44回目の曲目

ジョニ・ミッチェル特集です。

日本公演のちらし 1983.3

ジョニ・ミッチェルの音楽はアートです。彼女の音楽は内面をすべてさらけ出すかのような繊細さを常に感じさせ、その時々の心模様を非常にストレートに表現しようとしているように思えます。決して美人とは言い難い彼女が、デビッド・ブルーやジェームス・テイラー、グラハム・ナッシュ、ジャコ・パストリアスといった音楽界の錚々たるイケ面たちと恋仲にあったという事実は、その繊細で謎めいた女性としての魅力に引きつけられた結果であろうと、彼女の音楽を聞いているだけでその人間的魅力が分かるような気がするのです。
  初期のヒット曲







1.コヨーテ

2.アメリ

3.ヘジラ(逃避行)

4.チャイニーズ・カフェ − アンチェインド・メロディー

5.マイ・シークレット・プレイス

6.クール・ウォーター

7.ナイト・ライド・ホーム

8.カム・イン・フローム・ザ・コールド


1.Coyote
2.Amelia

『シャドウズ・アンド・ライト (原題: Shadows and Light) 』はジョニ・ミッチェルのライブ映像作品で、「ミンガス・ツアー」中の1979年9月にカリフォルニア "Santa Barbara County Bowl" で収録された映像及び音源が使用されている。ツアーには『ミンガス』に参加しているジャコ・パストリアスとドン・アライアスを中心にマイケル・ブレッカーパット・メセニーライル・メイズらが加わり、ジャズ・フュージョン色が強くなり、これまでのフォーク路線的なジョニ・ミッチェルとは違ったサウンドのコンサートとなっている。
ライブ中のステージング映像だけではなくジョニ・ミッチェルの映像ディレクションの元、「Coyote」では雪原で獲物を追いかけて動き回るコヨーテの映像などが使われ、「Amelia」では女性パイロット及び冒険家のアメリア・イアハートが飛行する前の映像が使われたり、など、ライブ演奏自体が映像のサウンドトラックのように使われる演出が採用されている曲もある。
3.Hejira

イチオシは76年の作品「逃避行」です。彼女の繊細さや謎めいた印象が最も強く表れた作品であり、このアルバムで初めて共演した、ジャズ界の鬼才ベーシストであるジャコ・パストリアスのベース・ラインがあまりにジョニの音楽性にマッチして、恐ろしいほどに深く、しかしながら恐ろしいほどに澄んだジョニ・ミッチェルの世界へと誘ってくれるのです。

「逃避行」は歌うジャコのベースがさながらジョニのボーカルとデュオを奏でている、そんな印象の1曲です。さすがにタイトルナンバー、アルバム全体を覆う言うに言われぬ独自のムードが最も強く感じられる名演であると思います。


「逃避行」の原題「Hejira」はイスラム教の開祖マホメッドの逃走を指す史語だといわれている。あのボブ・マーリーが歌った「エクソダス」がエジプトの圧政を逃れるために「集団」で脱出したという意味合いを持つのに対し、「ヘジラ」は私的な逃走であり、英語の「Flight」(飛ぶ)という意味も持っているということです。アルバム全編に「飛ぶ」「鷹」「カラス」「飛行機」「空」「旅」などの言葉がちりばめられていて、全体に心地よい浮遊感が漂っています。何より故ジャコ・パストリアスのベースは特筆すべきで、彼女が作品で表現したかったコンセプトを完璧にサポートしています。

 オープニングを飾る「コヨーテ」はザ・バンドのラスト・ワルツでもお馴染みの作品。ジャコ・パストリアスのハーモニックスを多用したベースがボサノバ風のリズムに静かな疾走感を与え、彼女の歌を見事に引き立てています。ラスト・ワルツではニール・ヤングのヘルプレスでバック・ヴォーカルを務めた彼女だが、本作では「ファリー・シングス・ザ・ブルース」でニール・ヤングのブルース・ハープが聴けます。
4.Chainese Cafe - Unchained Melody

