THE VENTURES MYSTERY TOUR 3

ベンチャーズのデビュー・アルバム 1.Walk, Don't Run[#11] を取り上げます。

1.WALK,DON'T RUN / THE VENTURES
LP: リリース 1960.12.4
Dolton BST-8003(STEREO)
ツアーで忙しく、メンバーの写真が撮れなかったと言われているジャケです。



Dolton BLP-2003(MONO)

写真を使ったレアな裏ジャケ


東芝 LLP-80761(WDR'59)(ROCK'N ROLL SERIESE) (73.4)
ジャケコピーのため不鮮明な出来

イラストも後期のモズライトをイメージさせる愛の無い裏ジャケ


LBY-1002(61.1)U.K.LBS-83123(68.7)U.K
英国製の美しいコーティング・ジャケ

裏は、フリップバック・スタイル

Liberty LST-8003
ジェリー・マギー、ジョー・ダリルのいるジャケ



1.Morgen 2'06" Sherman-Mosser - BOB
2.Raunchy 2'17" Manker-Justis,Jr. - NOKIE
3.Home 2'21" Van Steeden-H.Clerkson-J.Clerkson - BOB
4.My Own True Love(Tara's Theme) 2'16" David Steiner - ?
5.The Switch 1'54" W-B-J-E - NOKIE
6.Walk、Don't Run 2'04" J.Smith - BOB
1.Night Train 2'34" Forrest-Simpkins-washington - BOB
2.No Tresspassing 1'57" W-B-J-E - NOKIE
3.Caravan 2'11" Ellinton-Tizol-Mills - BOB
4.Sleep Walk 2'03" S.Farina-J.Farina-A.Farina - NOKIE
5.The McCoy 2'07" B-W - NOKIE & DON
6.Honky Tonk 2'44" Buttler-Doggett-Glover-Shephard-Scott - NOKIE

曲目の後に、リード・ギタリストと思われる名前を明記しましたが、私の推測です。




6.Walk、Don't Run
JOHNNY SMITH "MOODS"

「Walk Don't Run」は元々はジョニー・スミスというジャズ・ギタリストの曲ですが、ヴェンチャーズはチェット・アトキンスによるカヴァー・ヴァージョンを参考にしたと言われています。つまり、ヴェンチャーズはカントリーの楽曲をロック化したスタイルでデビュー・ヒットを飛ばしたことになります。
だったらそういうイメージの曲をこのアルバムに多数収録するのが自然なはずなのですが、なぜかここで採り上げられている曲には映画音楽やイージー・リスニングなど、ロックンロールに反抗期特有の持て余すエネルギーのはけ口を見出していたティーン達にはウケが悪そうな曲がたくさん並んでいるのです。
私は、65年の「ライブ・イン・ジャパン」「ノック・ミー・アウト」から遡って、それ以前のアルバムを聴くようになったため(多くの人も同様)、このデビュー・アルバムを始め、初期のアルバムは、まるでロックのグルーヴ感が無く、ガッカリしたものです。63年頃から、急激に変化し、素晴らしいアルバムを発表し始めたのには、ビートルズにも共通するものがあります。


ザ・ベンチャーズの初代ドラマーは、後に空軍大将となるジョージ・バビット (George T. Babbitt, Jr.) でしたが、バビットは「ウォーク・ドント・ラン(急がば、廻れ)」のリリース前にバンドから脱退していた。 この曲のドラマーについては、バンドの公式サイトには「「急がば、廻れ」のドラマーはスキップ・ムーア (Skip Moore) であり、多くの方々が考えられているホーウィー・ジョンソン (Howie Johnson) ではありません。スキップは、25ドルとレコードの印税の4分の1のどちらか好きな方を選択できました。彼は25ドルをとったのです。

CHET ATKINS "Hi-Fi in Focus"

