37回目の曲目

日本だけでヒットした曲の第3回目です。

1.Blame It On The Bossa Nova ・・・Eydie Gorme
2.Lana・・・The Velvets
3.Bye Bye Biredie・・・Ann Margret
4.Live Young・・・Troy Donahue
5.Memories, Memories・・・Johnnie Sommers
6.Come Back To Me・・・Roy Orbison
7.Marshmallow・・・Johnny Cymbal
8.Short On Love・・・Gus Backus
9.Movin'・・・The Astronauts
10.Che, Che, Che・・・The Astronauts
11.En Blue Jeans Et Blouson D'cuir・・・Adamo
12.La Plue Belle Poir Aller Danser・・・Sylvie Vartan
13.Non Ho L'eta・・・Gigliola Cinquetti
14.Sandy・・・Johnny Crawford
15.La Ragazza Di Bube・・・Original Soundtrack
16.I Had A Dream I Was A Beatle・・・Donna Lynn
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1.恋はボサノバ・・・ イーディ・ゴーメ

「悲しき足音」のヒットで有名なスティーブ・ローレンス。その奥さんがイーディー・ゴーメ(Eydie Gorme)であり、二人はおしどり夫婦としてお茶の間でも人気で、何曲かデュエットでもレコーディングしていたが、彼女単独のヒットにはあまり恵まれていなかった。
その彼女が放ったのが1963年2月リリースのこの曲「恋はボサノバ Blame it on the Bossa Nova」で、全米7位のヒットとなっている。
ハスキーで魅力的な声の持ち主で、このボサノバの曲にピッタリである。本来のボサノバのクールな雰囲気とはだいぶ違っていて、POP調にミックスされているが、それがかえってヒットした要因なのかもしれない。
この曲はBarry Mann/Cynthia Weil(バリー・マン&シンシア・ウェイル又はワイル)のソングライター・カップルの作品です。
2.ヴェルヴェッツ・・・ 愛しのラナ

テキサスのブラックシェアハイスクールの英語の先生と生徒で結成された5人組ドゥーワップグループ、ヴェルヴェッツ。この先生何がすごいかって生徒の卒業を待って、教師をきっぱり辞め、59年に生徒達とデビューしたってこと。
「愛しのラナ」はアメリカではシングルのB面曲でロイオービソン作ミュージックライフ誌の“東京で一番売れているレコード”の63年11月と12月の調査で第2位をマーク。翌年4月にはアメリカでのデビューヒット「夢のお月様」が12位まで上るヒットとなりました。
3.アン・マーグレット ・・・ バイ・バイ・バーディー

アメリカではシングルのヒットではなくアルバムがヒットしました。日本では映画もヒットして私も映画館に見に行きました。主題曲以外にも映画の挿入曲ですが、『ワン・ラスト・キス』とか『ワン・ボーイ』という曲がヒットしました。この『ワン・ボーイ』はジョニー・ソマーズの曲が大ヒットしました。
スウェーデン人の両親の間に1941年4月28日 スウェーデン・ヴォルソビン ( Valsjobyn ) に生まれました。彼女5歳の時に一家はアメリカのイリノイ州に移住します。ノースウェスタン大学を中退し、以後友人とバンドを結成して地方を渡り歩きます。ラスベガスのドューンズ ホテル ( Dunes Hotel ) に出演中に俳優、コメディアンのジョージ・バーンズ ( George Burns ) に見出されます。同じ頃、製作者のロバート・ゴールドスタイン ( Robert Goldstein ) の目にも止まり、1961年 「 Pocketful of Miracles ( ポケット一杯の幸福 ) 」 で映画デビュー。RCAビクターから [ Lost love ] [ I ain't got nobody ] で歌手としてもデビュー。歌手と女優のキャリアをほぼ同時にスタートさせています。1963年エルビス・プレスリーの入隊をモチーフにした、ロック・ミュージカル映画 「 バイバイ・バーディー 」 に出演。ダイナミックでそれでいて可憐な踊りが高く評価され、一躍人気女優となりました。1964年にはエルビス映画「 Viva Las Vegas ( ラスベガス万才 ) 」 で初共演、「 The lady loves me 」 をエルビスとデュエット、「 C'mon everybody 」 では素晴らしい踊りも披露。エルビス映画の中では、後にも先にも主演級で共演出来た唯一の女優でした。そして女性版エルビスと形容されることもありました。
歌手としては、全米チャートに入ったのは1961年17位の 「 I Just Don't Understand 」、同年97位の 「 It Do Me So Good 」 、1962年82位の 「 What Am I Supposed To Do 」 の3曲だけでした。彼女は女優として成功した人と云えます。
1967年、TVシリーズ 「 サンセット77 」 にも出ていた俳優ロジャー・スミス ( Roger Smith ) と結婚。持ち前の美貌と個性で人気を得る一方、演技派として映画界にその地位を確立しました。
4.トロイ・ドナヒュー ・・・ 恋のパームスプリングス