ガムの景品として付いていたシングルCD

1982年10月に発売された『恋を駈ける女Wild Things Run Fast』というアルバムからです。ゲフィン・レコード移籍後、初のアルバム「恋を駈ける女」は、ロックンロールの躍動感に満ちあふれたものになりました。ベースの重低音にジョニのアコースティック・ピアノが寄り添い導かれる神々しさ、コンサートでもすでに人気だった珠玉のバラッド「Chinese Cafe」、この歌の主人公はすでに子供が大きくなっている年齢です。若い頃にチャイニーズ・カフェで、ジュークボックスの「UNCHAINED MELODY」を聞きながら、過ごした日々を懐かしんでます。歌っているJONIMITCHELL本人には、子供はいませんが、歌の主人公とは同世代で、Joni自身の経験を元に歌が作られています。松田聖子ユーミンは、中年を過ぎても若い人の恋愛しか歌いませんが、中年(またはそれ以降)の年齢の人が主人公の曲を聴きたいと思っているファンも、意外と多いんじゃないでしょうか?  曲の間に、「UNCHAINED MELODY」の歌詞を挟んで歌っています。
5.My Secret Place

1988年3月に発売されたアルバム「Chalk Mark In a Rainstorm」からの曲です。ジョニ・ミッチェルピーター・ガブリエルの二人の声が絡み合いながら、時に歌うパートを替えたりしながら歌っているところも不思議な感じがします。 これは恋する二人が同じことを考えていると、その人格も似たようなものになってくるということらしいのですが、当時はまだ熱々だったラリー・クラインとの関係を歌っているのでしょうか。

Joni Mitchellジョニ・ミッチェル) - vocals, guitar, keyboards
Larry Klein (ラリー・クライン) - bass
Manu Katche (マヌ・カッチェ) - drums
Peter Gabrielピーター・ガブリエル) - guest vocalist

6.Cool Water
同じアルバムから「 クール・ウォーター」という曲です。この曲はこの曲は1936年に Bob Nolan(ボブ・ノーラン)によって書かれ、1947年にThe Sons of the Pioneers がレコーディングした古いカントリー・ソングが元になっています。砂漠地帯の蜃気楼の中を、年老いた騾馬(らば)と共に一人の男が水を求めてさまよい歩くという歌で、ジョニ・ミッチェルはそれを近年の水飢饉や水質汚染の問題を踏まえ歌詞を変えて歌っています。 アレンジもガラリと変えてほとんど自分の歌にしており、この曲にはウィリー・ネルソンがゲスト・ヴォーカルで参加しています。


7.Night Ride Home

1991年2月に発売されたアルバム「Night Ride Home」からです。ハワイの月夜からインスパイアされた曲ということで、「フラ・ガール」、「ウクレレ・マン」、「打ち上げ花火」など、切れ切れに並ぶ歌詞からハワイで独立記念日を過ごしている情景が浮んできます。 仕事を休んでハワイでの休暇を楽しんでいるのか、「金曜日までは電話もなく」、「抱(かか)え過ぎの仕事もない」といったフレーズが続きます。車で家へと向いながら、隣の席には愛する人が乗っている。 当時の旦那はラリー・クレインでしたが、夫婦水入らずで束の間の休暇を楽しんでいたのでしょう。 7月の始めではありますが、終始コオロギの音(ね)がバックに響いています。


8.Come In From The Cold
同アルバム「Night Ride Home」からです。


ジャコ・パストリアス

1951年12月1日ジャコ・パストリアス(本名ジョン・フランシス・パストリアス三世)はペンシルバニア州ノリスタウンに生まれる。7才でフロリダのフォート・ローダーデイルに移住。祖父は軍楽隊のドラム軍曹、父もシンガー&ドラマーとして生計を立てていたこともあり、ジャコが最初に手にした楽器はドラムだったが、フットボールの練習中に右手首を負傷。ドラムをプレイするには致命的なダメージを受け、13才でベースに転向する。

