・ギターのコーキ・ケイシー(アルの妻)とドニー・オーウェンズといった面々で、サックス・プレイヤーを欠いていました。「Cannonball」からはスティーヴ・ダグラスがスタジオ録音でもサックスを吹くようになり、ようやくレベルズの陣容は安定します。

Have Twangy Guitar Will Travel
1. Lonesome Road
2. I Almost Lost My Mind
3. Rebel-'rouser
4. Three-thirty Blues
5. Cannonball
6. The Lonely One
7. Detour
8. Stalkin'
9. Ramrod
10. Anytime
11. Moovin' N Groovin'





3.Ram-Bunk Shush

[R&B Instrumental] 全米ポップチャートで最高67位/R&Bチャートで最高10位を記録した彼の代表作品のひとつです。『ラッキー・ミリンダ』のカヴァーで、ドゲット自身のヒット曲「Honky Tonk」をフォローアップしたインストゥルメンタル・シャッフルR&B!ジャマイカ音楽のルーツとしても重要視したい名演です。
ビル・ドゲット、R&Bオルガン奏者。1916年フィラデルフィア生まれで、1996年にニューヨークで死去。本名「William Ballard Doggett」。9歳で鍵盤楽器を弾き始め、15歳で自身のバンドを結成。30〜40年代には『ラッキー・ミリンダ』楽団に在籍。47年には『ルイ・ジョーダン&ヒズ・ティンパニー・ファイヴ』に、“ワイルド・ビル・デイヴィス”の後釜として参加。51年には独立し、<King>レコードと契約。同レーベルでは多くのレコーディングを行い、56年には「Honky Tonk」を大ヒットさせました。ハモンド・オルガン主体のインスト曲を、R&Bの一種として定番化した功績も大きいです。

4.Hawaiian War Chant

『タフワフワイ』は、ジョニー・ノーブルによる軽快なスウィング風ハワイアン・ポップス。
原曲は、レレイオハク(Leleiohaku)が1860年頃に作曲した「Kaua i ka Huahua'i」のメロディー。これを、ホノルル生まれのジャズミュージシャン ジョニー・ノーブル(Johnny Noble/1893-1944)が当時(1930年代)大流行していたジャズの要素を取り入れてアレンジしました。
原曲とされる「Kaua i ka Huahua'i」の内容は、パライの茂みで愛する二人が抱き合ってあれこれ…といった南国的ラブソングだったようです。ちなみに、アメリカでは、Ralph Freedにより英語の歌詞が付けられ、『Hawaiian War Chant』として知られている。
また、日本では、1960年代を中心にウクレレ漫談で人気を博した牧伸二が「やんなっちゃた節」として使用していたことで広く知られている。

5.Perfidia


メキシコのマリンバ奏者、アルベルト・ドミンゲスが1930年代に作った曲で、40年代にアメリカのスイング・ジャズバンドの多くがレパートリーにし、いずれもヒットした。
ベンチャーズは、Doltonでの2枚目のシングルとしてアルバムと同じピクチャー・スリーヴ付きで発売、全米15位にランクさせた。


日本でも同じ写真を使ったEP盤が発売になったが、ジャケとレーベルには、「急がば廻れ(WALK,DON'T RUN)」の、帯には、「急がば廻れ’64」の表示がされている。曲自体は、「急がば廻れ’64」で、制作後に、曲名違いに気が付き急遽、帯を付けたと思われる。愛が足りない1枚。



6.Harlem Nocturne


サム.テイラーの名と切り離す事の出来ない名曲です。ニューヨークの黒人外ハーレムをテーマにして、アール.ヘイゲンが1940年に作曲しました。
トランペット奏者ランディ.ブルックス楽団のテーマ、ミュージックに使われ、レイ.ノーブル楽団のアレンジでもヒットしました。サムはこれをテナー.ムードのナンバーとして、1954年にリバイバルさせたわけです。極め付きの名演が聞きものです。
また、ジョニー・オーティス楽団のヴァージョンも見事な演奏です。
米国ではGeorgie Auld(ジョージー・オールド)でヒットした「Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)」はテレビのテーマ音楽で有名なEarle Hagen(アール・ヘイゲン)の作曲です。 ラジオ番組のためにアール・ヘイゲンは「ハーレム・ノクターン」を1940年に作曲しましたが、1941年にビッグバンドのRandy Brooks(ランディ・ブルックス)がバンドのテーマ曲として取り上げたものの、1953年にHerbie Fields(ハービー・フィールズ)がテナーサックスでこの曲をヒットさせるまでには13年待つことになるのでした。
ハーレム・ノクターンは1958年から放映されたCBSテレビ・シリーズ「Mickey Spillane's Mike Hammer(私立探偵マイク・ハマー)」のテーマ曲に使用されて、その後このハードボイルドな曲はジャズのスタンダードとなりました。
扇情的なサム・テイラーの"ハーレム・ノクターン"がストリップの伴奏に使用されることがよくありますが、映画のサウンドトラックでもたくさん使用されています。 演奏はサム・テイラーではありませんでしたが50年代のシカゴを舞台にした1987年の「The Big Town(ビッグタウン)」ではストリッパーを演じたDiane Lane(ダイアン・レイン)がダチョウの羽を巧みにふるわせてセクシーに踊っています。

1965年頃にベンチャーズは、再レコーディングをしていて、英国ACEから発売になった"IN THE VAULTS Vol.2"に収録されているが、素晴らしい仕上がりとなっている。



1966年発売されたメル・ティラーのアルバム"MEL TAYLOR & THE MAGICS IN ACTION !"(日本での最初盤のタイトルは、"DRUMS A GO-GO")でもレコーディングされ、これも素晴らしい仕上がりの1曲となっています。



4.Torquay

ベンチャーズの重要な1曲となっている名曲『ブルドック』のオリジナルである『ファイアボールズ』が、放った1959年のヒット曲です。バディー・ホリーをプロデュースしたノーマン・ペティーが世に送り出しました。バンドとしての実力はベンチャーズにはとても及ぶものではなく、必然的に消えていきました。