当時、女性に大人気だったトロイ・ドナヒュー。今で言えばブラピみたいなところでしょうか(^▽^)彼の1963年の主演映画「パームスプリングスの週末」の主題歌です。「リブ・ヤング」という副題。
5.ジョニー・ソマーズ ・・・ すてきなメモリー

アメリカでは12枚目/5339として、1963年に発売された「Since Randy Moved Away」のB面で、これはその日本語バージョン。アメリカではB面でもありヒットしなかったようだが、我々には懐かしの名曲といえます。
6.ロイ・オービスン・・・ カム・バック・トゥー・ミー

アルバム『シングス・ロンリー&ブルー』ロイ・オービソンのモニュメント・レーベル移籍第1弾作品。1959年から1960年にかけてレコーディングされた作品で、日本でのみシングル・リリースされた「カム・バック・トゥ・ミー」をはじめクオリティの高いナンバーが並ぶ。
7.ジョニ-・シンバル ・・・ 僕のマシュマロちゃん

ジョニー・シンバルといえば誰が何と言おうと「ミターベースマン」。あのバァーバババーボとかけあいの低音歌手はいろんなグループで活躍したロナルド・ブライトと言う歌手です。当時は他にも数々のヒット曲があったのですが今ではライヴハウスで聴けるのは「ミターベースマン」だけですね。
「僕のマシュマロちゃん」。これは同じくかけあいがあるので「ミターベースマン」に似ているかもしれませんが結構ヒットした楽しい曲です。
8.ガス・バッカス ・・・ 恋はスバヤク

ジョン・レノンがクオリーメン時代にカバーした『カム・ゴー・ウィウ・ミー』のヒットで知られるザ・デル・ヴァイキングスのメンバーであったドナルド・ガス・バッカスです。
彼はアメリカ生まれで主としてドイツで活動した歌手である。兵役でドイツに駐留しているときにレコードを作り始める。60年代初め、彼はアメリカのロックンロールをドイツ語で歌って人気を博するようになる。
9.太陽の彼方・・・アストロノウツ
10.チェ、チェ、チェ・・・アストロノウツ



アストロノウツはサーフィンとは全く縁のないコロラド州の、しかもインスト専門というワケでもない、単なるローカル R&R バンドだった。アメリカではほぼ無名に近かったのに、何故か日本だけでこの曲がサーフィン・サウンドとして大ヒット。まぁベンチャーズとは次元も格も大違いだが、素晴らしき一発屋として日本洋楽史に永遠にその名を残すグループだ。
「某レーベルの洋楽担当ディレクターが、来日した若手人気エレキバンドの来日記念盤を担当した。しかし、彼らは、譜面は読めず、ろくに楽器ができずとにかく口移しのようにして演奏を教えねばならず、数曲の録音に延々と時間がかかってしまった。それ以来このディレクターは、来日記念盤と言う話を聞くと逃げ回っている」
11.アダモ・・・  ブルージーンと皮ジャンパー