このアルバムは彼の1957年リリース。RCA時代、7枚目になるものだそうです。なぜにタイトルが「Hi-Fi」と「In Focus」なのかというと、実はこのアルバムジャケットがRCAとキャノン・カメラの合同企画によるアルバム・カバーコンテストの優勝作品だからなのだそうです。アルバムの裏ジャケットのライナーは、写真関係の文章ばっかりで、チェット大先生についてはほとんど触れられていません。そんなわけで、彼のアルバムの中ではノベルティ的性格を持っているため、「はみご」扱いされているのかもしれません。
しかし、内容は下記の通り、ベンチャーズがレパートリーとしている曲は、1. El Cumbanchero 、2. Walk, Don't Run、3. Tara's Theme 、5. Lullaby Of The Leaves と、4曲ほどあり、このレコードをフェイバリット・アルバムとしていたと思われます。

Side 1
1. El Cumbanchero
2. Ain't Misbehavin'
3. Shadow Waltz
4. Anna
5. Yesterdays
6. Portuguese Washerwoman

Side 2
1. Tiger Rag
2. Walk, Don't Run
3. Tara's Theme
4. Johnson Rag
5. Lullaby Of The Leaves
6. Bourree
7. Avorada
日本ビクター盤



英国盤


米国盤Dolton25


Dolton25X

日本で最初に発売されたのは、東芝からではなく、日本ビクターからです。1960年11月にTOP RANKというレーベルで発売されました。英国経由です。東芝から出た最初のシングルは、63年3月の「ロコ・モーション/リンボ・ロック」で、「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」は、64年3月の発売です。
ブルー・ホライゾン盤とドルトン盤は同じ音源で、B面は「ホーム」という曲でした。発売後にB面を「ザ・マッコイ」という曲に置き換えて、レコード番号もDOLTON-25から25Xにして発売しました。これは、自作曲をB面にして印税を稼ぐ目的だったようです。この曲は、デビュー曲の「ザ・リアル・マッコイ」タイプの曲ですが、ヴァージョンは違います。デビュー・アルバムにも入っていますが、これともヴァージョン違いです。この曲名からリック・デリンジャーがマッコイズというバンド名を付けました。この曲のリードギターはもしかするとドン・ウィルソンかも知れません。
アルバムのヴァージョンは、全くの別トラックで、リードは2人で演奏されている。






このアルバムの中から、有名なカバー曲の解説をします。

2.Raunchy

本名をウィリアム・E・ビル・ジャスティス・Jr.と言い、1926年10月14日、アラバマ州バーミンガムで生まれた。しかし、育ったのはテネシー州メンフィスで、ルイジアナ州ニュー・オーリンズのテュレーン大学で音楽の勉強をした。在学中彼は、サキソフォンとトランペット・プレイヤーとして、地方のジャズやビッグ・バンドで公演した。
1954年、彼は故郷のメンフィスに戻り、やっとサン・フィリップのサン・レコードと契約し、彼自身の音楽を録音したり、ジェリー・リー・ルイスロイ・オービソンジョニー・キャッシュ、チャーリー・リッチ等のサンのアーティスト達のアレンジを行った。1957年11月、此の「Raunchy」をリリース、彼の始めてのロックンロール・インストゥルメンタル・ヒットで、全米3位、オーストラリアのチャートで1位に入った。彼はもう1曲、「College Man」と言う曲が全米42位まで上がった。
1961年、彼はナッシュヴィルに移り、ポップ、カントリー・ミュージックパフォーマーのレコード・プロデューサー、音楽アレンジャーとして、モニュメント・レコード、マーキュリー・レコードや他のレーベル等で大活躍した。1954年、エヴィス・プレスリーの主演映画「キッスン・カズン」のサントラ盤で、サキソフォンを演奏し、同年、サーフ・ロック・グループのロニー&ザ・デイトナスのマネージャーとして活躍した。1963年5月、「Tamoure」がオーストラリアで4週連続1位になったが、アメリカではチャート・インしなかった。1960年代初頭、彼はスマッシュ・レーベルからインストゥルメンタル・LPを次々とリリースし成功した。彼はまた1977年、バート・レイノルズサリー・フィールドが主演した「Smokey And The Bandit(トランザム7000)」、1978年、同じく2人が主演した「Hooper(グレート・スタントマン)」等の、映画音楽も書いた。1982年7月15日、彼はナッシュヴィルで癌のため死去した。享年55歳。彼はメンフィスのメモリアル・パーク墓地で眠っている。1998年、グラミー賞の殿堂入りを果たした。