1975年ブラッド・スェット&ティアーズがツアーでフォート・ローダーデイルを訪れていた。このバンドのドラマー、ボビー・コロンビーがジャコと出会う。コロンビーは後にデビュー作のプロデューサーとなる人物だが、彼は偶然にもジャコの妻、トレイシーをナンパしようとしたのがきっかけで、ジャコを知ることになったのだ。コロンビーはトレイシーから自分の夫がベーシストだと紹介され、冷やかし半分でジャコの演奏を聞きにいったが、その演奏を聴き、超人的なテクニックに衝撃を受けた。

単なるミュージシャンとしてだけでなく、大手レコード会社EPICからプロデューサーの立場で活躍していたコロンビーは、早速ジャコにEPICのオーディションを受けさせた。ジャコはオーディションでも皆を驚嘆させ、デビュー盤のリリース契約をとりつける。その録音から2ヵ月後、ジャコはパット・メセニーとドイツに渡り、メセニーのデビュー盤『ブライト・サイズ・ライフ』の録音にも参加。1976年ジャコは『ジャコ・パストリアスの肖像』によりメジャーデビューを果たした。

ジャコはウェザー・リポートでの活動と並行して、カナダ出身の女性シンガー、ジョニ・ミッチェルと親交を深める。彼女は70年代初頭からジャズミュージシャンを起用してのレコーディングが多い。ジャコとはよほど相性が良かったのか、初のコラボレートとなった『ヘジラ』以降4枚ものアルバムに起用している。中でもジャコのほかパット・メセニーマイケル・ブレッカー、ドン・アライアス、ライル・メイズが参加したライブ盤『シャドウズ・アンド・ライト』は傑作。

ウェザーリポートに加入した頃、ジャコはとてもクリーンな環境の中にあった。アルコールも飲まずに音楽に打ち込む青年だったが、ウェザー・リポートの活動と、ジョニ・ミッチェルのほか、多数のセッションへの参加で多忙を極めた70年代後半から徐々にドラッグに染まっていった。アルコールの量も増え、それがドラッグ中毒を招いた。

ジャコの中毒症状は83年以降、悪化の一途をたどる。二枚のソロアルバム、ウェザー・リポートでの活躍により、スターダムにのし上がったジャコだが、自信過剰な性格とは裏腹に、周囲が作り上げ、一人歩きする“ベースの天才、ジャコ・パストリアス”というものに対して、プレッシャーを感じていたという。

ドラッグ欲しさにベースを売ってしまうほど貧困となったジャコは、一時ホームレス化していた。好きだったバスケットボールコートで一日を過ごすことも多かった。

入退院を繰り返すジャコだったが、1987年9月11日故郷フロリダのフオート・ローダーデイルに来ていたサンタナのライブを見ていたジャコは、飛び入りしようとしてトラブルを起こす。サンタナになだめられつつも会場を出て行ったジャコは彷徨う。失意のうちにたどり着いたナイトクラブ「ミッドナイト・ボトルクラブ」で悲劇は起こった。日付が変わった深夜、このクラブに入店しようとして用心棒と口論の末、乱闘となり殴打され、意識不明の重体となった。

しばらく昏睡状態が続いたが、9月21日に家族の同意のもと、人工呼吸器が外され35年の生涯を閉じた。この頃のジャコについては、日本でもジャズ誌にその健在ぶりを掲載されることがあったが、突然の訃報に世界が驚いたのは言うまでもない。



前回のクイズの答え

ブライアンの隣の女性は・・・
フランソワーズ・アルディー』でした。
応募者少数の中で、正解者はわずか1名!小樽のJIVE KINGさんです。豪華賞品をお送りします。
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