ベルギーの歌手サルヴァトーレ・アダモ。生まれはイタリアのシチリアという。1962年「サントワ・マミー」が発表され、ベルギーからフランスへ拡がり、その独特な高くてハスキーな声が大変な人気となった。
この「ブルージーンと革ジャンパー」は、翌1963年に発表され、日本では「サントワ・マミー」より先に紹介された実質的な日本デビュー曲。同じ年には、日本で「雪が降る」も日本語バージョンを発売している。以後沢山の曲を出して、たびたび来日している。
ちょっと女性的なハスキーボイスと、マイナー調でロカバラード風の伴奏のこの曲、当時の明るいアメリカン・スイートポップス全盛の中で、異彩を放ち、印象がとても強かった。
12.シルビー バルタン ・・・  アイドルを探せ

シルビー バルタンのデビュー作。主演シルビー バルタンとなっているが、彼女の出演シーンは「アイドルを探せ」(La plus belle pour aller danser)を歌っている、ほんの4〜5分のみ。当時、フランスの大ミュージシャン、シャルルアブナブール、ジョニーアリディ、ナンシーホロウェイ等が出演している。
物語は、有名女優(ミレーヌドモンジョ)の5000フランのダイヤが盗まれ、そのダイヤが5人の歌手のギターに隠されているというわけで2組のコンビがダイヤを求めてドタバタするミュージカル喜劇である。
この映画が日本で公開されたのは1964年11月であった。シルビー バルタンはフランス人でなく、ブルガリア人です。


フランス音楽界にとって無くてはならない人になってるシャルル・アズナブール。また彼はソング・ライターとしても一流で数々のヒット曲を作曲してます。コニー・フランシスでお馴染みの「ママのために」も彼の作品ですし、ジルベール・ベコーでヒットした「メケ・メケ」も彼のペンになるところです。
13.ジリオラ・チンクェッティ ・・・ 夢見る想い

1964年のイタリアのサンレモ音楽祭の優勝曲「夢見る想い(non ho l'eta)。歌うのは弱冠16歳の美少女ジリオラ・チンクエッティである。
当時サンレモ音楽祭は世界的にも大変話題になっていて、1958年のドメニュコ・モデューニョの「ボラーレ」はイタリアとして初めて全米1位になるなど大イタリアブームであった。64年のこの曲は、ボビーソロの「君に涙と微笑みを」と最後まで優勝争いになり大いに盛り上がり、僅差で「夢見る思い」が優勝となった。日本でも話題沸騰し、多くのラジオ番組がこの経過を伝えた。
ジリオラ・チンクエッティはこのあと、サンレモ音楽祭の常連となり、「愛は限りなく」「雨」など大ヒット曲を立て続けに出している。
14.ジョニー・クロフォード  ・・・ 愛しのサンディー

テレビドラマの『ライフルマン』で息子役で出ていたジョニー・クロフォードです。主役はチャック・コナーズでした。米国では他にもヒット曲がありますが、日本ではこの曲だけです。
15.オリジナル・サウンド・トラック ・・・  ブーベの恋人

かつてレコード店には「映画音楽」と言うコーナーがありましたが-、これも外せない一曲です。また日本語の歌詞でも歌われてました-「女の命は嵐さえ踏み越えて咲く花よ・・・」とか、でもやはりサントラは格別ですね。この映像あってのこの曲と言うことか。イタ-リアの女猫と言われたセクシー系のCCですが、この映画では奔放ながらシリアスで健気な役柄を好演し強烈な印象を残してくれました。やや重く切ない旋律ですが、寂寞の中にも古き良き時代が偲ばれます。何度も聴ける曲です。
16.ドナ・リン ・・・  夢見るビートルズ

1963年にデビューし、翌年1964年に『夢みるビートルズ』や『ビートルズカットのボーイフレンド』などを発表し13歳で一躍アイドルになる。日本でもヒットしたが人気は長くは続かず芸能界を引退した。