此の作品は、彼自身とシド・マンカーの共作で、トゥワング・ソロ・リード・ギター形態を使用した初めての曲だったかも知れない。それは他のアーティスト達により発展させられ、2,3年後には標準となった。ビルはサキソフォン、シドはリード・ギターを演奏し、全米3位、R&B・チャート1位となった。リード・ギター・ワークは後のインストゥルメンタルと比較して、基本的なものだった。しかし、ギターを全面に大きくフィーチャーして、ビルの吹くサックスと絡んで展開されるカントリー&ウエスタン色の強い世界は当時は斬新で、後の“ハイ・サウンド”に繋がるメンフィス・ビートをチャートに送り込む事となった。「クラシック・ロック・インスト」の草分け的存在と言える。後年、ビルはより強いギター・ワークで新たに改善した斬新な表現で録音した。ヒット後間もなく、プロデューサーのリー・ヘイゼルウッドとギタリストのデュアン・エディは、そのスタイルを発展させた究極のスタイルで録音した。軽いリード・ギター・サウンドから離れて、非常にリヴァーベレイション(残響)を高めた録音だった。1958年、デュアンは「Rebel Rouser」のヒットからスタートしたが、1965年、RCA・レコードからリリースした「Twangin' The Golden Hits」と言うアルバムの中で「Raunchy」を録音した。後年、多くのアーティスト達、ヴェンチャーズ、ビル・ブラック、トム&ジェリー、アル・カイオラ、ビリー・ストレンジ、トミー&ザ・トム・トムズ等が此の曲をシングル、アルバム問わず録音した。1958年、ジョージ・ハリスンジョン・レノンとポール・マッカトニーの前で此の曲を演奏し、ジョンが当時のクオリーメン(ビートルズの前身バンド)にジョージを参加させる事を決めたと言う逸話がある。

4.Sleep Walk


オリジナルはサントとジョニーのファリーナ兄弟が母親の資金援助を得て発売したシングルで1959年インスト曲ながら見事に全米1位を獲得するヒットとなっています。クレジットにサントとジョニーの兄弟名とアン・ファリーナという女性の名前があるのですが、母親と思われます。写真はカナダ盤のSPレコードで、レーベルはCanadian-Americanというオリジナル・レーベル(米国も同様)です。シングル盤は、英国製Parlophoneレーベル

全米1位の有名曲でありスライド・プレイが大きくフィーチャーされているせいかギタリストたちにとっても一度は挑戦してみたい曲なのかけっこうカバー・バージョンが多い曲です。ベンチャーズは2度ほどカバーしていますし、ネオ・ロカのボス=ブライアン・セッツアー、エイモス・ギャレットによるカバー、テレキャスターによる絶妙のトーン・コントロールとやさしい指使いから繰り出されるソロはまさに昇天物です。テレキャスといえばこの人、人呼んでマスター・オブ・テレキャスター=ダニー・ガットンです。伸びのあるチョーキングで男っぽいソロを聞かせます。40歳前にガレージで拳銃自殺という悲惨な最期をとげたのがつくづく残念な才能でした。他にもラリー・カールトンジェフ・ベック、ジェフ・バクスターもカバーしています。

6.Honky Tonk

A面・B面に渡るSPレコード


Blues Live!日本盤

米国盤

ホンキー・トンク(Honky Tonk)は1956年に大ヒットを飛ばしたR&Bの古典的名曲。作曲は、ビル・ドゲット(Bill Doggett)をはじめ、ビリー・バトラー(Billy Butler)、クリフォード・スコット(Clifford Scott)、Shep Shepherd等により行なわれている。
ゆる〜〜〜いウォーキング・テンポのインスト曲で、洗練されたギター(ビリー・バトラー)とちょっとお下劣なサックス(クリフォード・スコット)が聴きものです。

1974年11月27日と28日に郵便貯金ホールで収録された伝説の2日間、ロバートJR.ロックウッドと、ジ・エイシズの夢の共演、 日本初のブルース・フェスティバルとなったライヴアルバム、「ブルース・ライブ!」この中で、ジ・エイシズのルイス・マイヤーズがGibson SGでリードを取る「ホンキー・トンク」が名演です。